人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「未完成」「運命」「新世界より」三大交響曲を聴く~読響サマーフェスティバル

2014年08月17日 07時38分26秒 | 日記

17日(日)。昨日、サントリーホールで読売日本交響楽団のサマーフェスティバル「三大交響曲」コンサートを聴きました プログラムは①シューベルト「交響曲第7番ロ短調”未完成”」、②ベートーヴェン「交響曲第5番ハ短調”運命”」、③ドヴォルザーク「交響曲第9番ホ短調”新世界より”」の3曲。指揮は神奈川フィル常任指揮者・川瀬賢太郎です

 

          

 

自席は1階21列15番、左ブロック右通路側席です。会場はほぼ満席 このコンサートに来る人はどんな人たちなのでしょうか。読響の定期会員はもちろん居るでしょう。私のように「夏はコンサートが少ないから貴重な機会なんだよね」という人も居るでしょう。何となく、在京オーケストラの定期コンサートの聴衆とは違った顔ぶれ(初めての人とか、年に1回の人とか)のように思います

オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスというオーソドックスな配置をとります。コンマスのダニエル・ゲーデの合図でチューニングが行われますが、オケの面々を見渡すと”男社会の読響”に若干変化が表れているのか、弦楽器を中心に女性奏者が以前より多いように思います

川瀬賢太郎が登場し、1曲目のシューベルト「交響曲第7番”未完成”」が、低弦の響きで始まります この曲は、長い間「第8番”未完成”」と呼ばれてきましたが、研究の結果、最近では「第7番”未完成”」と呼ばれています したがって、「第9番”ザ・グレイト”」と呼ばれていたハ長調の交響曲は「第8番”ザ・グレイト」となりました

川瀬のテンポの良い指揮ぶりを見て、ヴィオラの首席を見ると鈴木康治の姿が目に入りました 彼の顔と姿を見ると、どうしても声帯模写のコロッケを思い浮かべて仕方ありません それは外見だけで、彼はかつてベルリン・フィルの契約団員だったほどの実力者なのです 侮ってはいけません

それにしても、シューベルトは、この「未完成交響曲」1曲だけでも、その名が歴史に残ったでしょう。静かな情熱を湛えた素晴らしい名曲です

2曲目はベートーヴェンの第5番”運命”です。川瀬は若さに溢れる指揮で、身体全体を使ってベートーヴェンの”運命”に対峙します 若い指揮者の中には、高齢の巨匠指揮者のように落ち着いた老成ぶりを見せる人もいますが、川瀬のように、若い時には身体を張って元気溌剌と指揮をした方が好ましく思います。いいじゃないですか、多少羽目を外すくらいが 小気味の良いベートーヴェンでした。その理由の一つは、ティンパ二の強打にあると思います。また、第1楽章終盤の蠣崎耕三のオーボエ・ソロは流石は首席といった”聴かせる”演奏でした

休憩時間には、トイレに長蛇の列が出来ていました 在京オケの定期公演ではこれ程長い行列はできないと思います。やっぱり聴衆の顔ぶれが違うのでしょうか?「トイレ行きたい!」「早く行っトイレ!」てか

休憩後はドヴォルザーク「交響曲第9番”新世界より”」です。ドヴォルザークは、この「新世界交響曲」1曲だけでも、その名が歴史に残ったでしょう この曲の”キモ”は第2楽章「ラルゴ」です。コーラングレのソロはいつ聴いても郷愁をそそられます また、同じ楽章終盤の弦楽器の首席奏者だけで演奏するメイン・テーマは、室内楽的な魅力に溢れていて、しみじみと聴きほれました

演奏後、聴衆の拍手に応えて、川瀬がコーラングレを始め管楽器奏者を立たせ、次いで、弦楽器の首席だけ8人を立たせようと指示したのですが、コンマスのゲーデが立たなかったので、ほかの首席奏者は遠慮して誰も立ちませんでした これって、指揮者の立場がないですよね 立場がないから座ってたって?・・・いやいや、座っていたのは首席奏者であって、指揮者ではありません コンマスがゲーテだったら「立つべきか、立たざるべきか、それが問題だ」と迷うのは分かりますが、ゲーデだったので即、立つべきでしたね

コンサートが終わってホールの外に出ると、雨が降っていました。暑いさなかの一服の清涼剤でした

 

          

         

コメント
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