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シリア人イスラム過激派とアサド政権の微妙な関係

2016-10-13 07:50:52 | シリア内戦

 

シリア内戦で政府軍にダメージを与えたのは、自由シリア軍ではなく、ヌスラ、アフラール・シャム、ジャイシュ・イスラムなどのイスラム主義グループである。ジャイシュ・イスラムはダマスカス近郊の反政府軍の中で中心的なグループである。彼らは「首都を攻め落とすのは自分たちだ」と考えており、士気が高い。

自由シリア軍は、イスラム過激派の補助部隊としての役割を果たした。また一部の自由シリア軍は戦闘には参加せず、反政府軍支配地の経済活動と民生的な仕事に従事した。

 

シリアの人権派弁護士によれば、2011年3月25日に釈放された政治犯260人のほとんどは、イスラム原理主義である。つまり、内戦が始まろうとする時に、アサド政権は最も危険な連中を野に放ったことになる。

シリア政府は意図的にこれをやった、と反体制派は主張する。非人道的なテロリズム集団を国民的な革命のただ中に投げ込み、平和革命を破壊するためである。

 

シリア人イスラム過激派とシリア政府の関係を明らかにする事件が2008年に起きている。

2008年7月5日、サイドナヤ刑務所で受刑者が暴動を起こし、12月まで刑務所の一角を占拠した。この暴動によっ、多くの軍人が死亡し、100人近くの受刑者が死亡した。暴動の首謀グループは、5年前一度釈放され、イラクに赴き米軍に対しテロ活動を行った者たちである。政府は獄内の彼らに、対米テロをやらないか、と誘ったのである。イラクへ行くと、彼らはスンニ派やアルカイダと肩を並べて戦い、その活躍を米国が注目するまでになった。米国は「ダマスカスを空爆するぞ、アサド政権を倒すぞ」と脅した。するとシリア政府はテロリストをさっさとイラクから引き上げた。

シリアに帰国してみると、牢獄出身のテロリストたちは減刑されなかった。危険な任務に従事し、期待通りの働きをしたにもかかわらず、シリア政府は一切これを考慮しなかった。国家の最も重要な仕事をさせておきながら、シリア政府はそれを自覚していない。国家を支えるものが何かを理解しない政権は、一刻も早く滅んだほうがよい。

 

CIAの職員がこの事件について情報を収集し、本国に送った。その内容をウィキ・リークスがネットに掲載している。

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WHEN CHICKENS COME HOME TO ROOST: SYRIA'S PROXY WAR IN IRAQ AT HEART OF 2008-09 SEIDNAYA PRISON RIOTS

サイドナヤ刑務所で起きた暴動について、シリアの人権活動家であるキャサリン・アリ弁護士が文書にした。

彼女は4人の軍人、1人の看守、1人の元受刑者にインタビューを行い、暴動について直接の情報を得た。

2003年米国がイラクに侵攻すると、シリア政府はサイドナヤ刑務所の受刑者たちに、イラクへ行かないかと勧誘した。ゲリラ兵士としての軍事訓練を受け、イラクへ行き米軍と戦うことを持ちかけたのである。これに応じた受刑者の数についてはわからない。またイラクへの派兵が何度行われたかも、わからない。

イラクでの任務が終了し、無事シリアに帰国したこれらの元受刑者は、帰国後の運命が同一ではなかった。

①釈放されて自由の身になった者。彼らは政府との連絡を絶たないことを義務づけられた。

②レバノンに送られた者

③再びサイドナヤ刑務所に送られた者

これらのグループのなかで、釈放されずに再び刑務所に逆戻りした者は、政府に裏切られたと感じた。政府のために危険な任務を果たしたことが、何ら評価されなかったからである。彼らは刑務所での処遇が改善されるだろう、もしかしたら釈放されるだろうと考えていた。しかし彼らはどちらも得られなかった。刑務所での処遇は最悪だった。

このことが原因となり、2008年7月5日の暴動が計画された。

囚人たちはベッドの鉄製の支柱から剣をこしらえた。十分な数の武器を手に入れると、彼らは刑務所の劣悪な環境について暴力的な抗議を開始した。

ただちに第4機甲旅団の兵士が刑務所を包囲した。とりあえず、棒を持っただけの新兵が刑務所内に入り、反乱を鎮めようとした。

ところが武装した囚人たちは簡単に新兵たちをとらえてしまった。それから軍服を脱げと新兵に命令し、囚人服に着替えさせた。囚人服の姿となった新兵たちは剣を突きつけられ、刑務所の屋上に連れて行かれた。新兵たちがが屋上に姿を現すと、第4機甲旅団は彼らに向かって一斉に射撃をした。誤りに気づき射撃を止めるまでに、相当数の新兵が死亡した。

第4旅団はからくりに気づき、刑務所内に入り、本物の囚人を50ー60人射殺した。しかし第4旅団は刑務所を完全に制圧することはできなかった。イスラム過激派が刑務所の一部を支配したままだった。彼らは多数の捕虜を確保しており、7月から10月までの間、捕虜と食料を交換した。この間に囚人たちは反乱軍を再建し、12月に2度目の反乱を起こした。

12月の反乱では、35ー50人の囚人が死亡した。囚人たちの組織力、そして抵抗を持続させる能力は驚嘆に値する。彼らはイラクへ赴く前の軍事訓練とイラクでの実戦で戦闘能力を身につけたものと思われる。

 

銃を持たず、鉄の棒を持つだけの囚人たちをを制圧するのに5か月も要したことは、軍隊と警察にとって汚点であり、また恥辱であり、秘密にしておきたいことがらである。

サイドナヤ刑務所の事件後、政府は囚人の環境改善に取り組み、家族との面会を許可するようになった。それでも一部の囚人は面会を禁じられている。

囚人をゲリラ戦士としてイラクに送る際、ダマスカスを拠点とするファタハ・イスラムが彼らに軍事訓練を施し、その後イラク国境まで連れて行った。ファタハ・イスラムは2008年11月27日、刑務所の反乱に呼応するかのように、軍事情報部の施設を爆破した。

=================(ウィキリークス終了)

ファタハ・イスラムはダマスカス市内のヤルムークを拠点としている。ヤルムークには、パレスチナ人の難民キャンプがある。

 

2011年3月25日に釈放されたイスラム原理主義者は、面会を許された者たちだけか、あるいは暴動後も面会を許されなかった最強者たちも含まれていたかは、わからない。

それでも上記のCIA報告はアサド政権の実態を明らかにしている。

アサド政権はひたすらおびえている弱虫であり、策をめぐらして助かることしか考えていないのかもしれない。それゆえ、彼らの考えの道筋を理解しようとしても、無意味なのかもしれない。


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