6日(土)。昨日の朝日朝刊のコラム「社説 余滴」に科学社説担当・大牟田氏の「『偽文化財』を楽しむ」という見出しのエッセイが載っていました 超訳すると
「東京藝大の宮廻教授らは世界の名画の高精細複製画を手掛けている。彼らは科学分析や3Dプリンターなどの最先端技術と、修練を積んだ人の手による修復の技を組み合わせた『クローン文化財』制作を研究している 通常の鑑定ではオリジナルと見分けられないほど再現性を高めることができる クローンはオリジナルを損なうことなく、気楽に鑑賞できるのが利点である 国際的な名画を間近で得心のいくまで眺められる。貴重な文化財を『宝の持ち腐れ』にせず、広く一般の人たちに魅力を届ける。クローンには大きな可能性があるのではないか。それはオリジナルの魅力を減らすことではない 大みそか、ベートーべンの9つの交響曲を小林研一郎氏が一人で指揮するコンサートがあり 聴きに行った 初めて全曲を生で通して聴き、CDでは得られなかった発見がいくつもあった。途中のトークで作曲家の三枝成彰氏が『初演当時、ベートーべンを聴く機会は今のようになかった』と語るのを聞き、名曲を気軽に聴ける環境が現代になって成立したことに、はたと気づいた 技術が先達の文化的果実を一般に広める。感じ、味わう楽しみを知った人々が、オリジナルとのより深い出合いに赴く。そんな技術と人間の幸せな関係を夢見る」
この論考を読んで思うのは、同じ芸術でも、音楽作品は楽譜と手段(楽器等)さえあれば いつでもどこでもホンモノの音楽として再現できるけれど、美術作品は「オリジナル作品は一つしかない」から、いくらそっくりでもオリジナル以外はコピーつまりニセモノに過ぎないと考えられるということです さらに言うと 音楽の場合は、楽譜に書かれた音楽記号が音として再現できるのであれば、生演奏であろうが CDであろうが DVDであろうが、時と場所と手段を選ばず、ホンモノを聴くことができるということです その点、美術作品はオリジナルは「世界に一つしかない」から、それを見たり触れたりするにはその場所まで行かなければならないので、気軽に楽しむことが出来ない したがって、せめて最先端技術によって再現されたクローンによって美術作品を楽しめるようになるのが望ましいのではないか ー というのが大牟田氏の主張だと思います
最先端技術によってつくられた「クローン文化財」がいくら本物そっくりでも、どうしても「ニセモノ感」を拭い去ることはできないと思いますが、名画等を広く一般に知らしめるためには 音楽におけるCDやDVDのように作品を味わうための手段と割り切って鑑賞するのも あながち悪いことではないように思います もっとも、CDやDVDによって再生される音楽はホンモノであることに違いはありませんが
ということで、わが家に来てから今日で1193日目を迎え、5日午前11時過ぎ 茨城県と石川県で相次いで地震があり、2つの地震を一つの大きな地震と認識したため 東京など8都県に緊急地震速報が出た というニュースを見て感想を述べるモコタロです
小さな地震を2つ合わせて大地震にする そういうの地震過剰って言うんじゃね?
昨日、夕食に「ビーフシチュー」と「生野菜サラダ」を作りました わが家では、牛肉はブロックではなく細切れ肉、ジャガイモはいつも通り皮付きのままで 20分の時間差を置いて投入したので煮崩れしていません これは煮込み料理では常識ですよね、奧さん
早稲田松竹で「この空の花 長岡花火物語」を観ました これは大林宣彦監督による2011年の作品(160分)です
熊本・天草の地方紙記者・玲子は、新潟県長岡市に暮らす昔の恋人だった教師の片山から、生徒・元木花が創作した「まだ戦争は間に合う」という名の舞台と長岡名物の花火を見て欲しいと手紙で伝えられる 玲子はこれを機会に、東日本大震災の被災者を迅速に受け入れた同地の様子も見て回ることに決め、大震災のあった11年夏 現地にやってくる 市内を旅する中で、様々な人に出逢い 様々な出来事に遭遇して不思議な体験をするが、それらがすべて空襲や地震から立ち直って来た長岡の歴史に密接に関わっていることに気付いていく
見終わった後で目に焼き付いているのは、一輪車を自由自在に乗り回す女子高生・元木花と大空に咲く大倫の花火です。どちらも「輪」でつながっていますが、輪廻転生を連想します 元木花は戦争で亡くなった女児のはずで、その花が現代に生きて舞台の台本を書いている、つまり時空が超越していることからもそう思います。戦争や大震災で亡くなった人たちの魂はいつかまた生まれ変わってこの世に出現するのではないか、と。この映画の趣旨からは外れているかも知れませんが、正直そう思いました
また、時間と空間を超越して物語が進行することから、ストーリーが複雑に入り組んでいるので どうしても長くなりがちで、地元 長岡の皆さんには足りないくらいの長さかも知れませんが、純粋に映画を鑑賞する部外者から観ると2時間40分は若干長すぎるきらいがあります もう少し焦点を絞って展開すればスッキリするような気がします。素人考えですが どうでしょうか
ところで、劇中劇の原子爆弾に関するナレーションだったと思いますが、「文明が文化を破壊する」という表現が出てきて 強く印象に残りました 確かに、科学文明の究極の姿として原子力の活用が実用化したわけですが、使い方を誤ると 原子爆弾のように文化財を破壊することになるのですね これを機会に「文明」と「文化」について あらためて考えを巡らせるのも良いかも知れません
本はいつも池袋のジュンク堂書店で買うのですが、昨日は久しぶりに神保町の三省堂書店に行って文庫本を5冊買ってきました
1冊目はR・D・ウィングフィールド著「フロスト日和」(創元推理文庫)です 「フロスト・シリーズ」はいつか読もうと思っていた作品です 分厚いので(この本は715ページ)今まで敬遠してきましたが、やっと読む決心しました
2冊目は早見和真著「イノセント デイズ」(新潮文庫)です 「新潮文庫紅白本合戦」の「男性に売れた本」で第2位に入ったそうです。何それ この人の作品を読むのは初めてです
3冊目は真山仁著「売国」(文春文庫)です 真山仁氏は社会性のあるテーマを選んで書いていますね
4冊目は井岡瞬著「代償」(角川文庫)です 帯の「全国の書店で続々1位」の売り文句に騙され、もとい、誘われました この人の作品を手に取るのは初めてです
5冊目は中山七里著「嗤う淑女」(実業の日本社文庫)です 中山七里氏の作品は今年すでに2冊読みましたが、次々と文庫化されるのでついて行くのが大変です
6冊目は歌野正午著「ずっとあなたが好きでした」(文春文庫)です 歌野正午氏の作品は「葉桜の季節に君を想うということ」を読んで、「してやられた!」と思ったほど、読者を騙すのが上手い作者です この作品にはどんな仕掛けがあるのか、楽しみです
いずれも分厚い本で読みごたえのある作品ばかりですが、読み終わり次第 順次 当ブログでご紹介してまいります