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今日の筆洗

2021年03月20日 | Weblog
 作家井上ひさしさんには本名の「井上廈(ひさし)」で仕事をした時期があった。正しく読んでもらえず、中国の地名「厦門(アモイ)」や「草履」から「あもい」「ぞうり」と呼ばれたこともあったそうだ▼親に猛反対されながら、だれもが読めるひらがなの筆名を名乗ったところ、ショーやお笑い番組の台本の仕事が増えたという。井上ひろしさんの分のギャラまで誤って支給されたらしい。「改名は三文の得」。そう題した随筆に、書いている▼今になれば、あの作品世界に、やさしい印象の筆名以外はふさわしくないように思える。「親不孝」の念からの葛藤もあったようだが、三文どころではない価値のある改名ではなかったか▼こちらの改名は、何文の得だろう。台湾発のニュースによると、回転ずしチェーン店「スシロー」が台湾で、サケを意味する「鮭魚」という字が名前にある人を対象に、「無料食べ放題」のキャンペーンを実施したところ、少なくとも百三十五人が改名した▼三回まで改名できる台湾の仕組みが大きいようで、すぐに元の名前に戻す人もいたという。ただ、いっときにせよ、違和感がありそうな名前だ。葛藤もあったはずである▼「名を捨てて実を取る」ということわざも、「利を取るよりは名を取れ」ということわざもある。ちょっと驚かされて、所変われば名前の重みも違うのかとも考えさせるニュースである。

 


今日の筆洗

2021年03月18日 | Weblog

 季節外れな話となるが、イソップに「セミとキツネ」という話がある。セミを食おうと狙うキツネがセミに木から降りるようそそのかす。「とてもいい声だ」「この声の持ち主はどんな生き物かな」…▼警戒するセミは試しにと、一枚の葉を落とす。勘違いしたキツネは葉に襲いかかり、セミはたくらみに気が付く▼われわれにも「木から降りておいで」と声がかかっているようである。新型コロナウイルス感染対策の緊急事態宣言。菅首相としては宣言が延長されていた東京など首都圏の一都三県についても二十一日をもって解除したいらしい▼解除となれば二カ月半ぶり。そう聞いても晴れやかな気分になれないのは本当に大丈夫かという心配のせいだろう。セミを誘うキツネの甘い声を聞いている気にもなる▼なるほど、病床使用率は下がっている。半面、肝心の新規感染者の減り方は胸を張れるほどではない。感染力が強いと聞く変異ウイルスの影響も恐ろしく、解除で感染再拡大を招けば、今後、ワクチン対応に集中したい医療機関にまた大きな負担をかけることになる▼生活上のストレスや経済を思えば、いつまでも宣言を続けるわけにはいくまいが、せめて、解除の場合は安全を確かめながらゆっくりと木を降りる慎重なセミとなりたい。浮かれ、元の生活を急げば、コロナというたちの悪いキツネの思うつぼだろう。


今日の筆洗

2021年03月17日 | Weblog

 三人の役者がいる。いずれも芸歴、家の格は同じ。こういう場合、難しいのは座布団の置き方だそうだ。誰を上座にすえるか。うまくやらないともめる。会社の宴会にも似た苦労があるか▼ある知恵者はこう収めた。上座にした者に「当然、あなたです」と言う。問題は残る二人。真ん中に座る者には「二人を両端とし、あなたを真ん中にいたしました」、下座の割を食った者には「まとめ役でございますから」と言うのだそうだ。これなら大きな波風は立つまい▼座布団の位置や順番はそのまま地位や敬意の大きさにつながり、気にもなる。たぶん、米国側は日本人が上座や「一番」に弱いことを知っているのだろう。菅義偉首相の四月訪米である。バイデン大統領が就任後、対面で会談する最初の外国首脳となるそうだ▼「一番」に選ばれた首相は悪い気はしないだろうが、気になるのはその対価である▼中国の東シナ海などでの動きに警戒を強める米国としては日本と協力して対応したい。日米関係は外交安保の基軸とはいえ、「一番」に気を良くして、米国のペースに乗れば、経済的な結び付きが強い中国との関係はのっぴきならぬことになる▼ファースト・ペンギンとは海の安全を確かめるため、群れの中で一番に海に飛び込んでいくペンギンのことだそうだ。へそ曲がりは「一番」の名誉よりも、あのペンギンを心配する。


今日の筆洗

2021年03月16日 | Weblog

 ラジオから流れてきた曲が気になった。ドラムが実にいい。「うまいなあ、このドラム…」とつぶやくとまわりが教えてくれた。「なにを言っているんですか、あなた(の演奏)じゃないですか」▼自分の演奏に気付かなかったのには理由がある。日本を代表するドラマーの村上“ポンタ”秀一さんが亡くなった。七十歳▼スタジオミュージシャンとして録音に参加した曲数は一万五千曲を超えるという。キャンディーズの「春一番」、ピンク・レディーの「UFO」、山口百恵さんの「プレイバックpart2」。多すぎて自分でもどの曲でドラムをたたいたか、分からなくなっていたそうだ▼専門のジャズは無論、ロック、フォーク、歌謡曲と幅広いジャンルで縦横無尽にスティックを振るった。「ガッチャマン」の主題歌のドラムもこの人と聞く。名前は知らずとも日本人の多くがどこかでその音を聴いているはずだ▼歌心のあるドラムの秘密は歌詞を読み込むことだったらしい。単にリズムを刻むのではなく、歌詞と歌の世界を理解した上でたたく。その仕事に声が掛かるわけである▼一九七二年、米国で見どころのあるギタリストと会った。「おまえは精進すれば、いいギタリストになれるぞ」と励ました。声を掛けた相手は既にギターの神様だったエリック・クラプトン。逸話に自信にあふれたドラムの音が聞こえてきた。


今日の筆洗

2021年03月13日 | Weblog

 十代半ばの才能豊かなその少年は、ナチス・ドイツ占領下のオランダで、一台のラジオをつくった。母国の亡命政府による放送を家族に聞かせてあげるためだったという。受信妨害の向こうから聞こえてくる声には、自由の響きがあったはずだ▼少年は後にカセットテープの父となる。オランダ人技術者ルー・オッテンスさんである。九十四歳で亡くなった。訃報で初めて発明者であったと知ったが、欧州メディアによれば、電機大手に勤めた時の功績という。上着のポケットに入る大きさをイメージして開発したらしい▼あまり見なくなったが、忘れられない人は世界に多いはずだ。革命的なメディアである。音源が限られていた時代、自分だけの音楽の世界をつくり、持ち出してだれかと楽しむことも可能にした。やがて歩きながら聞けるようにもなる。自由を感じさせてくれたのがカセットテープだろう▼息を詰め、好きな曲の始まりに合わせて、録音ボタンを押していたのを思い出す。ツメを折り忘れて、音を消してしまったり、「四十六分」に収まらず、録音が途中で終わったり…失敗もまた、どこか自由を思わせて懐かしい▼オッテンスさんは控えめな方であったという。同僚をたたえている。家族にも功績について多くは語らなかったらしい▼入っていた音楽とともにカセット人気は復活しているようだ。恩恵は今なお。


今日の筆洗

2021年03月12日 | Weblog

 中世の欧州でペストがはやると、ユダヤ人が毒をまいたせいだという流言が広がり、各地で迫害が起きている。幕末の日本でもコレラが流行した際、似た理屈で「異国人」が迫害の対象になったという▼<疫病がひとを襲うとき、いつも憎悪というもひとつの疫病が流行し…不幸に不幸をかさねる歴史を性懲りもなく繰り返すのである>。歴史学者の立川昭二さんは、三十年以上前の著書『病(やま)いと人間の文化史』で歴史をひもときながら書いている。「憎悪の心理感染」への警鐘である▼憎悪の心理感染を思わせる不気味なニュースが、コロナ禍の米国から報じられている。アジア系住民に対し、人種的な憎しみを背景にしたとみられる暴力が、西海岸の都市などで昨年から増えたという▼最近もタイ系の男性が路上で襲われ死亡するなど、事件が相次いだ。ロサンゼルスのリトルトーキョーの寺院が、破壊にあったと報じられた。日系人も無縁ではない▼トランプ前大統領が「中国ウイルス」「中国感染症」などと繰り返した影響を多くのメディアが指摘している。コロナに関し、中国の責任を問う人は多いが、大統領の発言である。憎んでもいいのだと解釈する人間が増えてしまったおそれがありそうだ▼トランプ氏が権力の座を去っても衰えていないようで不気味だ。憎悪の心理感染への特効薬もワクチンも見つかっていない。


今日の筆洗

2021年03月11日 | Weblog

 学校にいる時、大きな揺れが襲ってきたそうだ。九歳の少年は高台に避難したが、やがて辛(つら)い事実を知る。父親と祖父母が津波で亡くなった。九歳の少年には抱えきれぬほど大きな悲しみだったはずだ▼避難所で、野球のボールを見つけたそうだ。グラブは誰かから借りた。悲しみの中でも野球を続けた。悲しいからこそ野球で忘れたかったのかもしれぬ。少年は大きな被害を受けた故郷の町を離れ、別の町に移り住んだ▼中学で腕を上げた。が、腰を痛めて、大切な試合で投げられなかった。悔しくて泣いた。どこまでも少年に悲しみと困難が追いかけてくる▼高校でその才能は一気に花開く。百六十キロ近い速球。日本中の注目を集めるが、再び、不運がめぐってくる。甲子園出場をかけた地方大会の決勝。少年の故障をおそれた監督は登板の回避を決断した。その判断は責められないが、甲子園の夢は消えた▼そして明日である。説明はいるまい。マリーンズの佐々木朗希投手。岩手県陸前高田市出身。十二日のオープン戦で投げるという。初の実戦登板となる。東日本大震災から十年。苦労を重ねた、あの日の少年がプロのマウンドに立つ。同じ悲しみを知る被災地にとって、登板は喜びであり、励みとなろう▼初球は直球か。十年が経過しても残る被災地の痛み。万感こもる速球が痛みを少しでも忘れさせてくれたらと願う。


今日の筆洗

2021年03月10日 | Weblog

 先日亡くなったテレビプロデューサーの鴨下信一さんが著書『昭和のことば』で、紹介していた曲を聴いてみる。覚えやすくて朗らかな曲調にかえって恐ろしくなる。曲は「なんだ空襲」(作詞・大木惇夫、作曲・山田耕筰)という▼一九四一(昭和十六)年、戦意高揚を目的に作られた。後の歴史を思えばあまりに残酷な歌詞だろう。<警報だ、空襲だ それがなんだよ備へはできてるぞ><敵機何台来ようと平気だよ><持ち場持ち場にかけよう命>。敵機は恐るるに足らない<蚊とんぼ、とんぼ>、焼夷(しょうい)弾は消せる<火の粉>と歌っている▼四五年の東京大空襲から十日で七十六年となる。空襲は<それがなんだよ><平気だよ>どころではなく、大勢の命を奪っていった。戦争末期とはいえ、あの勇ましい歌を信じていた人もまだいたはずだ▼空襲が奪ったのは命や財産ばかりではない。作家、吉村昭さんの体験である。ある空襲の夜、寝間着姿の高齢女性が道を這(は)っているところを見た▼抱え起こすと、「残されまして、残されまして」と繰り返す。家族に置き去りにされ、追いつこうとここまで這ってきたらしい▼どんな事情があったか分からないが、空襲という極限状態に人はまともな心を奪われ、家族さえ捨てさせるのか。「なんだ空襲」の虚(むな)しさに「地獄なんだ空襲」とつぶやく。ほんの七十六年前のことである軍歌】

 

なんだ空襲-歌詞付-