歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

牧之原市・宮下遺跡 六角形状の卒塔婆 同形状では日本最古と確認

2011年07月07日 | Weblog
 今年3月9日に発表された、牧之原市坂部の宮下遺跡で出土した六角形状の卒塔婆(六角卒塔婆)が、墨書のある六角塔婆としては日本最古(12世紀後半~13世紀前半)であることがわかった。
 卒塔婆は今年2月に遺跡北東で発見された。 木(モチノキ) 製で、全長67・3cm、幅9・3cm、1面の幅が3・8~5・5cm。六つの面のうち、五つには墨書による文字が確認された。
  三つには梵字と仏の名前の一部分(不動明王、金剛界大日如来など)を示すが記されていた。
  一つには「尼」という漢字が確認でき、法名が記されていたと推測されるという。
  ほかに、墨で「南無」などの文字が記されていた。
[参考:読売新聞、中日新聞、朝日新聞、毎日新聞、静岡新聞、2011.3.10付ニュース]

この六角卒塔婆は、(00shizuoka静岡観光おでかけガイド)さんの
「呪符木簡、墨書土器、木橋が出土 平安時代から鎌倉時代 柱穴内礎石建物群が見つかった 市指定史跡 宮下遺跡 現地説明会(見学会)」 に詳しく紹介されています。

過去の関連ニュース・情報
 2011.3.10 宮下遺跡 平安時代末から鎌倉時代初期の県内最大規模の「柱穴内礎石建物跡」が見つかる

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良市・唐招提寺 寺創建以前の、新田部親王の邸宅時の築地塀が出土

2011年07月07日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が6日、奈良市五条町の唐招提寺境内の寺の敷地の北限に当たる場所で、平城京の東西を貫いた四条大路に面する築地塀の一部(幅2・2m、高さ0.7m、長さ4m分)が見つかったと発表した。 塀に葺かれていたとみられる奈良時代前半の瓦も出土し、759年に鑑真が同寺を創建する以前、新田部(にいたべ)親王の邸宅だった時代に造られた高さ約4mの塀と推定した。
 築地塀は、粘土と砂質土を交互に突き固めた版築技法が確認でき、塀跡の南側には形を整えるため塀の壁に板を押し当てた柱穴の列も見つかった。 築地塀は奈良時代に造り替えられた形跡がなく、寺創建時にそのまま利用したと推定でき、創建当時から同寺境内の北辺が変わっていないことも裏付けられた。
 現場は埋め戻されており、現地説明会はない。
[参考:共同通信、産経新聞、読売新聞]

■参考 続日本紀より
天平7年(735)9月30日 一品新田部親王薨。(略)親王天渟中原瀛眞人天皇之第七皇子也。
天平勝宝5年(753)7月11日 入唐副使從四位上大伴宿祢古麻呂來歸。唐僧鑒眞。法進等八人隨而歸朝。
天平勝宝8年(756)5月24日 和上鑒眞。小僧都良弁。華嚴講師慈訓。大唐僧法進。法華寺鎭慶俊。或學業優富。或戒律濂淨。堪聖代之鎭護。爲玄徒之領袖。加以。良弁。慈訓二大徳者。當于先帝不豫之日。自盡心力。勞勤晝夜。欲報之徳。朕懷罔極。宜和上小僧都拜大僧都。華嚴講師拜小僧都。法進。慶俊並任律師。
天平勝宝8年(756)6月9日 太政官處分。太上天皇供御米鹽之類。宜充唐和上鑒眞禪師。法榮二人。永令供養焉。
天平宝宇7年(763)5月6日 大和上鑒眞物化。和上者楊州龍興寺之大徳也。博渉經論。尤精戒律。江淮之間獨爲化主。天寶二載。留學僧榮叡業行等白和上曰。佛法東流至於本國。雖有其教無人傳授。幸願。和上東遊興化。辞旨懇至。諮請不息。乃於楊州買船入海。而中途風漂。船被打破。和上一心念佛。人皆頼之免死。至於七載更復渡海。亦遭風浪漂着日南。時榮叡物故。和上悲泣失明。勝寳四年(752)。本國使適聘于唐。業行乃説以宿心。遂与弟子廿四人。寄乘副使大伴宿祢古麻呂船歸朝。於東大寺安置供養。于時有勅。校正一切經論。往往誤字諸本皆同。莫之能正。和上諳誦多下雌黄。又以諸藥物令名眞僞。和上一一以鼻別之。一無錯失。聖武皇帝師之受戒焉。及皇太后不悆。所進醫藥有驗。授位大僧正。俄以綱務煩雜。改授大和上之号。施以備前國水田一百町。又施新田部親王之舊宅以爲戒院。今招提寺是也。和上預記終日。至期端坐。怡然遷化。時年七十有七。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸市・北青木遺跡 砂丘地層から方形周溝墓が出土

2011年07月07日 | Weblog
 神戸市教委は6日、同市東灘区北青木(きたおおぎ)の北青木遺跡で砂丘の地層から、弥生時代中期(紀元前後)の方形周溝墓が出土したと発表した。
 同遺跡は、縄文時代後期から中世にかけての遺物が出土する複合遺跡で、これまでに弥生時代中期の銅鐸などが見つかっている。
 出土した方形周溝墓は、南北約7m、東西約4mの大きさで、木棺(幅0.4m、長さ1m)4基などが見つかった。木棺の大きさなから子供の遺体が収められていた可能性が高いという。
 現地説明会は9日(土)午後2時から開かれる。
[参考・産経新聞]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする