歴歩

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木津川市・上狛北遺跡 女性名を記した荷札木簡などが出土し、恭仁京の一部を裏付ける

2011年07月28日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センター(向日市)が27日、木津川市山城町上狛(かみこま)の上狛北遺跡で出土した奈良時代の荷札木簡に女性名が記されていたと発表した。女性名が記された納税のための荷札木簡としては極めて珍しいという。
 荷札木簡(長さ15・8cm)は、恭仁京(740-744)の造営の際に掘られたと考えられる穴から他の約40点の木簡や墨書土器とともに出土した。
 多くは文字の練習用の木簡であったたが、注目される木簡は、下記のようなもの。
■ 「海戸主海八目戸服部姉虫女米五斗」と書かれ、海部に住み海八目(あまはちめ)が戸主を務める一家の服部姉虫女(あねむしめ)が米5斗を送るという内容。 女性名が登場するのは極めて珍しいという。
■ 「讃岐國鵜足郡少領□」(長さ19cm、幅1・1cm)と書かれたものもあり、地方役人(少領)との交流をうかがわせる。
■ 「草萬荒蘇」など字の練習に使われたとみられる木簡

 木簡は向日市文化資料館で8月20、21日に展示。 8月20日午後1時半から向日市民会館で調査員・筒井崇史氏による成果報告も行われる。

 上狛北遺跡の昨年度の発掘調査で、恭仁京に都が置かれていた時代の長さ約100mの溝跡や建物跡、大量の須恵器などが見つかった。 恭仁京の関連施設跡の可能性もある。 恭仁京の構造については、続日本紀に「鹿背山を挟み、左京と右京に分かれる」との記述がある。 発見された溝跡は恭仁宮跡の西約5kmに位置し、鹿背山(同市)の西側にあり、恭仁京の右京の遺構ではないかとみている。
[参考:京都新聞、産経新聞、共同通信、前出]

過去の関連ニュース・情報
 2011.1.21 木津川市・上狛北遺跡 恭仁京の京域の遺構か 溝跡が見つかる

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