23日(水・祝)。朝日新聞連載の「語る 人生の贈りもの 井上道義」は昨日6回目を迎えました 見出しは「目が覚めた コピーじゃだめだ」です 第5回目の連載で井上は24歳の時イタリアのミラノ・スカラ座主催、グィド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝し、その後イタリアに渡り、すべてが完璧主義者の名匠セルジュ・チェルビダッケに出会い、指揮を師事することになった経緯を語っています 第6回ではそのチェリビダッケの厳しさについて語っています 超略すると次の通りです
「20代後半で本格的に世界各地で指揮の仕事をすることになったが、いったい『何が正しい音楽なのか』が分からなくなった 27歳の時、ハンブルクで現地のオケを振っていたら、偶然チェリビダッケも自分のオケを連れて来ていた。コンサート終了後、楽屋を訪ねたら『まだ半人前のくせに、人前で指揮をするなんてノボセルナな!』と怒鳴られた もっと優しく言ってもらいたかったが、その時目が覚めた 芸術を志す者は、誰かのコピーになっちゃいけないと 完璧主義のチェリビダッケの影響を、自分はあまりにも強く受け過ぎていたのだ 14歳の時に指揮者になると決めて、その通りに指揮者になって、これが初めての挫折だった」
井上道義のあの”誰かの真似でない”唯一無二のスタイルは、チェルビダッケのひと言から生まれたものだったのですね 人には挫折が必要だという教訓と受け止めました
ということで、わが家に来てから今日で2872日目を迎え、1等前後賞合わせて10臆円が当たる年末ジャンボくじが22日 発売され、東京・銀座の宝くじ売り場「西銀座チャンスセンター」には朝から長い列ができた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
他力本願の宝くじはお金をドブに捨てるようなものだ というのがご主人さまの口癖
もうすぐ息子の誕生日が来るので、いつもの今半からすき焼き用牛肉を鶴岡に送ってあげました ということで、こちらも夕食はすき焼きにしました
早稲田松竹でポーランド生まれの名匠クシシュトフ・キェシロフスキ監督による1988年製作映画『デカローグ』(全10話)のうち第5話と第6話を観ました
第5話「ある殺人に関する物語」(60分・カラー)
青年ヤツェックはタクシー運転手を殺害した 若き弁護士ピョートルは尽力するが力及ばず、極刑の判決が下される 刑執行の日、ヤツェックはピョートルを呼び出し、自身の家族のことを語り出す。そして最後の時が訪れ、刑が執行される
タクシー運転手は乗車拒否の常習犯で、気に入った客しか乗せません ヤツェックは告げた行先が遠かったせいか乗ることができます そしてヤツェックはその運転手をロープで挟殺します 彼は運転手に恨みがあったわけではなく、現代社会で流行の「相手は誰でも良かった」ようです 最後の日、ヤツェックが弁護士ピョートルに話したのは、友人が幼い妹を酔って運転したトラクターで轢き殺したということと、自分の遺体は妹と同じ墓に埋葬してくれるよう母親に伝えてほしいということでした マツェックはそれほど妹を愛していたと言えます。その妹が殺された腹いせに、誰でもいいから殺したかったのかもしれません
第6話「ある愛に関する物語」(61分・カラー)
郵便局で働く19歳のトメクは毎夜、向かいのアパートの部屋に住む美しい女性マグダを望遠鏡で見つめている 彼は郵便局員という職権を利用してあの手この手を使い何とか彼女への接近を試みる トメクは遂にマグダに「愛している」と想いを伝え、デートすることになるが、子ども扱いされる 彼は絶望して剃刀で手首を切り入院してしまう すると、こんどはマグダの方がトメクのことが気になり、郵便局に行って彼が職場復帰したかどうかを確かめたりする そして、マグダは郵便局の窓口に戻ったトメクを訪れるが、トメクは「もう覗かないよ」と言う
トメクのマグダに対する愛はプラトニックなものだったのに対し、マグダの愛の基準は肉体的なものだったことから、意識のすれ違いが起こっていたと言えます
それにしても、アパートに独り住む若い女性が、1日中カーテンを開けっぱなしで生活していて、向かいのアパートから覗かれている、というシチュエーションはリアリティに欠けると思いますが、「おいちゃん、それを言っちゃあおしまいよ」ということなのでしょう トメクとマグダの愛の行方はどうなるのだろうか