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今日の筆洗

2021年03月26日 | Weblog
 有頂天でもいいはずなのに、横綱昇進を伝えられた力士の顔はだいたい硬く、厳しい。「選ばれてあることの恍惚(こうこつ)と不安と二つ我(われ)にあり」。太宰治が好んだベルレーヌの詩の一節を、伝達式のニュースに思い出したことがある。選ばれて就いた時から、最高の名誉と一緒に、深い憂いを引き受けなければならない。あれは、そんな地位ゆえの顔なのであろう▼下位に戻ってやり直せないのが横綱だ。余力があっても、結果が出なければ引退である。けがを治す時間もさほど与えられない。歓喜の時は限られ、重圧は大きい▼横綱鶴竜が引退した。選ばれた者だけが味わう不安から解放された人のものだろう。ほっとしたような顔をみせていた▼場所前、一度は現役続行を望んでいる。もう一場所だけ休ませてもらえれば、という自信があったにちがいない。胸の中に悔いもあろうが、不在の期間は長く、「引退勧告」もありそうな状況であった▼モンゴルで相撲の経験はなく、体格も大きくなかったという。なのにやってきた。努力と熱意の人である。性格がにじんだやさしい表情、技だけでなく力勝負もできた厳しい相撲は魅力だった。下位でもいい。まだまだ見ていたかったが、かなわないのがこの地位である▼満開になったとたん強風にさらされる。余力や悔いを残して散る無念を栄養分に、綱の権威は保たれていくものらしい。