AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

ロンドンの松井珠理奈 ロンドンの浦野一美 ロンドンの島崎遥香 (ナッキー)

2011-04-19 12:40:23 | 分析系 メンバー
ロンドンの松井珠理奈 ロンドンの浦野一美 ロンドンの島崎遥香 (ナッキー)

ロンドンでのミュージカル鑑賞、アイドルしばり。実は、「オズの魔法使い」の一日前に、「Wicked」を見ていました。
「Wicked」は、日本で劇団四季が公演しているのは知っていましたが、他には何の事前情報もなく見に行って、これが「オズの魔法使い」のオマージュだと公演後に知りました。
本歌取り「Wicked」を見た後で、本歌「オズの魔法使い」を見たくなりました。ストーリーとキャラクターの設定が、どのように、換骨奪胎されていたのかを、知りたくなったから。

(wikiによると、「Wicked」は、「オズの魔法使い」の前日談として作られたミュージカルで、西の悪い魔女・エルファバと北の良い魔女・グリンダの知られざる友情を描いている。)

換骨奪胎「先人の詩や文章などの着想・形式などを借用し、新味を加えて独自の作品にすること。」
換骨奪胎が上手なアイドルの曲は、それだけで輝きます。
このブログでは、「夕陽のいじわる」を絶賛しています。

タイトルは菊池桃子の『青春のいじわる』(秋元康作詞)を意識しているし、くさい台詞入りなのも、あまりに昭和的だ。白いフリフリのいかにもアイドルという衣装や振り付けも。これは、まさに重要無形文化財級だ。(ときめき研究家)
「夕陽のいじわる」は 「アイドルファンに盗作を思われるような曲を作ってくれ」、だったのだろう (KC)
「夕陽のいじわる」は 「ハロー・グッバイ」原作者の許可をとっていると思う。 (ナッキー)



「Wicked」は、日本では劇団四季が長期公演を行っているので、ご覧になった方も多いでしょう。プロモーションをリンク
このビデオで、肌の色が緑の魔女(の学生時代)を演じている四季の女優と、私がロンドンで見たイギリスの女優の印象は大きく異なります。
日本の女優は、マイルドな感じ。
イギリスの女優は、えげつないくらいの迫力がありました。
自分が醜いことを、悲観しない。
いじめられても、にらみ返す。
孤立していながら、崇高な感じ。
そう、AKB48・SKE48のファンに説明するとしたら、松井珠理奈が役に乗り移って真剣に演じきっているようなイメージ。
逆に、松井珠理奈の他に、この役を演じることのできるメンバーはいないのではないかという感じ。 (NMB48は見たことないので、比較の対象外)


北の良い魔女・グリンダの役は、「オズの魔法使い」では女王様風で貫禄がありましたが、「Wicked」では、学生で、人気者だけど、性格がおしゃまで、憎めないというキャラ。
冗談の言い方が、シンディこと浦野一美かな、という印象。

「オズの魔法使い」には登場していない人物なのですが、
肌の色が緑の魔女(ロンドンの松井珠理奈)の姉で、
妹にサポートしてもらいながら、車椅子で大学に通う、美人の女子学生といキャラが登場。

この役を見て、宮田夕紀 をイメージしました。「もしドラ」で病気で入院している女の子です。
ここにリンクしたKCさんの記事は、2010年2月22日に、「宮田夕紀は大島優子かもしれない」書いており、
原作者の岩崎夏海のインタビュー 2010年6月12日には、
川島みなみ 峯岸みなみ
宮田夕紀  大島優子
北条文乃  渡辺麻友   と書いてあります。


「Wicked」の姉役は、大島優子よりはずっと背が高く、おでこを出していたので、出張直前に見た研究生公演の印象より、島崎遥香をイメージしました。


「Wicked」も、当日券で見たのですが、3枚しか残りの席がなく、一番高い8000円くらいの席で観戦。1階センター中央4列という好位置でした。ロンドンでなく、秋葉原で好位置に当たりたいものです。

芝居のせりふで、AKB48に当てはまる言葉をいくつか引用します。
友達がいない緑の肌の女子学生に対して、先生が “encourage talent”  
直訳では「能力を伸ばしなさい」でしょうが、意訳すると「あなたには、人にない素晴らしい才能を持っている」でしょうか。

“trust my instinct” メモだけ残っていて、誰のせりふか忘れてしまいましたが、直訳すると「本能を信じる」 意訳すると、「考えるよりも、直感が正しいことがある」でしょうか。

ロンドンの浦野一美(良い魔女の学生時代)が、婚約した時に歌った歌の歌詞、
“ I couldn’t be happier”  「これ以上幸せになることはできない」 
ファンが、握手会で、一推しのメンバーに、認識された時の心境でしょうか。

ナッキー
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落語の普遍性、アイドルの普遍性 (ピーナッツ)

2011-04-19 12:30:00 | アイドル・AKB48 興行の手法・人気
17日の「ボクらの時代」(フジ系)に出演されていた、周防正行さん(映画監督)のトークより…

「僕の1本目なんてね、"自分さえ楽しけりゃいい"っていう作り方をして…。
で、ある時、その自分のセンスで撮ってて、それを面白がる人は、要するに、僕とセンスを共有できる人しかいないわけですよね。
でも、"表現する"って、そういうことでいいんだろうか?
で、1回…
"よし!ウチの母親でもわかるような映画を作ってやれ!"
っていうのが、『シコふんじゃった』だったんですよね。
で、"誰にも、わからないとは言わせない!!"っていう…。
で、まぁ、『Shall we dance?』を作って…。
そしたら、その後に、今度は面白いことを言われたのが、淀川長治さんに、
"これ以上、親切になっちゃダメよ"と。
で、こっちは、よかれと思って、いろんな人にわかってもらいたいと思って、いろんな親切をし出すんですよ…今度は逆に。
過剰なサービスですよね。
そうすると、"画が、それ自体がつまらなくなるよ"ということを淀川さんに言われたような気がして…。
じゃ、どこまで?…ファンサービスっていった時のサービスって、どこまでなんだろう?って思うんですよ。
1つの素材で、僕が面白い!って思ったものを多くの人に伝えたい!って思う。
だけど、それを伝えたい!って思った時に、僕は、どこまで親切になるべきなのか?というのは、これから先の僕の悩み・・・」

なんか、「落語」の話と一緒だな…って。
きっと、「落語」も「アイドル」も、その時代のエンタテイメントであり続けよう!とする闘いの中に、「文化」としての芽が出てくるもんなんだろうな?なんて思った。
周防さんもAKBも、何かを継続して、何かを破壊して、そうやって、大衆のものになり続ける…ってことなんだろうな。
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