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トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「名前は判らん」

2015-12-05 | 小父のお隣さん
 12月の第一週、例年だとそろそろ見納めの時期になる。いつも通り水見回りがてらトンボの姿を探した。今日の最低気温は10℃を下回ったけれど日中は小春日和になった。トンボ池周辺をゆっくりと歩く。この時期になると飛翔を続けている個体はほぼ無くて日溜りで翅を休め捕食の時だけ舞い上がるか小生に驚かされ舞い上がるかのどちらかがほとんどである。
 今季も大トリになるであろうマユタテアカネは容易に見つかった。先日確認したオオアオイトトンボはどうだろうと周囲に気を配っていたら一頭だけ確認できた。理由はともかく安心して帰ろうとしたら桑の枝付近に飛翔体が見えた。静かに近づいたらトンボだったのだがオオアオイトトンボでは無く正体不明のトンボだ。
 体長は35~40mm程度でオオアオイトトンボより明らかに短く翅を閉じて止まっている。オツネントンボとも思ったのだが佐久で初めて見たオツネントンボより小さいし形態も異なる。図鑑対照でもいつも通りたどり着けなかった。それはともかく、今季終盤になって新たなトンボ?に出合うとは…。1年にも及んだ度重なる断水復旧作業が報われた思いがする。
                  

ヒラタケ上等!?…

2015-12-05 | 何よりの楽しみ
 ヒラタケはシイタケなんぞより上等の好物である。泥水池の一角に生物床として柳の間伐材を集積してあるのだが、ここにヒラタケらしいキノコが発生していた。一部を千切り香りを嗅いでみたらヒラタケ臭がする。「ヒラタケに間違いない」と思っても自信が無いから採集できなかった。
 ホダギに発生したキノコなら安心して食す事が出来るのだが、採集マニアならぬ一介の作業員止まりでは其処までの習熟度は無いのである。
 採集できれば鍋物に十分な量があったのに…と思ってみても手は出せないで終わった。野生のヒラタケが入ったスキヤキ食べたーい。

流下魚のバックアップ

2015-12-05 | 小父のお隣さん
 今年何度目になるのか、今季の最後のつもりで流下魚を、まあドジョウだけなのだが上の池に戻した。容積1㎥もない小さなプールにヌカビンを仕掛け入ったドジョウを大元の池に戻した今期の総計では大雑把に推計しても百匹近辺になっているに違いない。
 大小混在している魚体数だけでなくカワセミやアオサギが捕食に見えるのが日常茶飯事になっていた今季は採餌できる実態があったという事に他ならない。自己満足の行為であろうとも流下して干上がるよりは餌になったほうが生命の循環としては優れているしドジョウにとっても本望だろう。

トンボ池の冬支度

2015-12-04 | 水辺環境の保全
 泥水地に続いてトンボ池の冬支度を済ませた。枯草を刈り払い場外に運び出したのである。生息生物の立場に立てば、こんな行為は無い方が良いと思っているのだが、枯草が伏すに従い猪の耕耘が激しくなる現状ではこうせざるを得ないのだ。
 また今春から設置したロープを新しい標識ロープに交換した。植生調整・保育している部分に入りこんで禿げ地にされるようになり、もう堪忍できなくなった。猪による荒廃は我慢できるとしても人為的な荒廃はストレス度があがる。
  刈り払い前  ➡ 刈り払い後

山芋は掘らない

2015-12-03 | 何よりの楽しみ
 会友のY氏が山芋を一本譲ってくれた。Y氏は山芋もタケノコも掘るし家庭菜園も労なくこなす。小生、百姓生まれの百姓育ちだけれど草取りや山芋掘りなど「掘り」や「取り」のつく作業はやりたくない。つまるところ食べれるのは「頂き物」になってしまうが「私食べる人」ではないから「私、作る人」もこなす。
 今回の山芋、全長80㎝ほどあって、見ただけでも掘り取る気分は湧いてこない。それでも食べる気分は満々となるが、調理はとろろ汁で大満足である。小生に取って「グルメ」とは郷里にいた頃に食していたものに他ならなく、その辺が一般の言う「グルメ」と大きく異なるのである。
 さて今回、全てをとろろ汁にせず三分の一ほどを加熱調理してみた。擦り下ろしヨーグルト同量、蜂蜜、鰹節、卵を加え撹拌しレンジで魚が焼ける皿で加熱した。出来上がりはスイーツでもなくカルカン風でもなく卵焼きでもなし、まあ言うなれば正体不明の「ナンジャモンジャ焼き」か…。甘くなかったから醤油をつけ副食にしたが、甘く作ればスイーツとしておやつ位にはなりそうだ。小生的には「どんなもんじゃい!」で…。
             山芋の新メニュー「ナンジャモンジャ焼き」
 

猪の破壊を防ぎたい

2015-12-03 | 水辺環境の保全
 季節外れの刈り払いになった。夏の間、侵蝕者からの破壊を少しでも防止したいからあえて刈り払いはしなかった泥水池だが、枯草となってしまった状態を維持すると間違いなく猪の標的になる。体験的に猪は湿った部分、腐植質の多い部分などを毎夜掘り起こしている。その点では水辺は格好の標的なのである。
 獣害が無かった頃は刈り草はそのまま腐食させる対応で構わなかったが近年は嫌でも「場外運び出し」を励行し被害の軽減に努めねばならぬ。一方で小さな生物の環境保全の観点からでは「誤り」になってしまうのだが綺麗ごとは避け「環境破局」にならないための苦肉の労作である。
 レーキで刈り草を集め持ち出したが会友のY氏が手伝ってくれたので難なく一日で泥水地は終了した。残りはトンボ池周辺にもう一日必要である。
 レーキで枯草を集めていた時の事、水面に落ちた刈り草と一緒に既に水中に没していた枯草を引き上げたのだが、この中に大型のヤゴ多数、ホトケドジョウなども引き上げてしまった。当たり前と言えば当たり前で、今期は大型のヤゴが多いように感じている。結果として水中の植物体の引き上げは断念した。
 泥水池№5付近     沈泥池および№3付近

貴方は論理的じゃあないねぇ! 2

2015-12-02 | 感じるままの回り道
 さて、映画に採用された「雌牛の章 第7節から第12節」へのモヤモヤは「1」で記した。監督が言いたかったことと言いたかった相手は小生が想起している狂徒と同じかどうかは別にして再放送を待っている間に人質になっていたフランス人記者へのインタビューを視聴する機会があったが、それは小生も共感できる見解だった。要約すると人質期間中、彼らの凶友がしばしば揶揄いに来て慰み者にしたという事で、その実体験から幼児性を強く感じざるを得なかったと言う内容だった。
 「矩を越えず」という一節が論語にあるけれど、彼らの言動はまさしく「矩を超えた」そのものでしかない。小生はそこに幼児性を感じていたし大脳前頭葉の未成熟を推測もした。正しく適切な解釈かどうかは別にして、理由原因の大きな要因はゲーム世代の「ゲームでの刷り込み」が矩を低くしたというより「矩」そのものを消滅させたと思っている。
 貧しく虐げられた人々は何時の時代にも存在していたがこうまで人間としての矩を当然として超えられる世代はなかったのではないか。
 「林住記」に起こす内容ではないが、映画から久しぶりに喚起されたモヤモヤだったから整理してみたのである。はい、また「やっぱり貴方は論理的じゃあないねぇ!」とあの人に言われた気もしています。彼女、お岩木山を見つつ達者にしているのだろうか…。

今日のトンボ「今季見納め」まじか

2015-12-02 | 小父のお隣さん
 当地では既に初霜の便りがあった。ほどなくトンボのシーズンは幕を閉じる。シーズンの「とり」を務めるのは大方マユタテアカネと相場が決まっていると思っていたものの、今期はオオアオイトトンボも姿を並べたりしていた。珍しいと言えば珍しいのだろうけれど「ご苦労さん」てな気分で見ている。
 世話している訳でなく、勝手に産卵し羽化し飛翔しているだけのトンボであっても、何となく絆があるような気分なのは耄碌したせいもあるのだろう。12月になって姿を確認できているだけでもビックリなのだが、まだ交尾しているカップルがあったのもビックリだ。まあ、トンボの生態を知らないからそうなだけかもしれないけれど、大岡越前守母堂が火鉢の灰を掻いて示唆した故事からすれば、至極当たり前の性態、いいえ生態なのでしょうなぁ。
 ところでトンボの野合を熱心に撮影しようとしていた小生は「変態」に相当し軽犯罪法に触れるのだろうか。答えが見つからないと今夜は眠れない…。
             ➡ 

貴方は論理的じゃあないねぇ! 1

2015-12-01 | 感じるままの回り道
 学生時代、女友達から言われた一言が表題なのだが、未だにトラウマになって残っている。そのことはそうだとしても「それが何だ!」と言い返せばよかった…。最近になって「やはりそうかなあ…」と思い出したのが映画を見てからの事だった。
 10月だったか写真の映画を視聴し終わった後、妙に引っかかるシーンがあった。録画を消去した後だったから確かめる術は再放送だと放送予定を調べ録画予約をしておいた。要は「監督はこの映画で何を伝えたかったのか」と言う事なのだけれど、ネット上で見る意見や感想は小生とは全く異なっている。小生としては「女性監督が危険を冒してまで既に周知の日常や不条理を描写した」とは思えなかったがネット上の意見や感想はここに集約されありきたりだった。
 小生は1:09:30前後から始まるコーランの暗唱コンクールで主人公の少女ワジダが課題で暗唱した「雌牛の章、第7節から12節」が監督が伝えたい事だったのだと信じて疑わない。こんな意見は塵の様に少数派、また論理的でない事は承知だが、全節数5700を超える中から6節を選んだのは単なる偶然とは思えないし時代にマッチしている。確かめる術はなく「そうだ!」となれば標的になりかねないメッセージである。監督の義心と勇気に敬意を表したい。

 ここでENDにしたのだが肝心の「節」を省略したのでは小生以外は「なんのこっちゃい!」になってしまうから字幕スーパーを転載しておく。日本語訳の書籍を事前にあたってみたのだが判明しなかった理由がわかった。書籍と字幕の印象が大きく異なっていた。日本語訳も5種類はあると思っているが、字幕はどの書籍からの引用なのか字幕翻訳者の結果なのかは知る由もない。小生が参照した翻訳書より字幕スーパーのほうが印象強さがあった。以下は字幕からの引用である。

 ”アッラーは彼らの心も耳も封じ 目には覆いをされた”
 ”重い懲罰を科されよう”
 ”また 人々の中には アッラーを信じ 審判の日をー”
 ”信じると語る者がいるが彼らは信者ではない”
 ”彼らはアッラーと信者たちを欺こうとしているがー”
 ”自分を欺いている過ぎずに それに気づいていない”
 ”彼らの心に病がありアッラーが その病を重くした”
 ”その偽りのため 彼らには手痛い懲罰が下される”
 ”地上を退廃させてはならないといわれるとー”
 ”彼らは矯正するだけだと言う”
 ”だが彼らこそ退廃を引き起こす者だ”
 ”彼らは気づいていない”

越冬体 2

2015-12-01 | 小父のお隣さん
 拠点のバタフライキッチン、猪の掘り返しが酷く、掘り返し防止に役立つかとマーキングをしていた時の事。支柱にしていた竹の下部に幼虫がいるではないか。蛹化の途中の様で体は固定され動こうとはしない。心なしか体型も終齢幼虫とは微妙に異なる様に見えた。
 至近にミカンの樹があるしアゲハの幼虫に間違いはないだろうがナミアゲハなのかカラスアゲハ、はたまたミヤマカラスアゲハなのかはとんと見当がつかない。体側の模様がナミアゲハのように明確だけれど写真対照では推定の域を出ない。それはともかく地上高20㎝足らずの場所で大丈夫かと木に生る、いいえ「気になる」蛹化体だ。