トシコロのありのままの暮らし


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マルクスの対宗教の謎二つ

2018-01-25 12:58:30 | 日記
  一つは先も取り上げた「宗教は心のアヘンなり」という有名な言葉である。ところが「資本論」には至る所で当時のヨーロッパ大陸のカトリック教会を好意的に書いたり、「大司祭」と尊敬を込めた言葉もあるし、「天国に行った」という表現も繰り返し出てくる。本当に宗教自体を否定した人ならば、そのような書き方はあり得ないわけで、近年の僕は資本論を読み始めて、謎に感じている。おかしい。30年くらい前に名古屋に住む、社会運動をされているクリスチャンの一人から「マルクスがアヘンと呼んだのは当時の英国国教会。資本家たちは聖書や国教会の教義を労働者をこき使う事に利用した」と聞いた覚えがある。だが、残念な事に当時の僕はその人に説の根拠を聞くのを忘れた。従って、僕はそうだとも断定できないわけである。後年、プロテスタンティズムがカルヴァン派の影響を強く受けている事を僕は知ると、歴史の流れから、「アヘン」はカルヴァン派を指していた可能性も考えられた。でも、マルクスがカルヴァン派の事を知っていたか?という問題も出てくるので、何とも言えない。当時のイギリスは、宗教寛容令でプロテスタント系の教派がたくさん入り乱れていたから、かなりの資本家が労働者搾取の為に多くの教派と聖書を利用していた事を指しているのかもしれない。例えば、聖書には「従順」という徳目が繰り返し出てくるが、本来は神への従順という意味なのに、資本家への従順という言葉にすり替えてしまうとか、そのような事が多くあったことは十分推察できる。


   もう一つは、「未来の共産社会においては宗教は消滅する」。これも謎だろう。放送大学の社会学の辻村明教授は「人は死ぬものだから、宗教は消滅しない」と語っていた。僕が推察するに、当時のヨーロッパでは「医学が発達すれば、病気も老化も消滅し、人は不死になる」と知識人の間で考えられていたから、マルクスはそれを下敷きにそのように述べた事は十分考えれる。確かに、不死が実現すれば、葬式も、天国・地獄を考える事もなくなるだろうから。

  対宗教に関しても、マルクスの表現は要領を得ず、説明も非常に不足しているから、後継者たちは反宗教の考え方になり、宗教勢力は共産圏では弾圧され、神父・牧師、お坊さんと虐殺された例が多い。マルクスは仏教の事は全く知らず、後世にお坊さんまで殺される事には気が付かなかったわけである。

   優れた経済学者には違いなかったが、マルクスは文章表現は苦手だったようである。宗教の事に限らず、説明を非常に欠く事が目立つ。高校生の宿題の論文よりも判りにくい。高校の試験でも失格になるような書き方ばかりしている。歴史に仮定はおかしいが、マルクスに専属の秘書ライターがいたら、歴史は変わったものになっただろうに。残念に思う。そう言えば、労働者革命後の社会の事の記述もほとんどされておらず、それ故、ソヴェト・ロシアなどでは、次第に役人の支配する社会になっていったわけである。以上から文章表現の大切さも判るし、それが苦手な人は大事な文を書く時は、得意な人に頼んだ方が良いわけでもある。