歴歩

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釜山東三洞貝塚 鯨骨からアジア最古の捕鯨の歴史を証明

2011年07月05日 | Weblog
 西日本新聞が今朝、「釜山市の新石器時代の遺跡・東三洞貝塚((동삼동패총、BC.5500-BC2000)で、日韓共同の調査チームが発掘したクジラの耳の骨を、大型クジラのものと特定し、現時点で東アジア最古の遺跡と話している」と報じた。
 韓国の聨合ニュースでは、6月23日に発表している。
 調査は釜山市の福泉博物館と日本の国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の西本豊弘教授(64)たちが実施した。
 調査では、西本教授が、紀元前3000-2000年の地層から出土した耳の骨5点をザトウクジラやシロナガスクジラを含む大型クジラのものと確認した。
 ザトウ鯨とシロナガスクジラの特徴が、背部位が縞を成しているという点からみて、近隣の蔚山・盤亀台壁画(반구대암각화에)にある鯨の絵と一致するとしている。
 昨年、蔚山市の黄城洞貝塚で、新石器時代の層から「矢尻が刺さったクジラの骨」が複数出土している。
[参考:2011.6.23聨合ニュース、2011.7.5西日本新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.8.18 蔚山黄城洞・新石器前期の鯨骨と矢尻が出土 韓国捕鯨史上最古の遺物?
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盛岡市・中ノ橋・奈良写真館 宮沢賢治ゆかりの写真館

2011年07月05日 | 盛岡


写真は、中ノ橋付近の地図。 中ノ橋の右上に岩手銀行中ノ橋支店(注1)があり、その裏側(上側)に奈良写真館があったと思われる。

 5,6年前に、早稲田大学の図書館で昔(明治期頃)の写真集を眺めていたときに、ふと、中ノ橋・「奈良写真館」の写真が目に留まった。
 2階建ての屋根に架かる「奈良写真館」と書かれた看板と、写真館の左隣に並ぶ白い土蔵が印象的であり、雰囲気のある写真である。 (写真が載っていた本の名前は、記録していないのでわからない。 多分B4サイズの本である。)
 中ノ橋は盛岡市内を流れる北上川の支流中津川に掛かる橋であり、地名としても残っている。
 盛岡市は家内の生まれ育った場所。 そして、ピアニストの奈良希愛さん、ポップアート作家の奈良美智(青森県)さん、あるいは会社の同期の人間(青森県)にも奈良さんがいたなどと思い浮かべ、さらに奈良さんは意外にも東北にたくさんいるんだと感心をしながら、図書館の複写機でコピーをした。

 その当時、インターネットで「奈良写真館」を検索しても何も情報が得られなかったのが、今回、再びインターネットで検索をしたら、宮沢賢治ゆかりの写真館だとわかり感激をした。
 それは、azaleaさんのブログ『宮沢賢治と「アザリア」の友たち』で見つけさせていただいた。
 「アザリア」とは西洋ツツジの「アザレア」であり、宮沢賢治(1896-1933)とその仲間が立ち上げた文芸同人誌に「アザリア」と名付けられた。
 宮沢賢治が盛岡高等農林学校3年の大正6年(1917) 10月31日に、同人誌の仲間4人が奈良写真館で撮影したそうである。この写真は、「宮沢賢治の青春」(菅原千恵子著、角川文庫)の本の表紙にも使われている。
 これについては、2009年6月6日(土)の盛岡タイムスに『賢治ら「アザリア」の4人写った写真の撮影場所が判明 小菅健吉が手紙に記す』の見出しで記事が掲載されたようであるが、残念ながらインターネットでは記事が削除されてしまって見ることができない。
 一方、奈良写真館は明治35年(1902)から昭和8年(1933)の間、開業されたらしい。
 ちなみに、コピーした写真の撮影日は、明治44年(1911) 7月9日と書かれている。さらに、「奈良真順→真一、勝郎」とメモをしてあるので、多分館主であろう。そうすると、撮影者は奈良真順さんあるいは奈良真一さんとなる。写真を掲載できないのが残念である。

(注1) 旧盛岡銀行は昭和恐慌の影響で1931年に破綻し、翌年救済のため岩手銀行が設立された。

2012.1.17追記
 先の奈良写真館の写真は「蔵から出てきた盛岡 : よみがえる写真乾板 / 伊山治男 編」(東京 : 国書刊行会, 1989.7)に収蔵されているようだ。

関連ニュース・情報
 宮沢賢治(宮澤賢治)


キーワード:奈良写真館、 奈良真順
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