エゴン・ペトリはブゾーニの弟子で、リストとドイツものを得意としていたやうだが、とにかく細かな指の動きは素晴らしく、驚くべきスピード感をもって正確に、しかも軽やかに難なく弾いてのけるテクニシャンだと僕は思っている。弟子には、ジョン・オグドンとアール・ワイルドが居るが、何か共通点を感じる。 . . . 本文を読む
第1曲目のフンメルを久しぶりに聴いてフリードマン節を思い出していた。また、フリードマンにかかれば、お国もののショパンのノクターンのやうなサロン音楽は別の趣きを味わえる。しかし、このCDのなによりの楽しみは、今までに聴く事が叶わなかった4種の未発表ソースがどのやうな演奏かを聴いてみることにあった。 . . . 本文を読む
ポリアキンのクロイツェルソナタに続いて、ハイフェッツの未発表のクロイツェルをご紹介しよう。録音が行われたのは、1949年6月13日で、場所は倫敦のアビーロード第3スタディオ、HMVによる正規の録音で、聴く限りにおいては特にトラブルらしきものは見当たらない。ハイフェッツがクレームをつけたためにお蔵入りといふ説も聞くが、真相は知らない。 . . . 本文を読む
このやうな名演奏家をどうして知らなかったのだろうか。マスメディアを恨む前に、自分の無知を恥ずべきだろう。アウアーの遺産といふ名のアルバムに戦時中の録音が二つ収められている。クロイツェルソナタとシューベルトの独逸舞曲3番(ワルツ)の2曲だ。 . . . 本文を読む
学生時代に友人Yからの情報で、ポーランドの洋琴家の歴史的な録音を集めたLPの存在を知った。大学の図書館で借り、館内で聴くことはできたが禁帯出扱いなので、家でテープにコピーできない。困った挙句、ヘッドフォン端子からデンスケに繋ぎ、カセットテープにコピーすることに成功したのだった。このやうなことは、当時、禁じられていたため、ヘッドフォンを耳に当てて、あたかも聴いているやうなふりをしながら、膝の上でデンスケを回し続けたのである。 . . . 本文を読む
メニューヒンはブルッフの協奏曲第1番を度々録音しているが、ここでご紹介するのは彼の協奏曲の録音としては最初のものである。Claremontのドナルド・グラハム氏による復刻CDもあるが、やはり提琴の復刻はBiddulphに勝るものはない。 . . . 本文を読む
南米の音楽事情には詳しくないが、フルトヴェングラーが地元のオーケストラを指揮したブラームスの交響曲などを聴く限りでは当時の日本の方が明らかに水準は高かった。しかし、ことピアノに関しては、非常に高いレベルの教育がなされていたやうであり、ラローチャ、アルゲリッヒ、ゲルバー、アラウなど、南米は意外と多くのピアニストを生んでいるところなのだ。ちなみに、友人Yの嫁さんも南米育ちのピアニストである。 . . . 本文を読む
ブラームスは晩年に洋琴小曲集を4つ書き残した。合計20曲の小品があるが、作品119-3が僕はとても気に入っている。息の長い独特のうねりを持った旋律、この不思議な魅力に秘められたブラームスの作曲技法の巧みをご紹介しよう。 . . . 本文を読む
フランツ・リストの最後の愛弟子、フレデリック・ラモンドのリスト全レコヲドを収めた復刻CDがある。正に、歴史的な遺産である。誤った音楽観を持つ僕にとっては、現代の何かふにゃふにゃと得体の知れないピアニストは、こういった本当の魂を吹き込むことを忘れているやうにしか思えないのである。 . . . 本文を読む
学生の頃、友人Yの師匠M教授のピアノライブラリーをコピーしては聴きなれない昔の演奏スタイルを楽しんでいた。その中に、録音年代もレーベルも不明な、モイセイヴィッチのラヂヲ放送から録った演奏があった。それが標記の曲で、軽快でメリハリの効いたその演奏は、数多いこの曲の演奏の中で最も好きな演奏だったが、なにせ短波ラヂヲからテープレコーダーで録音したもごもごとした音なので、SP盤か復刻盤を聴きたくて仕方がなかった。 . . . 本文を読む
プランテと同じ仏蘭西の洋琴家で1852年生まれのラウル・プーニョは1903年に20曲の録音を残している。音は貧しいが、そこから聴こえる音楽は、正にこれがショパンの音楽なのではないか、と思はせるやうな、今までに聴いたことのない忘れられた特別な世界がある。 . . . 本文を読む
フレデリック・ショパンの自作自演レコヲド。ピアノ音楽愛好家にとっては誰もが夢見る永遠に叶わぬ夢。ショパンはこのフレーズをどのように弾いていたのだろう、ここではテンポルバートを使っていたのだろう・・・想像の域を出ない。しかし、現代のピアノ弾きたちのつまらない演奏しか聴いたことのない人たちには、考えられないやうな演奏をしていたに違いないと僕は思っている。その一つの証拠がここにあるのでご紹介しよう。 . . . 本文を読む
1885年にワルシャワに生まれた洋琴家で、当時、ショパン弾きの神童としてもてはやされたコチャルスキが、若かりし頃のチェルビダッケと競演した貴重なレコヲドがある。曲はコチャルスキが得意とするショパンの協奏曲2番。 . . . 本文を読む