人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

春は曙~”山際”と”山の端”の違い~春の気配を感じて想うこと

2012年02月25日 06時54分06秒 | 日記

25日(土)。昨日、息子の力を借りながら新しいパソコンのセットアップをしました 前の機種がDELLのデスクトップだったので、同じDELLにしました。搭載するのはウィンドウズ7です。まあ、早い話が、私としてはブログが書けて、インターネットが出来て、メールとワードとエクセルさえ出きればそれだけでOKなのです。息子はゲームさえ出来ればいいようだし。長ーい春休み中の息子は徹夜でパソコンゲームをして昼間寝ています。トホホ

問題は古いパソコンの処理です。古いDELLはリサイクル法が出来た直前に購入したので、最初に「コンパック」で引き取ってくれるか調べてみたら、DELLは対象外となっていたので諦めました 次にパソコン3R推進協会に引き取りを頼んだところ、法律制定前の購入でも、有料にはなるがメーカーが引き取ることになっているとのことでした さっそくDELLに電話して引き取りを依頼しました。本体とディスプレイで6,300円かかるとのことで、引き取りまで2週間程度かかりそうです

ついでに娘の古いパソコンの引き取りのため、マックに電話すると、リサイクルマークが付いているので無料で回収してくれるとのことで、ラッキーでした こちらも時間がかかりそうです。

というわけで、このブログは新しいパソコンによる記念すべき第1号です

 

  閑話休題  

 

昨日は、今日と違って朝から何となく春の気配を感じる日和でした すぐ近くに春がやってきていることを感じました

さて、春というといつも思い出すのは大学予備校時代の古典の授業です。ン十年前のこと。あっさりと大学入試に失敗して浪人の身になり、親のスネをかじりながら高田馬場にあるW予備校に毎日通っていました

古典の授業で、清少納言の「枕の草紙」を取り上げました

「春は曙。やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

夏は夜。月の頃は,さらなり。闇もなほ。蛍とびちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨などの降るさへをかし。

秋は、夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏のねどころへ行くとて、三つ四つ、二つなど飛びいそぐさへ、あはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いとちひさく見ゆる、いとをかし。日入りはてて、風の音、蟲のねなど、はたいふべきにあらず。

冬は、つとめて。・・・・・・・・」

当時から私は古典が好きで、「徒然草」も「枕の草紙」も暗記するほど大好きでした さて、講師が問題に出したのは「山際(やまぎわ)」と「山の端(やまのは)」の違いを説明せよということです。答えは、「山際」は空から見て山の近くのことを指し、「山の端」は山から見て端のことを指すということです。当時、古典の大学入試問題の定番だったのではないかと思います

私が、「春になると思い出す」と言ったのは、その授業を担当した講師(名前は忘れました)が、よく授業を脱線させる人で、「自分には、真夜中に電話がかかってきて”今、一緒に飲みたいから来い”と言われた時、すぐにでも駈け付ける親友がいる」という話をしたからです 当時の私は受験戦争の真っただ中、自分以外は全員がライバルでしたから、”親友”と言われてもピンときませんでした。ただ、そういう親友がいるのはうらやましいと思いました 当時その講師は40代位でしたから、この世に存在しているか微妙ですが、人間味のある人でした 春の気配を感じて、そんなことを思い出しました。

振り返ってみれば、私は昔から音楽でも文学でもクラシック(古典)が好きだったようです

 

 

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