皆様、ご無沙汰しておりました。会員のクロサカです。
GWは少し遠出をしていろいろ調査してきました。
5月2日には、茨城県古河市に調査に行って来ました。
正定寺で古河藩主土井家、本成寺で河口信任・土井利益生母、神宮寺で神勢館の乱で切腹させられた水戸藩士などを掃苔しました。
5月5日には、栃木県調査をしました。
まずは、喜連川です。
ここの龍光寺に喜連川家代々の墓所があります。
この喜連川家は、もともと古河公方を務めた足利家で最後の公方足利義氏の娘義姫から
始まる一族です。
石高は5000石でしたが10万石格式を与えられていました。
ここには、江戸期最後の当主足利縄氏以外の歴代当主と夫人、子女墓が現存しています。
縄氏は、東京都台東区下谷正覚寺の高家宮原家の墓に合祀されています。
宮原家は、足利家の一族で縄氏はここから喜連川家に養子として入りましたが、明治後に実家に復籍しています。
次に大田原市黒羽に向かいました。ここには、黒羽藩主だった大関家の菩提寺大雄寺があります。
中野区功雲寺にも墓地がありますが、こちらには3代以降全ての藩主の墓碑が残されています。
初代と2代は良く判りませんでした。
そして最後に歩いては確実に行けない光巌寺にも行きました。
まだ免許を持っていないので祖父の車に乗せられ、向いました。
ここは、黒羽藩家老大沼家の墓地があります。
明治期の当主大沼渉は西南戦争で活躍し、陸軍少将となり、男爵になっています。
GWは少し遠出をしていろいろ調査してきました。
5月2日には、茨城県古河市に調査に行って来ました。
正定寺で古河藩主土井家、本成寺で河口信任・土井利益生母、神宮寺で神勢館の乱で切腹させられた水戸藩士などを掃苔しました。
5月5日には、栃木県調査をしました。
まずは、喜連川です。
ここの龍光寺に喜連川家代々の墓所があります。
この喜連川家は、もともと古河公方を務めた足利家で最後の公方足利義氏の娘義姫から
始まる一族です。
石高は5000石でしたが10万石格式を与えられていました。
ここには、江戸期最後の当主足利縄氏以外の歴代当主と夫人、子女墓が現存しています。
縄氏は、東京都台東区下谷正覚寺の高家宮原家の墓に合祀されています。
宮原家は、足利家の一族で縄氏はここから喜連川家に養子として入りましたが、明治後に実家に復籍しています。
次に大田原市黒羽に向かいました。ここには、黒羽藩主だった大関家の菩提寺大雄寺があります。
中野区功雲寺にも墓地がありますが、こちらには3代以降全ての藩主の墓碑が残されています。
初代と2代は良く判りませんでした。
そして最後に歩いては確実に行けない光巌寺にも行きました。
まだ免許を持っていないので祖父の車に乗せられ、向いました。
ここは、黒羽藩家老大沼家の墓地があります。
明治期の当主大沼渉は西南戦争で活躍し、陸軍少将となり、男爵になっています。