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今日の筆洗

2021年03月07日 | Weblog

 ボブ・ディランの「風に吹かれて」が書かれたのは一九六二年というからおよそ六十年である▼武器が永久になくなるまでに何度砲弾が飛び交わなければならないのか。自由を許されるまでに何年、あの人たちはあのままなのか。ノーベル文学賞を受けたシンガー・ソングライターが二十一歳の時に書いた歌詞は人間が抱える問題はいつ解決するのかと問い、<友よ、答えは風の中だ>と声を抑え、歌っている。風の中の答えを探し続けるしかないと▼現地の若者がプラカードを掲げている写真にその歌を思い出した。プラカードにはこうあった。「何人分の死体があれば国連は行動してくれるのだろう」。混迷と混乱のミャンマーで最近、撮影された写真である▼国軍による軍事クーデターから一カ月余。市民の抗議活動に対する国軍の容赦のない弾圧が続く。既に死者は五十人を超えた。日ごとに国軍の暴力がエスカレートしている▼発砲、拘束に震える市民の唯一の希望は国連だったはずだ。暴力を止めるべき国連が「何人分もの死体」を前にしても動かない。五日の安保理の協議でも国軍に対する制裁決議などは見送られている。米英と制裁に慎重な中国の足並みがそろわない。そして犠牲者が増えていく▼<いったい何回、顔をそむければ見なかったふりができるのか>。ディランの歌と現地の叫び声が重なって聞こえるBlowin'The Wind ボブ・ディラン 風に吹かれて

 


今日の筆洗

2021年03月06日 | Weblog

 風に吹かれる木の枝を見ていると、一枚か二枚だけ違った方向にそよいでいる葉に気付くことがある。流れにちょっと逆らうような動きは、心の中にもある。<いつか消えてしまう、そういうものを、つとめて、破片でも残しておきたい>▼随筆集のあとがきで、自身の文章についてそう記している。前衛的な書画で知られ、多くの人に愛された随筆も書いてきた篠田桃紅さんである▼水墨画の世界でも、大きな流れにとらわれず、別の向きにそよいだ人だろう。若いころ、自分は枠や常識に収まらないと自覚したという。抽象的な作品は米国の前衛芸術の世界で認められた。「泥水でだって描けます」。自由な道を行く人の心意気を思わせるそんな言葉も残している▼墨の世界ではあるけれど、漢詩の一節から父がつけた雅号「桃紅」が思わせるような、鮮やかな心の色を作品に託していたそうである。「墨色の空は空より青く、墨色の花は花より赤く…心に色が映らなければ、墨にも色は映りません」。あらためて作品を見れば、いっそうの色が浮かんできそうである▼百七歳で亡くなった。残した随筆では、書や日本文化の伝統への愛着と深い造詣も語られる▼「もっといいものが描けるんだといつでも思っているから次の作品をつくる」。百歳を過ぎても、わが道を歩み続けてきた人の味わい深い言葉も消えずに残るだろう。


今日の筆洗

2021年03月05日 | Weblog
 ものごとが衰える兆しは、盛りの中にすでに表れているものだ。<衰颯(すいさつ)の景象(けいしょう)は、すなわち盛満(せいまん)の中にあり>。中国の古典『菜根譚(さいこんたん)』は、難しい表現で君子の心構えを説いている。だから、平穏な時にこそ、わざわいの兆しを気にかけよと。コロナ禍に通じる教訓に思えて、難しい一節を頑張って覚えている▼一年前を思い出す。桜が盛りを迎えていた公園や観光地が、そこそこ多くの人でにぎわったのは、三月の三連休であった。四月には感染が増えて、地方にも広がっている▼二週間ほどの時差で厳しい現実を突きつけてくるウイルスである。盛りの中に衰えの兆しをもっと感じるべきだったという無念は記憶に新しい。首都圏の一都三県に出されている緊急事態宣言は、先日の解除見送りに続いて、再度の延長となりそうである▼各都県では、さまざまな指標がたしかに改善した。喜ばしいことだが、一方で、感染減のペースが鈍っていることを示す数字がある。一年前の教訓を生かすならば、わざわいの兆しをみるのがいいはずだ。我慢の時が続くけれど、同じ無念を味わうわけにもいかない▼きょうは二十四節気の中で冬を越した虫がはい出すとされる「啓蟄(けいちつ)」である。二十四節気をさらに分けた七十二候では「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)」となる▼花の盛りに向かう季節が巡ってくるが、心の守りの戸も、まだ固く閉めている時であろう。

 


今日の筆洗

2021年03月04日 | Weblog

「吝兵衛(けちべえ)」さんに「小言幸兵衛」さん。「骨皮筋右衛門(ほねかわすじえもん)」さんに、新聞にはいささか書きにくい「助平」さん−▼いずれも擬人名である。人の特徴や性質を人の名前のように表現する方法で昔の人はおもしろいことを思いつく▼人の特徴ばかりではない。こんな擬人名をご存じだろうか。少々長いが「二八月荒れ右衛門」という。「二八月」とは旧暦の二月と八月で今の暦だとだいたい三月と九月。この時分は風が強いことのたとえで気をつけてと教えているのだろう▼おのれ、荒れ右衛門め。通勤、通学の時間帯にやって来ない電車に眉をつり上げた方も多かろう。東急東横線が一部区間で運行を見合わせた事故である。自由が丘駅付近のビル建設現場の足場が崩れ、それが架線にかかり、停電を起こした。早い運転再開に胸をなでおろす▼足場をなぎ倒したのは強風である。強い風といえば、秋の台風をイメージしやすいが、三月の荒れ右衛門を思い出し、警戒すべきで実際、東京で風速一〇メートルを超える強風の日が最も多いのは三月、四月だそうだ▼「春疾風(はるはやて)」「春嵐」「春あれ」など、この時期の強風を言い表す古い言葉は多い。乾燥した季節、強い風とくれば心配なのは火事で江戸を焼き尽くした明暦の大火(振り袖火事)も、風で被害が拡大した東京大空襲もこのころだった。春の風に「平気の平左衛門」さんは禁物である。


今日の筆洗

2021年03月03日 | Weblog
 その英国人は土曜日の午前中に銀行に行って現金を引き出すのを習慣としていたそうだ。日曜日を楽しむ。そのお金を用意するためらしい▼一九六五年のある土曜日、いつものように銀行に向かうと、一分前に営業時間は終わっており、お金をおろせなかった。仕方なく家に帰り、風呂に入った時、ひらめいたというからまるでアルキメデスの「ユリイカ(分かった)!」である。自動販売機のように現金が出てくる機械があればいい。これが現在の現金自動預払機(ATM)の原型だそうだ。発明したのはジョン・シェパード・バロンさんとおっしゃる▼発明に導いた日曜日を楽しむためのお金。それが引き出せなかったと聞けば、十一年前に亡くなったATMの父も渋い顔か。みずほ銀行のATMから預金が引き出せなくなった問題である▼定期預金を管理する作業量が処理能力を上回り、システムに障害が起きた。預金どころか挿入したキャッシュカード、通帳も出てこない。穏やかに過ごしたかった日曜日。手元不如意と返らないカードに気をもんだ方がお気の毒である▼発明から半世紀を過ぎ、ATMは水道や電気のように生活に欠かせぬ存在となった。それが動かない時の混乱と不安を銀行にはよく心得ていただきたい▼動いて「あ(A)た(T)り前(M)」の機械が「ああ、時々、問題」の略になっては困るのである。