天気も良く、治療の成果で膝の調子も良いので久しぶりに散歩。
今回の散策コースは2年ぶりに称名寺。
膝は完治したわけではないので山道は避けてできるだけ平坦なショートコース。
金沢文庫駅から金沢八景までの寺社巡り。
鎌倉時代の源氏や北条氏ゆかりのお寺とちょこちょことまわって来ました。
改札を海側に降りて国道16号を渡り脇道から緩やかな爪先上がりの坂道を進み、10分ほどで称名寺惣門。
現在の称名寺惣門は江戸時代、明和8(1771)年に再建されたもので形式は四脚門・切妻造・本瓦葺。
惣門右手の岩は横浜市域に分布する最古の地層の上総層郡のうち、大船層が露出したものだそうです。
250万-165万年前。
惣門をくぐり、仁王門までの間の参道の左右には茶屋?(食事処)が何軒かありますので食事が出来ます。
仁王門の手間へ参道の左手には称名寺の建築物では最古の光明院表門があり、横浜市内でも最も古い遺構のひとつだそうです。
仁王門の仁王様は関東地方では最大で県重要文化財。
今回、称名寺へ散歩に行こうと思った理由として惣門脇の大船層と境内の修復された反橋の確認と渡ってみたいと思ったからなんです。
庭園では写生したり家族連れで記念撮影をしている人達がちらほら。
いまのところ穴場と言えば穴場!前回は称名寺裏山の市民の森を散策したんですが、今回はパス。
庭園を眺めて称名寺の散策は終了。惣門まで戻り赤門通りを金沢八景へ。
惣門を出て通りを挟んで反対側には真言宗薬王寺。
このお寺の所有している絹本着色 種子両界曼荼羅図は横浜市指定有形文化財。
本尊の薬師如来は奈良時代の僧、行基の作。
緩やかな下り坂を降りていくと西寺前のバス停を通り過ぎた右手に神社があります。
小さな神社です。八幡神社。
祭神は 応神天皇 ・大日霊貴命・建御名方刀美命・日本武命。
境内を抜け出ると2車線道路に面した所にでますので、そのまま進んで行き、町屋の信号のある交差点で右折。
道路と民家に挟まれた格好で神社があります。
歩道がそのまま参道になったような村の総鎮守の町屋神社です。
祭神は 須佐之雄命。
神社というと鎮守の森のイメージが強いですが漁村地帯であったので森はなかったのでしょうか?
神社の裏手から出て大きな通りと平行に歩くと左手に墓石とお寺が見えたので道伝いに歩いて行くと大通りに出て町屋の交差点方向に戻った所にある浄土宗のお寺、天然寺。
境内は見学自由?
天然寺の庭を拝見させて頂いた後は再び大通りに戻り道路の反対側へ。
日蓮聖人の伝承「船中問答」の舞台として知られている安立寺。
不勉強で船中問答がどのようなものであったかは知らないのですが、このような由緒のある古刹だそうです。
通りから奥まったところにあります。
境内から隣にお寺らしきものが見えたので裏の通りから行けないかと思い境内を道を探してウロウロ。結局は一旦通りに出てから向かった方が早かったようです。
洲崎神社と龍華寺。
洲崎神社の由来緒によると元は富岡村と柴村の間の長浜の地にあったが、応長元年(1311)に高潮で村が流され、住民の一部が現在の場所に移住して来て鎮守大六天社も移して来たが、明治期に神仏混淆を廃せられ洲崎神社と改称したそうです。
その後は泥亀鎮座村社日枝神社・稲荷二社・泥亀姫小島無格社十二天社を合併したそうで、祭神 は誉田別命。配祀として大山咋命・倉稲魂命・太田命・磐長比売命・第六天神となっています。
龍華寺は明応8年(1499)に融弁上人が源頼朝が建立した浄願寺とこの地にあった光徳寺の2寺を併合し、現在地に龍華寺を創建したという。
梵鐘は県重要文化財。他に市指定有形文化財として木造地蔵菩薩座像 附胎内納入品十二点と木造弥勒菩薩座像 附胎内納入文書四点がある。
お寺を背にして通りを道なりに進み洲崎町の交差点右の広場に石碑があります。
この石碑は料亭東屋の跡で伊藤博文らに寄る明治憲法起草の地だそうです。
交差点を右に曲がり、歩道橋を渡り瀬戸神社。信号を渡って北条政子が近江の竹生島から勧請した弁財天を祭っている琵琶島(横浜市地域史跡)をまわって京急金沢八景駅で今回の散策は終了。
今回の散策コースは2年ぶりに称名寺。
膝は完治したわけではないので山道は避けてできるだけ平坦なショートコース。
金沢文庫駅から金沢八景までの寺社巡り。
鎌倉時代の源氏や北条氏ゆかりのお寺とちょこちょことまわって来ました。
改札を海側に降りて国道16号を渡り脇道から緩やかな爪先上がりの坂道を進み、10分ほどで称名寺惣門。
現在の称名寺惣門は江戸時代、明和8(1771)年に再建されたもので形式は四脚門・切妻造・本瓦葺。
惣門右手の岩は横浜市域に分布する最古の地層の上総層郡のうち、大船層が露出したものだそうです。
250万-165万年前。
惣門をくぐり、仁王門までの間の参道の左右には茶屋?(食事処)が何軒かありますので食事が出来ます。
仁王門の手間へ参道の左手には称名寺の建築物では最古の光明院表門があり、横浜市内でも最も古い遺構のひとつだそうです。
仁王門の仁王様は関東地方では最大で県重要文化財。
今回、称名寺へ散歩に行こうと思った理由として惣門脇の大船層と境内の修復された反橋の確認と渡ってみたいと思ったからなんです。
庭園では写生したり家族連れで記念撮影をしている人達がちらほら。
いまのところ穴場と言えば穴場!前回は称名寺裏山の市民の森を散策したんですが、今回はパス。
庭園を眺めて称名寺の散策は終了。惣門まで戻り赤門通りを金沢八景へ。
惣門を出て通りを挟んで反対側には真言宗薬王寺。
このお寺の所有している絹本着色 種子両界曼荼羅図は横浜市指定有形文化財。
本尊の薬師如来は奈良時代の僧、行基の作。
緩やかな下り坂を降りていくと西寺前のバス停を通り過ぎた右手に神社があります。
小さな神社です。八幡神社。
祭神は 応神天皇 ・大日霊貴命・建御名方刀美命・日本武命。
境内を抜け出ると2車線道路に面した所にでますので、そのまま進んで行き、町屋の信号のある交差点で右折。
道路と民家に挟まれた格好で神社があります。
歩道がそのまま参道になったような村の総鎮守の町屋神社です。
祭神は 須佐之雄命。
神社というと鎮守の森のイメージが強いですが漁村地帯であったので森はなかったのでしょうか?
神社の裏手から出て大きな通りと平行に歩くと左手に墓石とお寺が見えたので道伝いに歩いて行くと大通りに出て町屋の交差点方向に戻った所にある浄土宗のお寺、天然寺。
境内は見学自由?
天然寺の庭を拝見させて頂いた後は再び大通りに戻り道路の反対側へ。
日蓮聖人の伝承「船中問答」の舞台として知られている安立寺。
不勉強で船中問答がどのようなものであったかは知らないのですが、このような由緒のある古刹だそうです。
通りから奥まったところにあります。
境内から隣にお寺らしきものが見えたので裏の通りから行けないかと思い境内を道を探してウロウロ。結局は一旦通りに出てから向かった方が早かったようです。
洲崎神社と龍華寺。
洲崎神社の由来緒によると元は富岡村と柴村の間の長浜の地にあったが、応長元年(1311)に高潮で村が流され、住民の一部が現在の場所に移住して来て鎮守大六天社も移して来たが、明治期に神仏混淆を廃せられ洲崎神社と改称したそうです。
その後は泥亀鎮座村社日枝神社・稲荷二社・泥亀姫小島無格社十二天社を合併したそうで、祭神 は誉田別命。配祀として大山咋命・倉稲魂命・太田命・磐長比売命・第六天神となっています。
龍華寺は明応8年(1499)に融弁上人が源頼朝が建立した浄願寺とこの地にあった光徳寺の2寺を併合し、現在地に龍華寺を創建したという。
梵鐘は県重要文化財。他に市指定有形文化財として木造地蔵菩薩座像 附胎内納入品十二点と木造弥勒菩薩座像 附胎内納入文書四点がある。
お寺を背にして通りを道なりに進み洲崎町の交差点右の広場に石碑があります。
この石碑は料亭東屋の跡で伊藤博文らに寄る明治憲法起草の地だそうです。
交差点を右に曲がり、歩道橋を渡り瀬戸神社。信号を渡って北条政子が近江の竹生島から勧請した弁財天を祭っている琵琶島(横浜市地域史跡)をまわって京急金沢八景駅で今回の散策は終了。
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