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AKB48 チームBのファンより

複数のメンバーがAKBグループや坂道グループを中心に、古今のアイドルについて自由に語るサイトです。

教科書に載せたいアイドル史の300曲③(83年~87年「アイドルがいっぱい」)

2025-02-11 16:37:33 | ときめき研究家
83年から87年頃まで、既出のアイドルに加え新たなアイドルも多数現れて活躍し、アイドルポップの全盛期を迎えた。

「花の82年組」が続々とブレイクする中、83年デビューのアイドルは不遇だった。後に自分たちを「不作」と自虐した松本明子(1983デビュー)はそのリーダー格で『♂♀KISS』(1983)はファンキーなデビュー曲。横浜銀蠅の妹分として売り出した岩井小百合(1983デビュー)の『ドリーム・ドリーム・ドリーム』(1983)は、スピード感いっぱい。伊藤麻衣子(1983デビュー)の『微熱かナ』(1983)は脆い感傷を巧みに歌った。森尾由美(1983デビュー)の『お・ね・が・い』(1983)は、可愛らしさを最大限に引き出した名曲。高橋美枝(1983デビュー)の『ひとりぼっちは嫌い』(1983)は『木綿のハカチーフ』に匹敵するような松本隆の力作。ボーイッシュな大沢逸美(1983デビュー)の『ジェームスディーンみたいな女の子』(1983)、金属的なハイトーンの桑田靖子(1983デビュー)の『脱プラトニック』(1983)はいずれも個性的なデビュー曲。ほんわかした徳丸純子(1983デビュー)『PICA PICA』(1983)、吹田明日香(1983デビュー)『2人はMagic』(1984)のチャーミングさも忘れられない。河上幸恵(1983デビュー)は地味だが美しいメロディーの『ブルーエトランゼ』(1983)でデビューし、ロボットとのデュエット曲『ハートのねじ』(1984)にも挑戦した。女優の冨田靖子(1983デビュー)も歌手活動をコツコツ続け、良い曲が多いが、『さびしんぼう』(1985)はショパンの曲をアレンジした映画主題歌。83年組からビッグなアイドルは生まれなかったが、それぞれに輝いていた。

一転して84年は大物がデビューした。80年、82年、84年と、アイドル隔年法則とも言われた。
菊池桃子(1984デビュー)は、『青春のいじわる』(1984)でデビュー。ささやくような声で、当時流行していたオメガトライブの女性版と言える洗練されたサウンドのアルバムを発表。アイドルとしての清楚な可愛らしさは空前絶後、それを失わないまま今日に至っている。『雪に書いたラブレター』(1984)のはかなさはアイドルの刹那性を具象化。一方『Say Yes!』(1986)は元気な応援歌。突然ロックバンドLA-MUのリードボーカルとして『愛は心の仕事です』(1988)を発表して驚かせたが、それも含め近年のシティポップブームで再評価されている。
対照的にアイドルとして疾走し、燃え尽きてしまったのが岡田有希子(1984デビュー)だった。竹内まりやとの相性が良く『ファーストデイト』(1984)、『Dreaming Girl~恋はじめまして』(1984)など正統派アイドル路線を歩んだが、事務所の先輩松田聖子作詞の曲『くちびるネットワーク』(1986)がラストシングルとなってしまった。
荻野目洋子(1984デビュー)は、硬質な声と確かな歌唱力を武器にデビュー曲『未来航海―Sailing―』(1984)をはじめ上質なアイドルポップを歌っていたが、洋楽カバーの『ダンシングヒーロー』(1985)で大ブレイク、『六本木純情派』(1986)などポップシンガーとしての道を歩む。
長山洋子(1984デビュー)もアイドルとしてデビュー、『ヴィーナス』(1986)のような洋楽カバーでも高い歌唱力を示したが、後に演歌に転向し人気歌手となった。渡辺桂子(1984デビュー)の『H・i・r・o・s・h・i』(1984)はレトロっぽい曲だが、ヒロシという名前は芸能界に多い気がする。
84年に歌手デビューした女優は個性派ぞろいだ。安田成美(1984デビュー)の『風の谷のナウシカ』(1984)の危うげな歌唱にはハラハラした。工藤夕貴(1984デビュー)の『野生時代』(1984)はぶっきらぼうな歌い方。沢口靖子(1984デビュー)は小室哲哉作品『Follow Me』(1988)での我が道を行く歌唱が素晴らしかった。角川3人娘の末っ子渡辺典子も映画主題歌などを歌い続けたが、阿木耀子・宇崎竜童コンビの『あこがれ座』(1985)は映画讃歌というべき名曲。
グループアイドルも多彩だった。2人組キララとウララ(1984デビュー)の『センチ・メタル・ボーイ』(1984)はコミカルだが哀愁も感じる不思議な曲。3人組少女隊(1984デビュー)の『Bye Bye ガール』(1985)はオールディズ風。4人組セイントフォー(1984デビュー)の『不思議TOKYOシンデレラ』(1984)は、レオタード姿でのアクロバティックなダンスが独特。フジテレビの深夜番組から生まれた女子大生グループおかわりシスターズ(1984デビュー)の『恋をアンコール』(1984)は爽やかな曲。フジのこの成功は後に女子高生グループのおニャン子クラブへとつながっていく。

85年には「隔年法則」が破られ、続々有望アイドルがデビューした。
中山美穂(1985デビュー)はテレビドラマで人気が出て、その後『ツイてるね、ノッてるね』(1986)、『WAKU WAKUさせて』(1986)などダンサブルなヒット曲を連発した。その後も、歌い上げるバラード『You’re My Only Shinin’ Star』(1988)、WANDSとの共演曲『世界中の誰よりきっと』(1992)など、息長く歌手・女優として活躍した。
斉藤由貴(1985デビュー)の『卒業』(1985)は、作詞家松本隆渾身の卒業ソング。生ぬるい感傷に流されないクールな知性を感じさせる。ドラマチックな『白い炎』(1985)はドラマ「スケバン刑事」の主題歌。その後も玉置浩二作曲の『悲しみよこんにちは』(1986)、井上陽水のカバー『夢の中へ』(1989)など多彩なヒット曲を持つ。
南野陽子(1985デビュー)は二代目「スケバン刑事」だが、神戸育ちのお嬢さんのイメージの方が強い。女友達の恋人への密かな思いを歌う『接近』(1986)、片思いの繊細な思いを歌う『話しかけたかった』(1987)、袴姿の歌唱が記憶に残る『はいからさんが通る』(1987)、幸福な恋人たちの歌『吐息でネット』(1988)などヒット曲も多数。その後も美しさを失うことなく女優として活躍中。
浅香唯(1985デビュー)は、『コンプレックスBANZAI』(1986)などマニア好みの名曲を出しながら、なかなかヒットに恵まれなかったが、三代目「スケバン刑事」でブレイクした。『Believe Again』(1988)、『C-girl』(1988)、『セシル』(1988)とタイプの違う3曲を立て続けにヒットさせた。
芳本美代子(1985デビュー)は、ものすごい歯並びの愛くるしいルックスで、弾むようなポップスの名曲を連発。デビュー曲の『白いバスケットシューズ』(1985)と『青い靴』(1986)は偶然だろうが「色+靴」シリーズになっている。
松本典子(1985デビュー)は、無色透明で強烈な色がないのが個性で、それはデビュー曲『春色のエアメール』(1985)によく表れている。中島みゆきとユーミン、対照的な両者の楽曲をシングル曲として歌えたのはその無色透明さゆえ。しみじみとした『雨と水曜日』(1988)は郵便局の「ふみの日」キャンペーンソング。
佐野量子(1985デビュー)はいっそう地味だが、ほのぼのした癒し系アイドルとして定着。『四月のせいかもしれない』(1987)は、イメージには合わない悲しい別れの歌。井森美幸(1985デビュー)の『99粒の涙』(1985)、志村香(1985デビュー)の『曇りのち晴れ』(1985)、村田恵里(1985デビュー)の『オペラグラスの中でだけ』(1985)も佳曲。
そして本田美奈子(1985デビュー)も85年デビュー。『青い週末』(1985)はブレイク前の素朴な青春ソングだが高い歌唱力が際立つ。『1986年のマリリン』(1986)ではセクシーな魅力を見せつけ大ブレイク。『One-way Generation』(1987)ではタキシード姿のパフォーマンス。後にミュージカルに進んだが、2005年に白血病で逝去。

続く86年、87年デビューからも個性派が出ている。
島田奈美(1986デビュー)は伸びやかな『Free Balloon』(1987)、EPO作詞作曲のキュートな『内気なキューピッド』(1987)がヒット。西村知美(1986デビュー)の『ポケットに太陽』(1987)はほのぼの、水谷麻里(1986デビュー)の『ポキチ・ペキチ・パキチ』(1987)は不思議ソング。山瀬まみ(1986デビュー)の『メロンのためいき』(1986)はユーミン作品で確かな歌唱力が際立つ。真璃子(1986デビュー)の『不良少女にもなれなくて』(1986)はヒューマンな佳曲。
伊藤智恵理(1987デビュー)は長い手足と抜群の歌唱力で『雨に消えたあいつ』(1987)を歌った。伊藤美紀(1987デビュー)の『小娘ハートブレイク』(1987)は飛び上がる振り付けが印象的。立花理佐(1987デビュー)の『疑問』(1987)は少しアナクロっぽい味わい。守谷香(1987デビュー)の『失恋座』(1987)はタイトルとは裏腹になけなしの勇気で恋に踏み出していく歌。
酒井法子(1987デビュー)は、『渚のファンタシィ』(1987)、『1億のスマイル』(1988)など元気な曲が多く、その路線の集大成は『ダイアモンド☆ブルー』(1990)と言える。後にドラマの主題歌『蒼いうさぎ』(1995)をしっとりと聴かせた。

こうした魅力的なアイドル達が活躍しているのと同時に、アイドル界におニャン子クラブ(1985デビュー)の旋風が吹き荒れたのが85年~87年のことである。フジテレビの「夕焼けニャンニャン」のため結成された素人女子高校生集団が、秋元康プロデュースのもと、あれよあれよという間に、大ブームとなった。素人らしさを前面に出したおニャン子は、クラシック音楽で言えば民族音楽を取り入れたドボルザークやグリーグ、シベリウスなどの国民楽派だろうか。
デビュー曲『セーラー服を脱がせないで』(1985)以降、主力メンバーの卒業ソング『じゃあね』(1986)などヒット曲を連発。更に、メンバーが次々にソロやユニットとしてデビューし、ヒットチャートを席巻した。
初期おニャン子の象徴的存在の新田恵利(1986デビュー)の『冬のオペラグラス』(1986)は巧拙を超えた圧倒的なパフォーマンス。そのライバル的な存在で勝気な国生さゆり(1986デビュー)の『バレンタイン・キッス』(1986)は今も冬の定番ソング。フランス人形のような河合その子(1985デビュー)の『青いスタスィオン』(1986)はハイセンス。更に、正統派アイドル渡辺美奈代(1986デビュー)の『PINKのCHAO』(1987)、理知的なキャンパスガールイメージの渡辺満理奈(1986デビュー)の『深呼吸して』(1986)、そしてうしろゆびさされ組(1986デビュー)の個性派への応援歌『うしろゆびさされ組』(1986)など、名曲も多数。
そしてソロデビューの真打ちは工藤静香(1987デビュー)。『禁断のテレパシー』(1987)でソロデビューし、アイドル色の強い『MUGOん、・・・色っぽい』(1988)、ロック色の強い『抱いてくれたらいいのに』(1988)や『嵐の素顔』(1989)などヒット曲を連発し、元おニャン子という肩書は無用の歌手となった。

おニャン子の評価には賛否両論あるが、アイドルの様々な可能性を示した壮大な実験だったことは確かだ。一方で、その実験の余波で、おニャン子解散後は、嵐の去った後のように、全てやりつくした満腹感・虚脱感からか、アイドル全体の活力が徐々に失われていくことになる。(続く)

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教科書に載せたいアイドル史の300曲②(80年~82年「なんてったってアイドル」)

2025-02-07 21:26:50 | ときめき研究家
80年代に入り、アイドルの新しい地平を拓いたのが松田聖子(1980デビュー)、それに続いたのが中森明菜(1982デビュー)である。この二人をクラシック音楽史に例えれば、古典派のモーツァルトとベートーヴェンの両巨匠に相当する。

松田聖子は、2曲目『青い珊瑚礁』(1980)でブレイク、『夏の扉』(1981)までは三浦徳子作詞の伸びやかな歌声を活かした正統派アイドルポップでトップアイドルの地位を獲得し、「ぶりっ子」という批判も賛辞に変えた。その後作詞家松本隆と組み、大瀧詠一作曲の『風立ちぬ』(1981)、ユーミン作曲の『赤いスィートピー』(1982)や『渚のバルコニー』(1982)といった多彩な楽曲で女性ファンも増やしていく。『SWEET MEMORIES』(1983)はジャズ風の英語歌唱が聴かせどころ、『瞳はダイアモンド』(1983)は泣きのボーカルが絶品、『天使のウインク』(1985)は難解な歌詞の尾崎亜美作品。結婚後もアイドルであり続け、『瑠璃色の地球』(1986)、『あなたに逢いたくて』(1996)といったヒット曲を出した。毎回多くのアーティストが参加したアルバムのクオリティが高く、従来歌番組でシングル曲を見るのが中心だったアイドルの鑑賞スタイルを変えた。

松田聖子の同期80年デビュー組は、実力派、個性派揃いだ。
河合奈保子(1980デビュー)は、『スマイルフォーミー』(1981)、『夏のヒロイン』(1982)のような快活なポップスで躍動する一方、竹内まりや作品『けんかをやめて』(1982)では悩める少女の心理を赤裸々に歌った。『エスカレーション』(1983)では大人びた世界にも挑戦。どんなタイプの楽曲も確かな歌唱力に裏打ちされて歌いこなしていた。『ハーフムーン・セレナーデ』(1986)は自ら作曲した佳曲。
現在の天皇が当時ファンだった柏原よしえ(後に芳恵)(1980デビュー)は、デビュー後しばらくは近田春夫作詞『乙女心、何色?』(1981)など試行錯誤が続いていたが、カバー曲『ハロー・グッドバイ』(1981)でブレイクして人気アイドルになった。中島みゆき作品の『春なのに』(1983)は卒業ソングの定番。その後は大人びたムードの楽曲が多い。
岩崎良美(1980デビュー)にも、多くのヒット曲がある。『ごめんねDarling』(1981)はハイセンスな楽曲を姉同様に高い歌唱力で軽やかに歌い、『どきどき旅行』(1982)はきわどい歌詞を素知らぬ顔で歌い飛ばしていた。しかし、最大のヒット曲はアニメ主題歌『タッチ』(1985)ということになってしまう。
ツッパリ路線でポスト百恵を狙った『セクシーナイト』(1980)の三原順子(1980デビュー)は、『だってフォーリンラブ突然』(1982)の軽妙なヒットもある。甲斐智枝美(1980デビュー)の『スタア』(1980)、石坂智子(1980デビュー)の『ありがとう』(1980)はいずれもアイドルのデビュー曲らしい佳曲。
皆それぞれに輝いたが、松田聖子という巨星は、誰よりも長く明るく輝き続けた。

81年デビューの個性派は、伊藤つかさ(1981デビュー)。劇団に所属し子役として活躍していたが、「3年B組金八先生」で人気爆発、レコードデビューを果たした。『少女人形』(1981)を震えながら歌う姿は、ロリコンファンのハートを鷲掴み。
角川映画でデビューした薬師丸ひろ子(1981デビュー)は『セーラー服と機関銃』(1981)、『Woman―Wの悲劇より―』(1984)など主演映画の主題歌を、独特の清らかな声で歌った。その後も『あなたを・もっと・知りたくて』(1985)、『時代』(1988)など、歌手活動を長く続けている。

そして「花の82年組」が登場する。
クラシック音楽に例えれば、シューベルトやブラームス、シューマン、ショパンなど、百花繚乱のロマン派だろうか。
松本伊代(1981デビュー。賞レース上は1982扱い。)は『センチメンタル・ジャーニー』(1981)でデビュー。スレンダーで人工的なルックスと鼻が詰まったような声で、数々の名曲を世に出した。糸井重里作詞の『TVの国からキラキラ』(1982)は伊代版アイドル讃歌。尾崎亜美と出会って、バラードの『時に愛は』(1983)、軽妙な『恋のKNOW-HOW』(1984)など新たな魅力も引き出された。
小泉今日子(1982デビュー)は、デビュー当初のアナクロな少女漫画路線から、自分のことを「コイズミ」と呼ぶ本音路線に切り替えてブレイクした。『半分少女』(1983)、『ヤマトナデシコ七変化』(1984)、『渚のはいから人魚』(1985)など、「古くて新しい」楽曲を、独特の押し出すような一本調子の歌い方で歌い続けた。アイドルをデフォルメした『なんてったってアイドル』(1985)は歴史的にも重要。高見沢俊彦作詞作曲の『木枯らしに抱かれて』(1986)は北欧の香りがする。後にドラマ主題歌『あなたに会えてよかった』(1991)はミリオンセラーとなった。
堀ちえみ(1982デビュー)はホリプロらしい野暮ったさが魅力で、デビュー年の『待ちぼうけ』(1982)の歌詞のドジぶりは苦笑もの。そのドジさを活かしたドラマ「スチュワーデス物語」が大ブレイク。『夏色のダイアリー』(1983)、『稲妻パラダイス』(1984)などポップな楽曲もどこか垢抜けない魅力があった。
石川秀美(1982デビュー)は健康的な美少女。スポーツ万能で運動会では大活躍。透明な声で軽快なポップスを歌った。『涙のペーパームーン』(1983)、『Hey!ミスター・ポリスマン』(1983)は歌うのが楽しくて仕方ないといった歌唱。しかしデビュー年の『ゆ・れ・て湘南』(1982)の哀愁も忘れられない。
早見優(1982デビュー)はハワイ生まれのバイリンギャル。『夏色のナンシー』(1983)は彼女の自画像的なナンバー。英語の発音も本格的で爽やかな名曲。その後も『渚のライオン』(1983)、『誘惑光線クラッ!』(1984)のような能天気なヒット曲を飛ばした。
82年組の真打ちは中森明菜(1982デビュー)。デビュー曲のしっとり聴かせる『スローモーション』(1982)、2曲目のツッパリ路線で荒々しい『少女A』(1982)、そして3曲目は再びスローバラード『セカンド・ラブ』(1982)という振幅の大きさに戸惑いつつ、人々は魅了された。すぐに松田聖子と人気を二分するトップアイドルになり、その地位を長く守った。『ミ・アモーレ』(1985)、『DESIRE~情熱~』(1986)で2年連続レコード大賞を受賞。井上陽水作詞作曲の『飾りじゃないのよ涙は』(1984)、加藤登紀子作詞作曲の『難破船』(1987)など難曲も軽々と歌いこなした。『北ウイング』(1984)から始まった海外を題材にした楽曲も多く「歌う兼高かおる」とも呼ばれた。

82年には、トップアイドルにはなれなかったが、魅力的な曲を残したアイドルが他にも大量デビューした。
『マイボーイフレンド』(1982)の正統派アイドル北原佐和子(1982デビュー)、『ねらわれた少女』(1982)のボーイッシュな真鍋ちえみ(1982デビュー)、『月曜日はシックシック』(1982)の劇画的な三井比佐子(1982デビュー)は、3人セットで「パンジー」として売り出された。
三田寛子(1982デビュー)は村下孝蔵作品の『初恋』(1983)などでしっとりとした和風の魅力を発揮。川島恵(1982デビュー)は『ミスター不思議』(1982)で伸びやかな声を聴かせた。白石まるみ(1982デビュー)の『オリオン座の向こう』(1982)はユーミンの佳曲。水野きみこ(1982デビュー)『私のモナミ』(1982)、新井薫子(1982デビュー)『虹色の瞳』(1982)、渡辺めぐみ(1982デビュー)『ときめきTouch me』(1982)も名曲。坂上とし恵(1982デビュー)『き・い・てマイラブ』(1982)は不可思議な曲調とびっくり声で忘れられない曲。つちやかおり(1982デビュー)の『恋と涙の17才』(1982)は大袈裟なアレンジと艶めかしい歌唱が印象的な曲。川田あつ子(1982デビュー)『秘密のオルゴール』(1982)の生歌唱は非常にスリリングだった。
原田知世(1982デビュー)は同名の角川映画の主題歌『時をかける少女』(1983)が代表曲。その曲を含め『ダンデライオン~遅咲きのタンポポ』(1983)などユーミン作品がイノセントな彼女のイメージと相性が良かった。後年、海外カバー曲のアンニュイな『彼と彼女のソネット』(1987)もヒットした。
1982年デビュー組には非常に個性的なグループもあった。スターボー(1982デビュー)は「宇宙三銃士」と称し『ハートブレイク太陽族』(1982)という前衛的な楽曲を残した。ソフトクリーム(1982デビュー)の『やったね、春だね』(1984)はキャンディーズ『春一番』の本歌取りのような楽しい曲。わらべ(1982デビュー)は、萩本欽一のテレビ番組内でパジャマ姿で歌う『もしも、明日が』(1984)が大ヒットした。

かくして、82年はアイドル史上最大の豊作年となった。(続く)
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教科書に載せたいアイドル史の300曲①(70年代「アイドルの夜明け」)

2025-02-02 14:50:40 | ときめき研究家
2011年に「教科書に載せたいアイドル史の100曲」という記事を書いた(2015年にブログ再掲載)。100曲の制約は厳しくて漏れた曲が沢山あったので、今回は300曲に拡げて大幅に加筆してみたい。
コンセプトは、これから日本のアイドルポップを鑑賞したい、歴史を学びたいと思っている若い人向けに、できるだけ客観的な歴史を語ることだ。アイドル本人の人気よりも楽曲重視で選曲した。100曲の時と同様、4回に分けて掲載する。
(「あのアイドルが漏れている」「このアイドルの代表曲は別の曲だ」など、異論・反論ある方はコメントください。)

南沙織(1971デビュー)が『17才』(1971)でデビューしたのが、アイドルの夜明けというのが定説だ。沖縄生まれの髪の長い少女が、有馬三恵子・筒美京平コンビの、従来の流行歌にはなかった清新な楽曲を得て、繊細で傷つきやすく、したたかに自立した女性の心情を歌い続け、若者の共感を得た。『色づく街』(1973)、『人恋しくて』(1975)、『春の予感―I’ve been mellow―』(1978)と年齢に伴い歌の世界も少しずつ大人っぽいものになり、アイドルの理想的な成長を体現した。
天地真理(1971デビュー)は、独特のファルセットで一世を風靡した。『ひとりじゃないの』(1972)、『虹をわたって』(1972)などヒット曲を連発したが、「あなたを待つのテニスコート」という歌い出しが印象的な『恋する夏の日』(1973)が代表曲。
南、天地と共に「3人娘」と呼ばれたのが小柳ルミ子(1971デビュー)だ。大ヒットした抒情的な『瀬戸の花嫁』(1972)は当時ウエディングソングの定番だった。
麻丘めぐみ(1972デビュー)は、幼く弱々しい印象が、守ってあげたい心情を惹起。『芽ばえ』(1972)、『アルプスの少女』(1973)などヒットしたが、何と言っても『私の彼は左きき』(1973)は歌詞も振りつけも印象的な代表曲だった。
香港から来たアグネス・チャン(1972デビュー)は、たどたどしい日本語で異彩を放った。デビュー曲『ひなげしの花』(1972)、『草原の輝き』(1972)とヒットを連発。『ポケットいっぱいの秘密』(1974)は作詞家松本隆の出世作。
歌が下手と言われたアイドルの元祖と言える浅田美代子(1973デビュー)の『赤い風船』(1973)や『しあわせの一番星』(1974)を今聴くとそんなに下手ではない。幼い歌詞の内容と、声量が無く囁くような歌い方が、下手な印象を与えたのだろう。小林麻美(1972デビュー)の『初恋のメロディー』(1972)も幼い歌詞が印象的な曲で、後に森尾由美がカバーした。風吹ジュン(1974デビュー)の『愛がはじまる時』(1974)も息継ぎが苦しそうな歌唱はかなり怪しかった。

山口百恵(1973デビュー)と桜田淳子(1973デビュー)は、クラシック音楽史上「音楽の父」「音楽の母」と呼ばれているバッハとヘンデルに当たる偉大な存在だろう。
山口百恵は、『ひと夏の経験』(1974)など少女の青い性を歌う曲が多かったが、阿木耀子・宇崎竜堂と出会って『横須賀ストーリー』(1976)、『イミテーションゴールド』(1977)、『プレイバックpart2』(1978)などツッパリ系のドラマチックな楽曲で独自の境地を拓く。一方で、さだまさしの『秋桜』(1977)、谷村新司の『いい日旅立ち』(1978)といった日本的な抒情も歌い、圧倒的な人気の国民歌手となった。結婚を発表した後にも『ロックンロールウイドウ』(1980)、『さよならの向う側』(1980)といった名曲を残してきっぱり引退し、現在も伝説となっている。
そのライバルであった桜田淳子は、阿久悠作詞の『わたしの青い鳥』(1973)、『はじめての出来事』(1974)、『十七の夏』(1975)、『夏にご用心』(1976)など、正統派のアイドルらしい歌を長く歌っていたが、後年は中島みゆきと出会って『しあわせ芝居』(1977)、『追いかけてヨコハマ』(1978)のような大人の曲に転じた。一方、1曲限りの松本隆・筒美京平作品『リップスティック』(1978)もファンの評価が高い。
山口、桜田と共に「花の中3トリオ」と呼ばれたのが森昌子(1972デビュー)だ。デビュー曲『せんせい』(1972)の頃は3人で一番人気があったと思う。その後は演歌歌手の道に進んだ。

70年代には、個性的なアイドルがまだ多数いるし、名曲も多数ある。
伊藤咲子(1974デビュー)はデビュー曲『ひまわり娘』(1974)のイメージが強いが、アイドルでは珍しい3拍子の『乙女のワルツ』(1975)、『きみ可愛いね』(1976)など良曲に恵まれた。
木之内みどり(1974デビュー)は初期には青春路線の曲が多いが、最大のヒット曲は後年の大人っぽい『横浜いれぶん』(1978)だろう。
太田裕美(1974デビュー)は松本隆の詞の世界を独特のハスキーボイスで聴かせた。『木綿のハンカチーフ』(1975)は、男性の上京により次第にすれ違って行く恋人達を描き、後世に残る名曲。『赤いハイヒール』(1976)は逆に女性が上京する歌。『九月の雨』(1977)はドラマチック。『さらばシベリア鉄道』(1980)は大瀧詠一作曲だが、大瀧本人歌唱とはまた違った味がある。
岡田奈々(1975デビュー)はフランス人形のようなルックスと、『青春の坂道』(1976)、『手編みのプレゼント』(1976)など女学生路線の佳曲で魅了した。
岩崎宏美(1975デビュー)は本格的な歌唱力を武器に『ロマンス』(1975)、『未来』(1976)など筒美恭平作品でヒットを連発。『思秋期』(1977)などのバラード、ディスコサウンドの『シンデレラハネムーン』(1978)、サンバ調の『夏に抱かれて』(1979)など多彩なヒット曲がある。『聖母たちのララバイ』(1982)は2時間ドラマのエンディング曲として美しい歌声で聴く者を癒した。

岡崎友紀(1970デビュー)はドラマでの人気が高かったが『黄色い船』(1972)は佳曲。松本ちえこ(1974デビュー)はシャンプーのCMソング『恋人試験』(1976)がヒット。林寛子(1974デビュー)のベタな『素敵なラブリーボーイ』(1975)は後に小泉今日子がカバー。黒木真由美(1975デビュー)の『感情線』(1975)はサビが印象的。
高田みづえ(1977デビュー)は木之内みどりのカバー曲『硝子坂』(1977)でデビューし、その後も『私はピアノ』(1980)などカバー曲でのヒットを得意とした。金井夕子(1978デビュー)の『パステルラブ』(1978)は、『スター誕生』の出場者もよく歌っていた名曲で、後に松本典子がカバー。
健康的な榊原郁恵(1977デビュー)と、八重歯が魅力の石野真子(1978デビュー)、超絶的な歌唱力の大場久美子(1977デビュー)は70年代末の人気を三分した。榊原の代表曲は『夏のお嬢さん』(1978)で異論ないが、その後それを超えるヒット曲が出なかったのが残念。『ROBOT』(1980)は当時流行していたテクノ歌謡でファン人気が高い。
石野真子のデビュー曲『狼なんか怖くない』(1978)は、阿久悠の思い入れ溢れる歌詞と、吉田拓郎独特の節回しが楽しめる絶品。『春ラ!ラ!ラ!』(1980)は元カレとカレと3人で会いたいという歌詞の状況が面白い。
大場久美子は、リズムも音程も危なっかしい『スプリングサンバ』(1979)とドラマ「コメットさん」の主題歌『キラキラ星あげる』(1978)を代表曲とする。
倉田まり子(1979デビュー)と石川ひとみ(1978デビュー)は、当時顔が似ていると言われた。倉田はデビュー年から王道卒業ソング『グラデュエーション』(1979)、『How!ワンダフル』(1979)とヒット曲に恵まれた。一方、石川は『くるみ割り人形』(1978)など良曲はあってもヒットに恵まれなかったが、ユーミンの『まちぶせ』(1981)で遂にブレイクした。
清水由貴子(1977デビュー)は『お元気ですか』(1977)をギター弾き語りで歌った。高見千佳(1978デビュー)の『シンデレラ』(1978)、天馬ルミ子(1978デビュー)の『教えて下さい、神様』(1978)、井上望(1979デビュー)の『ルフラン』(1979)、能勢慶子(1979デビュー)の『アテンションプリーズ』(1979)はいずれも印象深いデビュー曲。比企理恵(1979デビュー)は長くタレント活動を続けたが『恋のワナワナ』(1980)などユニークな曲が多い。

70年代を飾った2大グループは、キャンディーズ(1973デビュー)とピンクレディ(1976デビュー)だ。
キャンディーズはドリフの『8時だよ全員集合』へのレギュラー出演等で人気を徐々に積み上げ、『年下の男の子』(1975)、『ハートのエースが出てこない』(1975)、『春一番』(1976)、『やさしい悪魔』(1977)などヒット曲を連発していたが、引退発表後に人気が沸騰し社会現象になった。ラストシングル『微笑がえし』(1978)は、歌詞にこれまでのヒット曲のタイトルが織り込まれた明るい別れの歌で、ファンの後押しで遂に1位を獲得した。
ピンクレディは『ペッパー警部』(1976)でのデビューから、阿久悠・都倉俊一コンビによる独創的な空想世界を歌い続け、1曲毎にインパクトを更新して行った。『渚のシンドバット』(1977)、『ウォンテッド』(1977)、『UFO』(1977)、『サウスポー』(1978)の4曲が絶頂期だったと思われる。この頃は、子どもから大人まで熱中し振り真似ができるスーパーアイドルだった。
70年代の他のグループアイドルとして、3人組ではキャンディーズの後継を狙ったトライアングル(1978デビュー)の『トライアングル・ラブレター』、2人組では後にとんねるずの歌詞にも歌われた双子のリリーズ(1975デビュー)の『好きよキャプテン』が名曲。

1980年に山口百恵が引退、ピンクレディも失速し、アイドルは新たな局面を迎える。(続く)
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2024年紅白歌合戦の感想。(ときめき研究家)

2025-01-01 14:47:35 | ときめき研究家
昨年の大晦日も家族で紅白歌合戦を観た。

乃木坂46は、2021年にも歌った『きっかけ』を歌った。紅白歌合戦で乃木坂46が同じ曲を複数回歌うのは初めてのことだ。シングル曲でもないこの曲は「メンバーが大切に歌い続けて来た曲」とのことだ。いい曲には違いないが、今年はファン以外にも聞き覚えがあるようなヒット曲がなかったこともこの選曲の理由だろう。
周囲に流されず、自分自身の衝動をきっかけに行動したいという信条を歌っている。その信条には共感する。テーマとしたら櫻坂46の楽曲にもよくあるような内容だが、表現方法が攻撃的ではなく、まろやかなのが乃木坂らしい。ダンスも控え目で、全編生歌での歌唱は良かった。
ところで、交差点の真ん中で信号の点滅が始まらないか不安になるという歌い出しはいかにも乃木坂らしい。信号待ちで隣り合った他人の感情にシンクロして泣いてしまう『シンクロニシティ』も、歩道橋の向こう側に渡ることを後戻りできない人生の選択に例えた最新曲『歩道橋』も、日常の道路周りから人生を語る歌詞だ。この3曲を「道路人生哲学シリーズ」と名付けたい。

櫻坂46『自業自得』は対照的に、激しいダンスとハードな曲調で「見せる」ステージだった。歌唱は、口パクではないようだったが「かぶせ」だと思われる。
彼女との別れは自分が選んだことで誰のせいでもないということを、「自業自得」というネガティブワードを敢えて使って表現している。テーマ自体は乃木坂46『きっかけ』と似たようなテーマだが、表現は尖っている。
「君の腕を噛んだまま歩いた」という歌詞が風変りだと思ってこれまで聴いていたが、画面に出た歌詞で「噛んだ」ではなく「つかんだ」だったことを初めて発見した。

毎年のことだが、紅白歌合戦で初めて聴く曲も多かった。それはそれで、最近のヒット曲を知る貴重な機会と考えている。それにしても1回聴いただけでは良さがよく分からない曲が増えてきているのは、私自身が老化しているからなのだろう。
特に2024年に大ヒットした『はいよろこんで』『Bling-Bang-Bang-Born』の2曲とも、画面の歌詞を見ながら聞いたが、何を歌っているのか、どこがいいのか、正直に言えばよく理解できなかった。どちらもリズム重視で、歌詞は語感が良くリズムに乗る言葉を当てはめているのだと思う。詩だから文法通りでなくてもいいが、あまりに断片的な言葉の羅列になっているように感じた。論理的に理解するのではなく、感覚的に感じる歌詞なのかもしれない。
多数出場していた日韓のアイドルグループ(櫻坂含む)の楽曲もそんな楽曲が多い気がした。優先順位は「リズム>>>メロディ>歌詞」なのだろう。私の好みは「歌詞=メロディ>>>リズム」なので真逆だ。それはあくまで好みの問題で、どちらがいい・悪いということではない。

番組後半の南こうせつとイルカあたりから、歌詞・メロディ重視の曲が増え、居心地のいい感じになって来た。THE ALFEE『星空のディスタンス』は、歌唱・演奏とも全く衰えておらず、当時の記憶のままのパフォーマンスだった。やっぱり、知っている歌手、知っている楽曲は安心して楽しめる。

毎年書いているが、三山ひろし歌唱時の「けん玉ギネスに挑戦」は、もう今回限りにした方がいいと思う。成功した今回がやめるチャンスだ。だいぶ飽きられてきたと思うし、誰も歌など聴いていないのは演出本来の目的を逸脱している。
一方、水森かおり歌唱時の「ドミノ倒し」も恒例化しつつあるが、こちらは歌の舞台をドミノで表現するという演出の範疇にギリギリ留まっている。また、失敗してもカメラに写っていない所で再開もできそうだから、けん玉ほど「歌そっちのけ」にはなっていない気がする。

今回、朝ドラ『虎と翼』『おむすび』2作の主演女優が司会をして、2作の主題歌が披露された訳だが、いろいろな意味で違いが鮮明になった。『虎と翼』は主な登場人物が勢ぞろいして作品を振り返るようなミニドラマに続いて、主題歌『さよーならまたいつか』を米津玄師が歌うという演出だった。評価が高かったドラマのファンも満足できる内容だったと思う。一方、苦戦中の『おむすび』の主題歌『イルミネーション』を歌い終えたB’zは、口直しとばかりに『ラブファントム 』『ウルトラソウル』の2曲を歌うサプライズ演出だった。
ただ、司会者としては橋本環奈の堂々とした態度は際立っていた。

ところで、最近過去の紅白歌合戦の再放送をやっていて、1971年のものを見たが、正直言ってつまらなかった。知っている歌手の若い姿を観ることができたが、歌っている楽曲がほとんど知らない曲なのだ。当時は、「その年のヒット曲」を歌うことが原則だったようで、その歌手の「代表曲」を歌っているのではなかった。
歌の紹介やトークも短く、ひたすら紅白交互に歌うような番組だった。時間も21時開始だったので3時間弱だったはずだ。そういうシンプルな構成自体は良いと感じた。
1980年代の再放送なら、知っている曲も多く、もう少し楽しめるのかもしれない。


2015年紅白歌合戦の感想 
2016年紅白歌合戦の感想 
2017年紅白歌合戦の感想 
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2019年紅白歌合戦の感想 
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2024年ベスト10を選定。(ときめき研究家)

2024-12-31 09:55:27 | ときめき研究家
大晦日なので、恒例どおり2024年のAKBグループ、坂道グループの楽曲からが選曲してプレイリストを作成する。
昨年同様に、シングル曲はだいたい配信で購入しているのだが、あまり聴き込めずにブログ記事が書けなかった曲も多数あった。ましてやカップリング曲にまではなかなか手が回らず、ほとんどがシングル曲になった。私の鑑賞能力や感受性が鈍ってきているのか、それとも単に体力が落ちているせいだろうか。
今年前半は柏木由紀の卒業がトピックだった。これにより「初代チームB」は完全に消滅した。卒業コンサートを見届けて、私のAKBグループ鑑賞に一区切りがついたことは事実だ。しかし、今後も細々でも聴き続けていくつもりだし、書きたいテーマがある限りブログも書き続けていきたい。

『サルビアの花を覚えているかい?』(乃木坂46)。
今年のベスト曲はこれ。デュエット曲で2人とも舌足らずの歌唱が絶品。タイトルは『かぼちゃプリンを覚えているかい?』でもよかった。

『カラコンウインク』(AKB48)。
柏木由紀がセンターのラストシングル。『Everyday、カチューシャ』を彷彿とさせる原点回帰の楽曲を、柏木が若いメンバーたちに囲まれて楽しそうに歌っているのを見られたのは良かった。

『一瞬の花火』(NGT48)。
櫻坂46『桜月』を連想させるようなノスタルジックな楽曲。

『最後の最後まで』(柏木由紀ソロ)。
秋元康が本気を出した当て書きの歌詞は見事で、柏木に感情移入してしまう。いつもこれくらい本気を出してほしい。

『恋、詰んじゃった』(AKB 48)。
将棋ファンとしては「詰んだ」という言葉を安易に使ってほしくない。楽曲としては良い曲だと思う。

『僕はやっと君を心配できる』(HKT48)。
世界中の不幸な出来事に対して「自分事」として受け止めていたら身がもたないだろう。でも、一歩踏み出して想像してみることはできる。

『チートデイ』(乃木坂46)。
楽し気な曲調だが、実は初期AKB48と同じような「妄想デート」ものだと確信。

『歩道橋』(乃木坂46)。
しっとりした曲調は好みだが、人生の岐路を歩道橋に例える歌詞は、やっぱり少し無理があると思う。

『何歳の頃に戻りたいのか?』(櫻坂46)。
過去のある時点に戻りたいとは思わないが、人生を振り返ることは必要だ。そんなことを真剣に考えさせられた。

『I want tomorrow to come』(櫻坂46)。
ミュージカルのような雰囲気に騙された。

2023年のベスト8はこちら

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乃木坂46『歩道橋』を聴く。(ときめき研究家)

2024-12-23 20:53:11 | ときめき研究家
年末最後のレビューは乃木坂46の新曲『歩道橋』。
しっとりした曲調で歌い上げる冬らしい楽曲だ。しかし、歌詞を聞いて、どういう状況なのかすぐには理解できなかった。
歩道橋を渡って、向こう側の道を歩くか、それとも渡らずにこのまま歩いていくかを迷っているというような歌詞だ。しかし、同じ道路のどちら側を歩くのかが、そんなに違うのか? 重大な決断を要するような選択なのか? 全くピンと来なかった。

「木枯らしに襟を立てる季節になってもまだ決められない」というフレーズが大ヒントだった。このフレーズから、学校(高校)からの卒業が迫っているのに進路が決められないのかと推理する。歩道橋を渡るのは、上京して都会の大学に行くことの比喩なのだろう。「このチャンスを逃したら信号までは遠すぎる」というのは、大学卒業後に上京するのでは遅すぎるという意味か。今歩道橋を渡らないのは、地元の大学へ行くか、あるいは地元で就職するのか。「このままずっと歩いて行けば、君も失わず、それなりに幸せ」とも歌っているので、地元に彼女がいるのだろう。
それでも彼の気持ちは歩道橋を渡る(=上京=夢を叶えるために行動する)方に傾いているように聞こえる。そして一度渡ってしまったら、簡単には引き返せないと思っているのだ。自分自身の人生を生きるという意味では、道のこちら側も向こう側も同じ人生で変わりはない。しかし、間に幹線道路を挟むことで、距離は近くても簡単には渡れない、別の人生を歩くことになるのだと歌っているのだろう。
つまりこの曲は、太田裕美『木綿のハンカチーフ』や松田聖子『制服』や斉藤由貴『卒業』などに連なる「卒業→上京ソング」なのだ。遠距離恋愛で彼女と付き合い続けることは無理と思っているのは「木綿のハンカチーフの呪縛」にかかっているからだろう。

では、歩道橋の下の道路を見下ろせば、「別の運命」「他府県ナンバーの渋滞」が見えるというのは何の比喩だろうか。都会に向かう道路上に、日本各地の人々が殺到しているということか。自分は徒歩で向かっているのに、車で向かうから渋滞しているというのは羨んでいるのか、蔑んでいるのか、それともその両方か? 
渋滞しているから、道の向こうから車道越しにこちら側の彼女の姿は見えないという意味もあるのだろう。都会の人ごみに紛れて、彼女のことをいつしか忘れていく自分の未来を予感しているのだろう。

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櫻坂46『I want tomorrow to come』を聴く。(ときめき研究家)

2024-12-11 20:22:47 | ときめき研究家
櫻坂46の1つ前のシングル『自業自得』は、何回聴いても感想を書くことができずに終わった。何だかつかみどころのない楽曲だった。一方、新曲『I want tomorrow to come』は一度聴いただけで耳を奪われた。

一言で言うと、ミュージカルの中の1曲のような印象を受けた。ミュージカルを観たことは数えるくらいしかないが、テレビなどで1曲だけ切り取って歌われるミュージカルナンバーに共通するような要素を感じたのだ。静かなソロで始まり、途中激しいリズムの歌唱パート、最後はゆったりとしたコーラスが歌い上げる。1曲の中にドラマがあるような楽曲だ。

何回も聴くと、真ん中のパートはいつもの櫻坂46の楽曲と変わらないことに気づく。最初と最後にミュージカルっぽいパートが付いただけなのだ。それだけで随分豪華な印象になるものだ。例えて言えば、いつもの牛丼にサラダとデザートを付けるようなものか?(あまりいい例が浮かばなかった) 

タイトルは直訳すると「明日が来てほしい」だろうか。歌詞の内容は、暗闇が怖く、眠るともう目覚めないのではないかと恐ろしく、電気を点けたまま寝る「僕」の心情を歌ったものだ。いかにも櫻坂っぽい、ナイーブで自意識過剰な若者の歌だ。死が怖いというのは、生への執着が強いのだとも言える。しかし、散々不安を吐露した挙句、「君」が添い寝してくれたら安心して眠れるというのは、何だか軽い感じがして、やや拍子抜けする。

大晦日のNHK紅白ではこの曲を歌うのだろうと予想する。歌詞よりも、統率の取れた激しいダンスとミュージカル風の楽曲の盛り上がりで、視聴者の目を引くことだろう。

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AKB48の近況。劇場リニューアルとカバーアルバム発売。(ときめき研究家)

2024-11-22 21:26:50 | ときめき研究家
AKB48に関する情報をたまたま2つ目にした。
1つは秋葉原のAKB48劇場がリニューアル中であること、もう1つはカバーアルバムの発売予定だ。

秋葉原のAKB48劇場は現在改装工事中で、12月8日のAKB48の19周年の日にリニューアルオープンするようだ。
改装前の劇場には20回ほど行った。最初はナッキーさんに誘われた「ひまわり組2nd」公演だったと思う。最後に行ったのは2015年4月だ。もう10年近く行っていない。
ドン・キホーテビルの8階で、1階からエスカレーターで昇って行く必要があり、導線が悪かった。劇場客席のど真ん中には有名な「柱」が2本あり、前方数列を除くほとんどの席からステージを観る邪魔になっていた。リニューアル工事でそれが解消されればいいのだろうが、柱そのものは構造上除去できないと思われる。ロビーも含めてレイアウト変更の工夫で何とかできないかというところだろう。
リニューアルされたら一度行ってみたい気もするが、もうほとんどのメンバーの顔と名前が分からない。以前のように楽しめるか自信がない。
劇場リニューアルに併せて、「新公演」が披露されるとのことだ。長い間「新公演やるやる詐欺」に遭い続けて来たのも、今となっては懐かしい思い出だ。結局、この10年間で実際に披露された新公演は「M.T.に捧ぐ」公演だけではなかったか? HKT48の「今、月は満ちる」公演はどうなった?
そういう話題にも関心が薄れてしまった自分に気づき、少し寂しい気持ちになった。

カバーアルバムの方は、12月25日発売とのことで、既に収録曲14曲が開示されている。アルバムタイトルは「なんてったってAKB48」。これまでもライブ等で過去のアイドルの楽曲を歌うこともあったので、カバーアルバムは面白いコンセプトだと思う。願わくば、充分レッスンを積んだうえで録音されたパフォーマンスであってほしい。技術的に上手でなくてもいいが、自分なりに持ち味を出して歌いこなしている「プロのアイドル」らしい歌唱を期待する。

オリジナル歌唱者と収録曲()内は発売年。
 キャンディーズ「年下の男の子」(1975年)
 ピンク・レディー「UFO」(1977年)
 松田聖子「チェリーブラッサム」(1981年)
 原田知世「時をかける少女」(1983年)
 小泉今日子「なんてったってアイドル」(1985年)
 中森明菜「DESIRE -情熱-」(1986年)
 おニャン子クラブ「じゃあね」(1987年)
 Wink「淋しい熱帯魚」(1989年)
 SPEED「Body & Soul」(1996年)
 モーニング娘。「LOVEマシーン」(1999年)
 ももいろクローバー「行くぜっ!怪盗少女」(2010年)
 乃木坂46「君の名は希望」(2013年)
 新しい学校のリーダーズ「オトナブルー」(2020年)
 HoneyWorks「可愛くてごめん」(2022年)

1970年代から現代まで、大ヒットした超有名曲を年代順に並べ、アイドルの歴史を概観する内容だ。偏らずバランスの取れた王道の選曲と言える。
少し意外だったのは、松田聖子が代表曲とされる「青い珊瑚礁」や「赤いスイートピー」ではなく「チェリーブラッサム」だったこと。私は好きな曲だが、他の選曲の傾向とは異なる。昨年亡くなった作詞家の三浦徳子作品を1つ入れたかったのだと勝手に推測した。
あと、「セーラー服を脱がせないで」ではなく「じゃあね」なのも意外だが、それは秋元康の好みだろう。ちなみに14曲のうち秋元康作詞の楽曲は、「なんてったってアイドル」「じゃあね」「君の名は希望」の3曲である。
最後の「可愛くてごめん」だけは知らない曲だった。ネットで鑑賞したら素晴らしい楽曲で驚いた。ナッキーさんによると、多くのアイドルのライブで歌われている楽曲だという。「ぶりっ子でごめん」という歌詞もあり、アイドルの矜持を歌っているとも解釈でき、このアルバムの掉尾に相応しいと納得した。

このブログでアイドルの歴史を概観した記事「教科書に載せたいアイドル史の100曲」はこちら。今回の14曲とは7曲が共通している。

(2024.12.30追記)
12月8日に予定通り新公演『ここからだ』が公開されたようだ。良かった。
写真を見たら、2本の柱はそのまま残っていたようだ。リニューアルを機に本当に何とかならなかったのだろうか?
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AKBグループ、坂道グループのNHK紅白歌合戦出場履歴(ときめき研究家)

2024-11-13 20:44:19 | ときめき研究家
前の記事で、HKT48は2014年に一度だけNHK紅白歌合戦に出場したと書いた。
その後、気になって、AKBグループと坂道グループの各グループがいつ出場して何を歌ったのか、一表にしてみた。
もちろんNHK紅白歌合戦への出場が人気を表す全てではない。しかし、眺めてみると感慨深いものがある。



表を見ていくつかのことに気が付いた。
1.AKB48は12回出場している。そのうち8回、複数曲のメドレーを歌っている。
2.一方、乃木坂46は9回出場しているが、メドレーは1回もない。それどころか、毎回違う曲を歌っている。
3.SKE48、NMB48はどちらも3回しか出場していない。もっと出場していた印象だった。
4.一方、欅坂(櫻坂)46、日向坂46はそれぞれ7回、4回出場。今後も伸ばす可能性が高い。

AKB48がメドレーが多かった理由は、次のように考える。
当時は1年に4枚のシングルを発売し、その全てがミリオンセラーという絶頂期だった。
もちろんそれはAKB商法(握手会商法)で嵩上げされていたのだが、甲乙つけがたい良曲ぞろいだったのも事実。
そんな中、1曲に絞るのではなく多くの曲を1コーラスでも披露したい、放送したいという両者の意向が一致した結果だろう。
一方、乃木坂46は、1曲ごとのダンスを含めた完成度が高く、メドレーには馴染まないのではないか。

姉妹グループに関しては、AKBの姉妹グループは、主力メンバーはAKB48の選抜メンバーとしても出場していることから、
姉妹グループでも重複して出場させなくてもいいのではないかという意識も若干はあっただろう。
完全に独立している坂道グループとはその点が異なっている。

ちょうど今年の紅白歌合戦出場者が発表される時期だ。今年はどのグループが出場するのだろうか。

(11月20日追記)
11月19日、2024年の紅白歌合戦出演者が発表された。
昨年同様、乃木坂46と櫻坂46の2グループのみだった。日向坂と櫻坂は交互に選ばれるのではないかという仮説も考えられたが、違った。櫻坂と日向坂に序列がついた感がある。
AKB48は20周年となる来年は出場のチャンスだ。一般の人にも周知されるようなヒット曲がほしい。
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HKT48『僕はやっと君を心配できる』を聴く。久々のメッセージソングは響くか?(ときめき研究家)

2024-11-12 21:08:15 | ときめき研究家
AKBグループは時々社会的な問題意識に言及したメッセージソングを発表して来た。
特に初期は『誰かのために』『ロックだよ、人生は』『街角のパーティー』『夢の鐘』『目撃者』『僕にできること』など、数も多かった。 2011年の記事リンク 
AKB48『僕たちは戦わない』(2015年)。 当時の記事リンク 
STU48『花は誰のもの』(2022年)。 当時の記事リンク 
上記以外にも、今思い出せない楽曲があったかもしれない。
今回のHKT48『僕はやっと君を心配できる』は、久々のメッセージソングだが、切り口が少し変わっている。世界で起きている不幸な出来事を、安全な部屋の中からネットやテレビのニュースで見るだけでは、本気で心配や共感できるはずがない。だから部屋を出て外の風に当たることが必要だ、というのがこの曲のメッセージだ。相対的に平和で安全で自由な(と思い込んでいるだけかもしれないが)日本にいて、ガザやウクライナの惨状を自分ごととして受け止めるには余程の想像力が必要だ。そして想像できたとして、彼らのためにできることは限られている。そういうもどかしさ、もっと言えば無力感も滲み出ている。それでもこういう楽曲を聴いて、何かできることはないかと考えるだけでも、何も考えないよりははるかにいい。
この楽曲では「夢」や「愛」に光を見出そうとしている。そして若者には時間があるとも歌っている。それも1つの答えかもしれない。多くの若者に聴いてほしい曲だ。

カップリング曲の中では『最強アイドルよろしく!』が気になった。
歌い出しの歌詞が「ドームツアーはまだ遠くの夢だけど いつ日かきっと紅白に出るぜ」。
はて? HKT48は紅白歌合戦に出たことがあったはず。ドームツアーだってやったことはあるのでは?
確認してみると、HKT48は2014年のNHK紅白歌合戦に初出場し、『メロンジュース』を歌っている。その年はAKB48(歌唱曲『心のプラカード』)、SKE48(歌唱曲『不器用太陽』)、NMB48(歌唱曲『イビサガール』)も出場しており、今から思えば48グループの人気のピークだったと言える。ちなみに、翌2015年にはAKB48(歌唱曲『スペシャルメドレー』)とNMB48(歌唱曲『365日の紙飛行機』)の2グループ出場にとどまり、一方で乃木坂46が初出場し『君の名は希望』を歌っている。
その後、HKT48主力メンバーのAKB48としての出場はあるが、HKT48としての2回目の出場は実現していない。ずっと2回目の出場を悲願にしていたと思う。しかし考えてみれば、現在のメンバーのほとんどは2014年には在籍していなかったので、初出場を目指しているようなものかもしれない。
しかし、素直に聴けば、『最強アイドルよろしく!』はHKT48のことを歌った自己言及ソングではないのだろう。まだ売れていない創作上のアイドルグループのことを歌った楽曲なのだ。そういう楽曲があってもいいし、自己言及ソングだと決めつけてしまう当方に問題があるのだ。でも、どうしてもHKT48自身のことと結び付けて考えてしまうのを止められない。秋元康の術中に嵌っているのだろう。
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