人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

村上春樹著「騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編(下巻)」を読む / エミール・クストリッツァ監督「ジプシーのとき」を観る~早稲田松竹

2019年04月20日 07時18分29秒 | 日記

20日(土)。わが家に来てから今日で1660日目を迎え、政府は19日の閣議で、トランプ米大統領夫妻を国賓として5月25~28日に日本に招待することを決め、この間に新天皇と会見、両国国技館での大相撲夏場所千秋楽に同氏を招く方向で検討している というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       今回の訪問で日米の貿易問題は 天皇山となるか千秋楽となるか トランプで占うか

 

         

 

昨日、夕食に「牛タン塩焼き+ハラミ焼肉+サンチェ」と「豆腐とニンジンとエノキダケと玉ねぎの中華スープ」を作りました ”料理”とは言えませんが、たまにはいいでしょう

 

     

 

         

 

村上春樹著「騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編(下巻)」(新潮文庫)を読み終わりました 

土曜日の午後に電話があった。相手は雨田政彦だった。彼は「これから(伊豆の高齢者療養施設に入院中の)父親に会いに行くが一緒に来ないか」と誘ってきた 「私」は騎士団長から”誘いは断ってはならない”と言われているので一緒に行くことにした。療養施設では 意識があるのかどうかも分からない雨田具彦に、「『私』はアトリエ兼住居に住まわせてもらっているが、屋根裏部屋は絵の保管に適している」と、暗に「騎士団長殺し」の絵がそこに隠されているのを発見したことをほのめかした すると彼は何も言わないがじっと「私」を見返して 何かを強く感じているようだった    その時、政彦のケータイに電話があり、彼は長い時間 部屋から退出することになった。すると、騎士団長が現われたので、「秋川まりえの行方を教えてほしい」と懇願すると、「少なからざる犠牲と、厳しい試練を伴う。具体的には犠牲を払うのはイデアであり、試練を受けるのは諸君(「私」)だ」と答える。「どうすればよいか?」と訊くと、「あの『騎士団長殺し』の画面にならって、わたしを殺せばよい」と言う 迷いに迷ったうえ「私」は出刃包丁で騎士団長を刺し殺す。ベッドに横たわる雨田具彦は目を見開いてその光景を凝視していたが、その後 深い眠りに落ちていった。よく見ると「騎士団長殺し」の絵の隅に描かれていた人物(顔なが)が部屋の隅にいるのが見えた 「私」は彼を捕捉し「秋川まりえの居場所を教えろ」と迫ると、「メタファー通路を通っていく必要がある」と答える。「私」は彼の導きで穴に入っていき、懐中電灯を頼りに前を進んでいく。すると川があるので舟にのって対岸に渡る。そこに待っていたのは「騎士団長殺し」の絵の中に描かれたドンナ・アンナだった 彼女の案内で洞窟に入っていったが、穴はどんどん狭くなっていった 疲れてしばらく眠りについたつもりが9時間くらい経ったところで目が覚めた 「大丈夫ですか?」という声が聴こえるので上を見ると、免色がいた 「私」はあの「雑木林の穴」の中にいたのだった その後、「私」は秋川まりえが無事に叔母の住む家に戻ったことを知る。後日、叔母に連れられてきた秋川まりえと二人きりで話すことになり、「私」は自分がこの数日で経験したことを正直に話し、まりえも4日間どこで何をやっていたのかを話した 彼女はまったく予想もできない所にじっと潜んでいたのだった。「私」はまだ正式には離婚していないが妊娠しているという妻ユズと再会し、再び生活をともにすることにする その後、東日本大震災の2カ月後、「私」が住んでいた雨田具彦の所有する小田原のアトリエ兼住居が火災で焼け落ちる 「私」はその知らせを聞いて、あの「騎士団長殺し」の絵も大量のレコード・コレクションも家と共に焼けてしまったのだろう、と思った 「騎士団長はほんとうにいたんだよ」と「私」はそばでぐっすり眠っている娘の”むろ”に話かける

 

     

 

これで「騎士団長殺し」は完結したわけですが、率直な感想としては、免色は自分の娘かも知れない秋川まりえの失踪にもっと深くかかわっていたのではないか、と思っていたのに、肩透かしを食わされたということがひとつです やっぱりな、と思ったのは、すべての根源になっている「騎士団長殺し」の絵が建物とともに火災で焼失してしまったことです これによって、「騎士団長殺し」は「私」と秋川まりえの二人の心の中にしか残らないことになります

この下巻でもクラシックが出てきます。前回ご紹介したリヒャルト・シュトラウス「薔薇の騎士」も再び登場します

「それから歌劇『薔薇の騎士』のことも思い出した コーヒーを飲み、焼きたてのチーズ・トーストを齧りながら、私はその音楽を聴こうとしている。(中略)リヒャルト・シュトラウスは戦前のウィーンでウィーン・フィルハーモニーを指揮した。その日の演奏曲目はベートーヴェンのシンフォニーだ 物静かで身だしなみがよく、決心の堅い7番のシンフォニー。その作品は明るく開放的な姉(6番)と、はにかみ屋の美しい妹(8番)とのあいだにはさまれるようにして生み出された 若き日の雨田具彦はその客席にいた。隣には美しい娘がいる。彼はおそらく恋をしている

私がこの文章を読んで真っ先に感じたのは、「物静かで身だしなみがよく、決心の堅い7番のシンフォニー」は、いつもきちっとした身なりで颯爽としていて、強い意志をもっている中年男=面色のことを指しているのではないか、ということです 筆者がそこまで考えていたかどうかは分かりませんが、終始ミステリアスな雰囲気を醸し出している面色の素顔を表していると思います

免色が自宅でピアノの練習をするシーンがあります

「夕方前に免色はピアノの練習を始めた。たぶんモーツアルトのソナタだ。長調のソナタ ピアノの上にその楽譜が置いてあったのを覚えている。彼はそのゆっくりした楽章をざっと通して弾いてから、いくつかの部分を繰り返し練習した。(中略)モーツアルトのソナタの多くは、一般的に言えば決して難曲ではないが、納得がいくように弾こうとすると、往々にして深い迷路のような趣を帯びてくる そして、免色はそのような迷路にあえて足を踏み入れることを厭わない人間だった

ここで筆者が「長調のソナタ」と書いているのは、何となく「ピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545」のことではないか、と思います モーツアルトは、自身が作成した自作品目録にこの曲を「初心者のための小さなクラヴィーア・ソナタ」と記しています さらに言えば、筆者は「そのゆっくりした楽章を~」と書いていることから、第2楽章「アンダンテ」ではないか、と思います

また、「決して難曲ではないが、納得がいくように弾こうとすると、往々にして深い迷路のような趣を帯びてくる」という記述は、モーツアルトの作品の演奏でよく言われることです 「邪心のない子どもが弾く演奏が良い」とか、「即物的に弾くのが良い」とかよく言われます。私は内田光子さんの演奏が好きでよく聴いています

 

     

 

私はピアノが弾けないので、弾く側の立場はどうなのかは実際にはよく分かりませんが、「それでは 同じK.545のソナタでも グレン・グールドのように極端に速いテンポで駆け抜ける演奏はどう考えるべきか」と問われると、非常に困ります 正直に言うと、グールドの演奏を聴いていると、聴かれるのを拒否しているのではないか、とさえ思えてきます その割には彼は鼻歌を歌いながら演奏しているのがCDから聞こえて来ます 実に捉えどころのない男です

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でエミール・クストリッツァ監督・脚本による1989年イギリス・イタリア・ユーゴスラビア合作映画「ジプシーのとき」(142分)を観ました

舞台はジプシーたちが生活する旧ユーゴスラビアの小さな村。粗末な祖母の家で足の悪い妹や放蕩者の叔父メルジャンと暮らすペルハンは、不思議な魔法とジプシーの誇りを祖母から授かり受けた心優しい少年だった ぺルハンは美しい娘アズラに恋をしたが、貧しい彼との結婚に彼女の母親は反対する。ある日、悪事をして稼ぐ村一番の金持ちアーメドを頭とするジーダ兄弟が村に帰って来る 叔父メルジャンもカード賭博のカモにされ借金を背負う。ある日、祖母の魔術がアーメドの息子を急病から救ったことで、アーメドはぺルハンの妹の足を治すことを約束する。ぺルハンも同行して病院に行くが、アーメドは妹を病院に入れると無理やりぺルハンをイタリアに連れて行き、ジプシーの”生活の糧”の一つである盗みや物乞いを教え込む ペルハンは次第に悪事を働くようになり、アーメドから腕を見込まれボスになる。久しぶりに故郷に帰ると、アズラは妊娠しており、アーメドが約束していた家は建っておらず、ペルハンは誰も信じられなくなる アズラとは結婚することになるが、新妻は花嫁衣裳のまま子どもを産み、息絶える。彼はその子を我が子として受け入れられない 彼は妹を病院に訪ねるが、行方不明になっている イタリアにも戻ってやっと妹と再会する。口先ばかりで約束をまったく守らないアーメドに復讐しようと、ペルハンは彼の結婚式に乗り込み、魔力でホークを使いアーメドを刺し殺す 逃げるペルハンを、夫を殺された新妻が追い、鉄橋の上にいる彼に向けて拳銃を放つ

 

     

 

映画を観ていて気が付いたのは、出演する人々が妙に素人っぽいということでした 後で調べてみたら、この映画の出演者のほとんどは演技経験のないホンモノのジプシーだとのことです また、セリフの90%はジプシーの話すロマ語だそうです

この映画には人間とともにたくさんの動物たちが登場しますが、ぺルハンが飼っている七面鳥が特に可愛い 叔父メルジャンが大きな鍋でグツグツ煮てしまったときのぺルハンの怒りは半端ではなく、超カワイソーでした

全編を通して菅楽器主体による音楽が流されますが、ジプシー音楽、セルビア正教の聖歌、イタリア伝統音楽などをミックスして作り上げたのは、旧ユーゴのロックバンド”ホワイト・ボタン”のゴラン・ブレコヴィッチだそうです ジプシー音楽が大きな影響を与えたブラームスの音楽は、残念ながら使われていませんでした

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