9月29日
27日に東京の有馬小学校の同級生がたずねてきた。
3年前に52年ぶりに会っている。その時に「中国地方に行く
ことが有るのでその時は寄らせてもらう」とは言っていたが
まあ挨拶代わりの言葉として受け取っていた。
ところが25日に電話が有り、実現してしまった。
歓待したことは言うまでもない。
27日は飲みながらの歓談。この年になると健康、病気、墓、誰それが
亡くなったとかの話が中心。
それでも、話っぷりの端々で彼の昔の面影を見ることができ、タイムスリップ
の感覚で昔のように話に夢中になった。その夜は帰宅しても興奮が覚めず
なかなか寝付けなかった。
翌日は朝早くから倉敷美観地区、瀬戸大橋を回って児島駅から見送った。
大原美術館前にて
朝8時と言うこともあって、美観地区の人通りはほとんどない。
彼もひっそりとした白壁の街を存分に楽しんでいた
瀬戸内海の景観には立ち止まって眺めることしばしば。
瀬戸大橋が巨大な構造物で有ることを見てもらおうと与島まで車で渡った。
「健康なうちにもう一度会おうと」約束をして別れた。
とにかく興奮の2日間で有った。
27日に東京の有馬小学校の同級生がたずねてきた。
3年前に52年ぶりに会っている。その時に「中国地方に行く
ことが有るのでその時は寄らせてもらう」とは言っていたが
まあ挨拶代わりの言葉として受け取っていた。
ところが25日に電話が有り、実現してしまった。
歓待したことは言うまでもない。
27日は飲みながらの歓談。この年になると健康、病気、墓、誰それが
亡くなったとかの話が中心。
それでも、話っぷりの端々で彼の昔の面影を見ることができ、タイムスリップ
の感覚で昔のように話に夢中になった。その夜は帰宅しても興奮が覚めず
なかなか寝付けなかった。
翌日は朝早くから倉敷美観地区、瀬戸大橋を回って児島駅から見送った。
大原美術館前にて
朝8時と言うこともあって、美観地区の人通りはほとんどない。
彼もひっそりとした白壁の街を存分に楽しんでいた
瀬戸内海の景観には立ち止まって眺めることしばしば。
瀬戸大橋が巨大な構造物で有ることを見てもらおうと与島まで車で渡った。
「健康なうちにもう一度会おうと」約束をして別れた。
とにかく興奮の2日間で有った。