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御所市・秋津遺跡 4世紀前半の巨大祭祀施設の塀跡が出土

2010年01月20日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が20日、御所市池之内の秋津遺跡から4世紀前半の前例のない方形に巡らされていたとみられる板塀跡が見つかったと発表した。
 塀跡は南北に3基分が出土した。北側から
(1)東西30m、南北14m
(2)東西40m以上、南北18m以上
(3)東西23・5m、南北3m以上
 いずれも幅約20cmの溝の両脇に、一対の柱穴が1・8~2・6m間隔で見つかった。溝の部分に厚さ約15cmの板材をすき間なく並べ、両側から柱と横木で挟んで固定し塀にしたと推定される。柱を埋めた深さから、塀の高さは2m前後とみられる。3基は数十年間で建て替えていたらしい。
 形状から心合寺山(しおんじやま)古墳(八尾市、5世紀前半)などで出土した祭祀場をかたどった「囲形(かこいがた)埴輪」のモデルになったとみられ、豪族の巨大な祭祀空間を方形に囲んでいたと推定する。
 遺跡は5世紀以降に古代豪族・葛城氏が支配した本拠地にあり、初期大和政権(3世紀後半~4世紀中ごろ)期に、葛城地域にも一大勢力が存在したことを裏付ける初めての資料としている。
 2基の塀跡の内側からは、塀とほぼ同時期の掘立柱建物が2棟ずつ見つかった。出土遺物は馬の歯など祭祀用の品が全体の6割を占めているという。
 また、遺構近くの川跡では、祭祀の道具とされる小型の壺などが多く捨てられていた。
 秋津遺跡は、葛城山と金剛山の東麓に広がる扇状地帯の平地。宮山古墳(5世紀初め頃、前方後円墳 全長238m)から北東約1kmにある。
 現地見学会が24日午前10~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、MBS毎日放送]

 写真は、旧高田街道の名柄から宮山古墳(写真中央)を撮ったもの。したがって、宮山古墳のすぐ左に見えるのが秋津小学校あたりで、秋津遺跡はそのすぐ裏手にある。



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