シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

エン・リル神-ミトラ神-インドラ神(バラモン)-炎帝神農大帝(中国の古代神)-素戔嗚神: 牛頭は旧世

2014-09-15 | うんちく・小ネタ

今回の薀蓄、はどこまで本ブログに垂れ流す私なりの理解と”発見”が正しいものか全く不明ながら、ある時”そういえば、神社巡りとかネットサーフィンの時に牛頭の神、という存在を色んな場面で見たことがある、と思い付いたのが発端

ひょっとしたらキリスト教世界から日本神道に至るまで、所謂旧世界に共通する”牛頭の神”っているんじゃないか、と妄想の薀蓄探しが始まります…


恐らく、ルーツを同じくする神話に基づく共通の神格が古代メソポタミアから遠く日本まで伝わってきた、が結論めいたものになるのですが、先ずはこんな妄想を持つに至った身近な日本の話から:


素戔嗚神


子供の頃から”スサノオ”という神様は頭のどこかに記憶しているのですが、ここ最近で言うと2013年遷宮のタイミングで訪問した出雲、伊勢の両大社で彼に関する色んな記述を読んだこと。伊弉諾(イザナギ)さんの鼻水、でいいんですよね^^;


高天原伝説、初めての両性同意の結婚、草薙の剣、大国主命の父、といったのがそれらのキーワードですが、

今回の記事では素戔嗚神が余りに乱暴だったので、高天原から天照大神の逆鱗に触れ追放された、という点について注目したいと思います。

天孫降臨的カリスマ性と神性を以って新羅から出雲の地に漂着、そこで国造りをする、というストーリーな訳ですが、国を治める、という権力の裏付けとして外から来たこと。そして恐らく製鉄という新しい技術を出雲にもたらし農業生産性の向上、軍事力の強化、に貢献したこと。更には”暴力的”、”厄”的な存在として恐れられていること、

などが素戔嗚神の神性と考えられます。

では、素戔嗚と牛頭は、というと次項


牛頭大王/蘇民将来伝説


Photo さて、江戸下町のガキとして素戔嗚さんと言えば千住大橋に程近い南千住にある「素戔嗚神社」。

町屋から南千住まで、かなりの氏子圏を誇るこちらは、それだけでも素戔嗚神に対する日本人の信仰の篤さを示す訳ですが、

恥ずかしい話しながら、こちらの境内にぐるっとパス片手に何回か足を運ぶうちに知ったのが「蘇民将来伝説」


”我々は蘇民将来の子孫である”とお札を持ち、これも神社巡りを始めてから知った「茅の輪巡り」もこの伝説がルーツな訳ですが厄払いの茅の輪を腰に付ける、なんて風習を学んだのです

各所の神社で茅の輪は境内に飾られますので、こういった信仰は(私は知らなかったけど)日本中でかなり昔から確立していたのでしょう。


さて、それではそうして南千住の素戔嗚神社が「蘇民将来伝説」に結び付いているかと言うと、蘇民将来が徳を授けた牛頭大王と素戔嗚神が同定されているから、なのだそうな

牛頭大王は平安末期の書物に拠れば「天竺北方の九相国に吉祥園があり、牛頭天王はその城の王で武塔天神とも云う」だそうで、インド北方の貴種である、という素戔嗚神同様のバックグラウンドを持ち、仏教の祇園精舎の守護神が牛頭大王。それが日本では神仏習合で薬師如来の垂迹、素戔嗚神の本地、とされたそうです。

「本地垂迹説」、高校時代の日本史が懐かしいです…


従って、牛頭大王は京都八坂神社の祭神。但し、その姿の異形さから人に畏れられたり、酒浸りで暴力的でもあったそうな…

こういった暴力、乃至は海外からの疫病、に対するご利益を牛頭大王が持つ、と考えられたところに神格性が生まれた、と考えられます。そういえば、祇園祭も厄病神を退散させるため、と見学時に知りました


更なる小ネタ

神社の建築様式で、屋根の両端に木の飾りが2本角状に斜めに突き出しているもの多く見られますが、あの様式を”牛頭”と呼ぶのだそうです


でも、何故”牛の頭”なの…


炎帝神農


話は中国に移ります…

中国の王朝、って浅田次郎さんの連続もので言えば”玉”が飛び込んできて、それをつかんで死なない人が神によって選ばれた皇帝、ということになり、どんな宮殿奥深くに玉をしまっても徳が尽きた皇帝のところから(多分龍によって、かな?)消え去ってしまう、となりますが

歴代王朝、しかも夏以前とかの神話時代のそれであっても、更にその正統性を示すような絶対神みたいな存在があったようです。これも周辺部から中国の地に”何かをもたらした”もののような

ここで、「炎帝」という概念に触れましょう。

彼?は中国太古の伝説的帝王で、南方に位置し夏を司る概念的神格。

五行思想の中では”火”にあたることから、三帝の1人「神農」と同定された、とのこと。

ちなみに色んな説はあるようですが、三帝の1人「伏羲」は人面蛇体だった


そして、神農は母が龍に感応して妊娠した結果、牛頭人身だった、とされるのだそうな

それまでに無かった知識を中国にもたらした、という点では神農はその名前が表すように地、農業の様々な技術をもたらしたと共に市場の仕組みを作ったのだとか

とまで語ると、今度はどうやってこの神農と牛頭大王(乃至は素戔嗚神)を結び付けるか、です

上述のように、牛頭大王は天竺国の北からやってきた、という説もあるようですから、まあここは神農が牛頭大王のルーツにして、朝鮮半島経由で日本にやってきた、というところで素戔嗚にも連なる、としておきましょう


インドラ神


Indra_2 さあ、今度はインドまで遡りましょう…

インドラ神はバラモン教、ヒンズー教における雷の神様。茶褐色の牛頭大王同様巨体の持ち主で、酒を好み、暴力的なところを多く持ち、

そして天界を追われる、という経験もある

ちなみに仏教では帝釈天に同定されるようです。

さらに、インドラには神々から牛を盗んで解放した、という神話があり、これが聖なる力、世界の光となり、また雨をもたらすなど彼の神性を示す象徴とされるのだとか…


でも、今のところtokyoboyとしてはこのインドラ神が牛頭だった、という記述は見つけておりません。

彼が乗っていた象、アイラーヴァタの首がガネーシャになった、という説もあるそうです…


エン・リル神 (シュメール)


さて、段々こんな飛行機で飛べるのか、あやしくなりつつある位根拠が希薄になってきた本論ですが、これらを調べていく道中で、インドにおけるインドラ神はシュメール地域におけるエン・リル神がエン・リラからインドラ、と変化していったものである、という記述を幾つか見付けました。

このエン・リル神、ミトラ神の始祖で牛の角を持つ美男子だったそうな…


さて、先ずはシュメール地域について。

シュメールとはメソポタミアの南半分、チグリス=ユーフラテス流域、もっとも古い文明が栄えたところ。農業が始まった場所で、そういった意味で上述の神々の”技術的ルーツ”である可能性は高いと言えます。


エン・リレ神はシュメールにおいて風神。

シュメールの交易相手だったディルムンから追放!にあい、この地で結婚。月の神を含め多くの神々が生まれたそうな。

人類の浮かれ騒ぎを煩わしく思い、人類を滅ぼすために大地に疫病を流行らせ、次には旱魃をおこし、最後に大洪水を引き起こしたとされる”彼は、その”厄”、”暴力性”故に強力な神と畏れられ、最も重要な神として崇められた。

また、シュメールの王権授与者、としても考えられていたのだとか…


ミトラ神


Mithra_2 さて、ここからは時代に沿って、となります。

ミトラ教はイランからインドに至る古代ペルシャ(アーリア)人の信仰に端を発し、

ペルシャでMithra、インドでMitraとされている神に対する信仰。


写真はルーブル収蔵のもののようですが、

1000の目を持ち、正義の守護神

一時期ゾロアスター教の影響で下火となったが、古代ペルシャ王朝では国教となったとか。

その神、ミトラ神は紀元1世紀にはインドで太陽神。それが仏教においては弥勒菩薩に同定される、といったところがベースですかね


こんな辺りを調べていると、「ミトラは牛の角を持つ太陽神・大気神」といった記述も見られたのですが、ミトラ寺院には必ず、そのミトラ(ミトラス)の神性の基とされる「牡牛を屠る密儀」のレリーフが見られるそうですから、それとは矛盾するように思われる。


更に、英語のMithraに関するWikiには:

”Mithra is additionally the protector of cattle, and his stock epithet is "of wide pastures." He is guardian of the waters and ensures that those pastures receive enough of it.”

~ミスラ神は更に牛の守護神で牧畜上の呼び名は”広い牧場”、かつ水の守護神

とか


The Roman Mithras wore a Phrygian cap”~この帽子の姿は上の写真参照。これは東から来たペルシャの神の寓意、と言われ、

更に、”These and much more suggest a continuity of belief from India to Rome in a myth of a sun god killing a bull.”

~ローマからインドに掛けて太陽神は牛を殺す、と継続的に信じられてきた

といった記述がありました。


恐らく何らかの神格を牛頭が持つのは古代から”お決まり”で、それを身体の一部に入れ込むか、乃至はそれを制することが出来る能力、が貴種と見做されたり、人ならぬ神を指すようになったのでは、と愚考します


さて、ミトラ教はキリスト教のルーツ、と一般にされるが、キリスト教会内部ではそれを全面否定しているのだとか。

ミトラ神は羊飼いに囲まれて生まれ、亡くなる際には弟子たちと「最後の晩餐」を共にし、彼が復活する時世界は終末を迎える…

門外漢には興味深い話ですが、何せ門外漢、うかつなことも書けないのでこの辺にして、

最後に:


ミトラ教は救済宗教的色彩を色濃く持ち、その(牡牛の血か、ミトラ神その人の血か不明ですが)血によって贖罪する、という考え方があるようです。


このミトラ神、サンスクリット語での読み方から、仏教においては弥勒菩薩に同定されるとのこと。

だから、仏教においても56億年以上未来に修行を終えて現世に下り衆生を救済する、と言われているんでしょう。ミトラ神も終末に姿を現し、そして56億年は太陽系終末までのカウントダウンにも近い、という説もあるそうです

そこから新たな「天地創造」ですかね…


バール(バアル)神


Baal_2 紀元前3000年位から記録にその名前を見るようになるバール神。カナン地域で嵐と慈雨の神として信仰され、その名前は「主」を意味するとか。

写真ではカナンの中心、ウグリットで発見されたバール神の石碑。ルーブルにあるそうな…

取り合えず、この被っている冠にご注目を:


実際にはフェニキア人その他地中海の民族間で広く信仰されたようです。

彼は戦いの神ともされ、また豊穣の神でもあったとか。

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El 興味深いのは、カナン地域でバール神の父とされているエル神(El=神)の象徴は牛で、彼自身が描かれるときは玉座に座った牡牛の角を生やした老人の姿であること。

英語のサイトでは”sitting high on his throne wearing his bull horn crown”、角が付けられた王冠を被っている、とありました。

写真がその一例か、と思われます。


話をバール神に戻しましょう。

そして、その牛頭との関係…

本稿冒頭の写真のようにお父さんのEl同様、牛の角の冠を被っているように見えます。

そしてバール神がその神性を確立するプロセスの中で、命が狙われた時自分の身代わりとして牝牛との間で子供を作った、という神話があること。

これ位しか今のところtokyoboy的には分かりません??


なお、ゾロアスター教ではバール神はミトラ神の原型とされるとか。

ご案内のように、カナンという土地はご存知のように「約束の地」。

すなわち、アブラハムの子孫に与えられるとされた地域で、彼らはメソポタミアからこの地を目指して征西した。

ユダヤ人(ユダヤ教)は自らをアブラハムの子孫とし、約束された地に定住することを長い年月目標として生き残り、

イスラム教の人たちも自分たちはアブラハムの子孫、と定義しているとのこと。

ここまでとしますが、現在のグローバル宗教の源流に、この絶対神、及びその流れをくむ神々の神話がなっていることは間違いないのでしょう

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(雑記 1)


Photo_3 弥勒菩薩を調べている祭、頭に浮かんだのは広隆寺さんの「弥勒菩薩半跏思惟像」。

日本国宝第一号であらせられる

綺麗な仏様で、教科書その他でもお馴染みです

この広隆寺さん、京都太秦にある訳ですが、この太秦は秦氏の本拠地。彼らは渡来系であり、機織技術などをもたらし、次第に大和朝廷の中で重きを得るに至った、という記憶があります。


さて、その広隆寺、秦氏の氏寺、は「牛追い祭り」という”奇祭”でも知られるのだとか…

Wikiによれば:


仮面を着けた「摩?羅(またら/まだら)神」(摩多羅神)が牛に乗り、四天王と呼ばれる赤鬼・青鬼が松明を持ってそれに従って四周を巡行し、薬師堂前で祭文を独特の調子で読んで参拝者がこれに悪口雑言を浴びせる。祭文を読み終わると摩?羅神と四天王は堂内に駆け込む。


と言われても、でありますが、

これをミトラ神とその神格が拠る「牡牛を屠る密儀」のコピーと考えるのは無理ですかね^^;


(それにしても…)


秦氏はユダヤ人だった、とか、天皇家の紋章「十六菊花紋」がバール神のシンボルだとか、バール=神風とか、色々な説が流布されているんですね…


(雑記 2)


Photo_3 「蘇民将来」という名前で、ふと思いついたのが「蘇」って奈良時代辺りから出て来るチーズのことでは、ということ。「蘇」とか「醍醐」って乳製品ですよね^^

だとすると、「蘇民」はそういった乳製品に携わる、従って牛も飼っていたような人たちでは…

更には、ミトラ神が牧畜に携わっていた、と上述しましたが、「蘇民」って、そうなの?と空想は広がります


Photo_4 次は日本での蘇民将来の護符になんで六角形のこけし型が多いのか、六芒星からなのか、更に妄想は拡散…

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(雑記 3)


Photo 「金の子牛」伝説、とはイスラエル民族がモーゼと共にカナン目指して移動中、モーゼが不在だった時期に彼らが作って崇拝した、とされる金の子牛像のこと。

添付はブッサン描くところのシーン

モーゼは一団に戻って、彼らの行為が偶像崇拝に当たる、としてそれを破壊すると共に、崇拝した人たちを殺害した、という恐ろしい顛末だそうです

一般に、この金の子牛、旧約聖書の中で牛の角を神格化する記述があることから、ユダヤ教、キリスト教における絶対神であるヤハウェを具現化したもの、と考えられているそうです。

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(雑記 4)


Photo_2 古代エジプト、メンフィスではApis(アピス)という聖なる牛を信仰していたとか。

添付はルーブル(またか!)収蔵のアピス像だそうですが、まあフランス人は貪欲に中近東・アフリカの文化財を掻っ攫っていったことが良く分かります…

オベリスクなんて酷いよね


(雑記 5)


もうここまでいくと、完全にメモですが…


- ギリシャ神話、クレタ島の月の魔術の女神パーシパエーの子、ミノタウロスは牛頭人身の怪人。

- パーシパエーに呪いをかけた海神ポセイドン。ポセイドンの武器「Ψ」は、シュメールの牡牛神ハル。

Photo_4 - 紀元前1千世紀頃地中海全域で信じられていた、とされるエジプト神話の女神、イシス(ハトホル)。処女で神(ホトス)を身ごもったとか!

だとすると、エジプトでは絶対神ですが、彼女を表す時王座の形の帽子とか色々なパターンがあるのですが、その1つに牡牛の角を付けた冠もあったとか(添付参照) 

- 日本でも、虐げられた神々や人々は牛鬼にされた。艮(うしとら)の鬼門は、本場の風水にはない。

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