ボブ・ディランの「風に吹かれて」が書かれたのは一九六二年というからおよそ六十年である▼武器が永久になくなるまでに何度砲弾が飛び交わなければならないのか。自由を許されるまでに何年、あの人たちはあのままなのか。ノーベル文学賞を受けたシンガー・ソングライターが二十一歳の時に書いた歌詞は人間が抱える問題はいつ解決するのかと問い、<友よ、答えは風の中だ>と声を抑え、歌っている。風の中の答えを探し続けるしかないと▼現地の若者がプラカードを掲げている写真にその歌を思い出した。プラカードにはこうあった。「何人分の死体があれば国連は行動してくれるのだろう」。混迷と混乱のミャンマーで最近、撮影された写真である▼国軍による軍事クーデターから一カ月余。市民の抗議活動に対する国軍の容赦のない弾圧が続く。既に死者は五十人を超えた。日ごとに国軍の暴力がエスカレートしている▼発砲、拘束に震える市民の唯一の希望は国連だったはずだ。暴力を止めるべき国連が「何人分もの死体」を前にしても動かない。五日の安保理の協議でも国軍に対する制裁決議などは見送られている。米英と制裁に慎重な中国の足並みがそろわない。そして犠牲者が増えていく▼<いったい何回、顔をそむければ見なかったふりができるのか>。ディランの歌と現地の叫び声が重なって聞こえるBlowin'The Wind ボブ・ディラン 風に吹かれて
風に吹かれる木の枝を見ていると、一枚か二枚だけ違った方向にそよいでいる葉に気付くことがある。流れにちょっと逆らうような動きは、心の中にもある。<いつか消えてしまう、そういうものを、つとめて、破片でも残しておきたい>▼随筆集のあとがきで、自身の文章についてそう記している。前衛的な書画で知られ、多くの人に愛された随筆も書いてきた篠田桃紅さんである▼水墨画の世界でも、大きな流れにとらわれず、別の向きにそよいだ人だろう。若いころ、自分は枠や常識に収まらないと自覚したという。抽象的な作品は米国の前衛芸術の世界で認められた。「泥水でだって描けます」。自由な道を行く人の心意気を思わせるそんな言葉も残している▼墨の世界ではあるけれど、漢詩の一節から父がつけた雅号「桃紅」が思わせるような、鮮やかな心の色を作品に託していたそうである。「墨色の空は空より青く、墨色の花は花より赤く…心に色が映らなければ、墨にも色は映りません」。あらためて作品を見れば、いっそうの色が浮かんできそうである▼百七歳で亡くなった。残した随筆では、書や日本文化の伝統への愛着と深い造詣も語られる▼「もっといいものが描けるんだといつでも思っているから次の作品をつくる」。百歳を過ぎても、わが道を歩み続けてきた人の味わい深い言葉も消えずに残るだろう。
Kirill Belorukov - Polina Teleshova RUS, Cha-Cha-Cha, WDC European Championship 2019
Kirill Belorukov - Polina Teleshova, RUS | 2019 WDC European Pro Latin - QF Chacha
「吝兵衛(けちべえ)」さんに「小言幸兵衛」さん。「骨皮筋右衛門(ほねかわすじえもん)」さんに、新聞にはいささか書きにくい「助平」さん−▼いずれも擬人名である。人の特徴や性質を人の名前のように表現する方法で昔の人はおもしろいことを思いつく▼人の特徴ばかりではない。こんな擬人名をご存じだろうか。少々長いが「二八月荒れ右衛門」という。「二八月」とは旧暦の二月と八月で今の暦だとだいたい三月と九月。この時分は風が強いことのたとえで気をつけてと教えているのだろう▼おのれ、荒れ右衛門め。通勤、通学の時間帯にやって来ない電車に眉をつり上げた方も多かろう。東急東横線が一部区間で運行を見合わせた事故である。自由が丘駅付近のビル建設現場の足場が崩れ、それが架線にかかり、停電を起こした。早い運転再開に胸をなでおろす▼足場をなぎ倒したのは強風である。強い風といえば、秋の台風をイメージしやすいが、三月の荒れ右衛門を思い出し、警戒すべきで実際、東京で風速一〇メートルを超える強風の日が最も多いのは三月、四月だそうだ▼「春疾風(はるはやて)」「春嵐」「春あれ」など、この時期の強風を言い表す古い言葉は多い。乾燥した季節、強い風とくれば心配なのは火事で江戸を焼き尽くした明暦の大火(振り袖火事)も、風で被害が拡大した東京大空襲もこのころだった。春の風に「平気の平左衛門」さんは禁物である。