探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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三が日の本門寺

2016-01-24 10:00:00 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
1月3日(日)の三が日に大田区池上本門寺へ行ってきました。





私は長年、大田区から川を挟んで向かい側にある川崎に住んでいた事から、幼少時より本門寺を訪れており、自転車で片道40分かけて、何度も訪れています。
三が日に訪れるのは初めてで、多くの人で賑わう本門寺の風景は新鮮でした。

本門寺には江戸初期から現代に至る様々な著名人の墓所があり、徳川将軍家・紀州徳川家・幕府絵師狩野家・陸奥白河藩主阿部家や、近・現代人では昭和のスター力道山、自民党副総裁などを務めた大野伴睦、福島県本宮市出身で「政財界の黒幕」と呼ばれた児玉誉士夫、七代目・八代目松本幸四郎など数多くの著名人があります。

本門寺を訪れる度にこれらの著名人や大名・幕臣・華族家等の墓所を調査していますが、毎回来るたびに新たな発見があるものです。
今回は14代将軍徳川家茂の生母実成院の納髪塔を初めて見てきました。



これは『徳川「大奥」事典』に紹介されているもので、これによると実成院は法華経信者であり、慶応4年(1868)の江戸開城後、徳川家存続が認められた後、剃髪してその髪を9代将軍家重生母深徳院の右隣に埋め円柱の納髪塔を建てたとあります。
深徳院墓は何度も見ており、この円柱塔も視界に入っていたでしょうが、実成院の塔とは全く気が付きませんでした。
正面に「南無妙法蓮華教」、側面に後から彫られたと思われる「松平操子納髪塔」という文字が確認出来ます。
大河ドラマ『篤姫』ではこの実成院は全く登場しませんでしたが、原作の宮尾登美子の小説には登場する人物です。家茂の生母として大奥へ入ってからは、相当派手な生活をしていたというエピソードがある人物ですが、大河ドラマでは本寿院や和宮との関係を重視した流れの中から、除外されてしまったのでしょう。

本門寺の墓地には都内の他の日蓮宗寺院の墓地があり、高輪承教寺や神楽坂善国寺の墓地などがあります。
『二本松寺院物語』によれば、二本松藩医の劉又郎国任が善国寺に葬られたという記述があり、法名を[善学院玉屋劉公府君]といったことが書かれています。
劉又郎国任は漢高祖劉邦の後裔で明国滅亡後、長崎に住んだ劉一水五世の孫といい、丹羽長貴の側医として170石を賜っています。
善国寺墓地は本行寺から大坊坂を登り、道路に出る手前を右折した細長いエリアにあります。今回この劉又郎国任の墓碑を探しましたが、残念ながら現存していませんでした。
その代わり幕臣であった河村藤綱という人物の墓碑を見つけ、右側面には撰文が刻まれていました。

その後、昨年に当ブログに投稿した池上家の墓所などを見て、日蓮上人が入滅した地に建てられた池上大坊本行寺で振舞い酒を頂きました。

池上太郎左衛門幸豊-田沼意次のブレーンとなった川崎の名士-

本門寺は春になると五重塔前参道の両脇を中心に桜の花が見事に咲き誇り、花見の名所になっています。



閑静な池上の町の小高い丘の上にある本門寺。緑も多く、ここに来ると心が安らぎます。
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