人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「小澤征爾は出ないけど」 ~ 朝日・吉田純子編集委員の連載「ことばを奏でる 吉田秀和没後10年」第4回を読んで / 「レコード復権 中古品高騰」 ~ 日経の記事から

2022年06月03日 07時13分59秒 | 日記

3日(金)。昨日の日経朝刊 マーケット・商品ページのコラム「¥ 価格は語る」は「レコード復権 中古品高騰」という見出しで、中古レコードが10年で10倍にも高騰していることを伝えています 記事は主にポピュラー音楽のレコードを対象にしているので、クラシックも同様の傾向にあるのかどうかは分かりませんが、全体状況として参考になるデータも紹介されています

「日本レコード協会によると2021年のレコード生産額は前年比84%増の39億円と、22年ぶりに30億円を超えた 復権の背景にはデジタルからアナログへ向かう鑑賞の流れがある レコードをプレーヤーに置き、針を落とす一連の動作を新鮮に感じる人も多い コロナ禍で音楽フェスの中止が相次ぎ、在宅時間に音楽を『体験』する機会をレコードが提供している面もある。中古品高騰のもう一つの要因が世界的なレコード復権だ 全米レコード協会によると、米国では20年上半期にレコードの売上高がCDを逆転。21年は前年比61%増の10臆3800万ドル(約1340億円)に達した

自宅には4000枚のCDのほかに、約1500枚のLPレコードがありますが、上の記事にあるようなポピュラー音楽のレコードと同じように中古品が高騰しているなら、売り飛ばしてもいいかな、と「捕らぬ狸の皮算用」を目論んでいますが、世間はそう甘くないでしょうね

ということで、わが家に来てから今日で2700日目を迎え、世界の大手金融機関でつくるクレジットデリバティブ決定委員会は1日、ロシア国債の利払いが「不履行」(デフォルト)に当たると認定したが、これにより欧米から制裁を受けているロシアは、海外からの資金調達が長期間困難になると見られる  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     次々と外堀を埋められていくプーチン・ロシア帝国の崩壊は 時間の問題じゃね?

 

         

 

昨日、夕食に「トンテキ」「冷奴」「生野菜サラダ」を作りました トンテキにはキャベツが合います

 

     

 

         

 

朝日新聞朝刊に連載中の同社・吉田純子編集委員による「ことばを奏でる 吉田秀和没後10年」の第4回は「小澤征爾は出ないけど」です 記事は吉田秀和が館長を務めた「水戸芸術館」での出来事を紹介しています 超訳すると次の通りです

「2012年1月20日、水戸室内管弦楽団公演で音楽顧問の小澤征爾(86)が体調を崩し、公演の直前になって降板した 観客から怒号が飛んだ。館の職員が舞台に立ち、指揮者なしで演奏することを告げたが、場の空気はおさまらない その時、客席の吉田がゆらりと立ち上がった。どよめきと戸惑いの拍手がまばらに起こる。マイクを渡された吉田は、聴衆に目をやり、明瞭な滑舌で語り始めた 小澤は舞台に立てない。さて、どうする? 楽員全員に尋ねたところ、全員が『演奏したい』と答えた。そう吉田は切り出した 『小澤が出なくて残念だけど、演奏家たちがやるっていうならそれを聴いてやろう。そうお考えの方は、どうぞお残りください』。感情的なヤジに代わり、ゆっくりとわき起こった温かな拍手が会場を満たした 死の4か月前のこと。残ってくださいとも、帰ってくださいとも、私は言いません。決めるのはあなたです これが、吉田が聴衆に届けた最後のメッセージとなった。他者が唱える『客観的な評価』なるものに、自らの意思を委ねてはならない。どんな音楽が私は好きなのか。そう問うことが、他の何にも代えられぬあなた自身の存在の証しを世界に表明することなのだと

その時、会場にいた聴衆の多くは「小澤征爾が指揮をするというから、高いお金を払ってチケットを取ったのに、急な降板とは何事か しかも指揮者なしで演奏するとは」と思ったのではないかと想像します。その一方で、小澤は2010年には食道癌が見つかり、食道の全摘出手術を行い、2011年には腰の手術を行っており、それぞれ予定されていた公演から降板しているので、体調不良による降板はあり得ないことではないと考えた人も少なくなかったのではないか、と思います 私は後者で、小澤の指揮する公演は降板のリスクが高いのでチケットは買わないことにしていました

さて、ここで重要なのは、「他人の評価に振り回されてはいけない。自らの意思で評価すべきだ」ということです 「高名な音楽評論家がこう書いているから、多分それが正しい評価なんだろう」とか、「SNSで評価が高いから、多分みんながそう思っているんだろう」とかいうように考えがちですが、それは自分の評価ではありません 文中に「他者が唱える『客観的な評価』なるものに、自らの意思を委ねてはならない」とありますが、そもそも『客観的な評価』などはあり得ないのです 吉田さんが「~なるもの」と付け加えているのは、そういう意味を含ませているのです

私も普段から新聞やSNSを通じてコンサート評や感想を読んでいますが、読むこと自体は何の問題もありません 問題はそれらに振り回されて、もともと自分が思っていたことを修正してしまうことです あくまでも自分の意思で考えて書きたいものです


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