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大津市・石山国分遺跡 藤原宮の瓦製作跡を発見

2011年07月22日 | Weblog
 大津市教委が22日、同市田辺町の石山国分遺跡から藤原宮(694~710年)で使われていたものと同様の特徴を持つ瓦と瓦窯跡2基が見つかったと発表した。 石山国分遺跡から藤原宮までの直線距離は約50kmあり、瀬田川、宇治川、木津川を使い運搬したとみられるという。
 窯跡は、ともに全焼成部が階段状で、全長6・7m、最大幅は1・5mだった。 天井部は削られていたが、トンネル状になっていたらしい。 近くで廃棄された瓦が数百枚見つかった。
 藤原宮の瓦を製作したとみられる窯は淡路島や香川県でも見つかっている。
 万葉集(注1)には、田上山の桧乃嬬手(檜の荒材)を八十氏河(宇治川)などに浮かべ流して、泉乃河(木津川)を経由して運んだという記述があり、瓦も同様に、主に水路で運ばれたのだろうとみている。
 見つかった瓦は7月26~29日と8月1~5日に大津市役所市民ギャラリーで、8月6~28日に同市歴史博物館ロビーで展示される。
[参考:時事通信、共同通信、毎日新聞、産経新聞]

(注1) 万葉集巻1 (50) 藤原宮之役民作歌
八隅知之 吾大王 高照 日乃皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 
神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 桧乃嬬手乎 
物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 
水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 
泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須良牟 伊蘇波久見者 神随尓有之

右日本紀曰 朱鳥七年(693)癸巳秋八月幸藤原宮地 八年(694)甲午春正月幸藤原宮 冬十二月庚戌朔乙卯遷居藤原宮

過去の関連ニュース・情報
207.10.25 大和郡山市・西田中瓦窯 藤原宮の瓦生産の登り窯跡が出土
 大和郡山市教委は24日、藤原宮の瓦を生産した7世紀末ごろの登り窯跡3基が同市西田中町で出土したと発表した。
 出土したのは「西田中瓦窯」と呼ばれる登り窯跡で、平成16年の試掘で6基を確認し、このうち3基を調査したところ、内部にあった軒瓦が藤原宮の朝堂院などの瓦と一致した。
 斜面に並んだ3基は同時期に使われていたとみられる。 窯跡はいずれも斜面がトンネル状に掘られ、燃焼室と階段状の焼成室、頂上部の煙道で構成され、全長約5m、幅1.5m前後で、30度ほどの傾斜角で築かれていた。
 周辺では、西田中瓦窯の南西約250mにある「内山窯跡」でも同形式の瓦と窯跡4基が確認されている。
 藤原宮の瓦を生産した窯としては、奈良県内では日高山瓦窯、県外では香川県の宗吉瓦窯などで確認されている。
[参考:産経新聞、読売新聞、毎日新聞、橿原市教育委員会HP]
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