探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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愛媛の華族墓調査

2017-08-26 12:19:36 | 会員の調査報告
会員のクロサカです。
この夏休みに当会のカトケンさんと入れ違いに高知・愛媛旅行に行ってきました。
我が家では家族旅行とはいえ、各自単独行動なので存分に墓調査が出来ます。
ほぼ予定通り、多くのお墓に巡り会うことができました。
今回は愛媛編としまして、松山・大洲で調査したお墓を簡単に紹介します。
近いうちに高知編も紹介します。

まず、旧松山藩主の久松伯爵家の墓です。



江戸時代を通じて松平を名乗っていましたが、明治期に最後の藩主久松勝昭によって久松に改姓されました。
勝昭を含めた歴代藩主は東京三田の済海寺を葬地としていますが、大正期に亡くなった久松 定謨からは松山市古町の大林寺に代々の墓所を設けています。
もともとこの大林寺は松山藩主の菩提寺四ヶ寺の一つに定められていたお寺で、松山藩主だった蒲生忠知の墓所もあります。
久松家墓所の墓域内には合祀された松平家関係者の石甕と墓誌が一緒に残されていました。

次に道後温泉近くにある鷺谷墓地に向かいました。
ここには華族の白川義則男爵のほか、陸軍大将秋山好古と両親、河東碧梧桐、川島義之陸軍大将、桜井忠温陸軍少将などのお墓があります。
写真は秋山好古陸軍大将と白川義則男爵のお墓です。





秋山大将の墓は青山霊園にもありますが、鷺谷にあるお墓は地元の人々によって分骨されたものです。
ちなみに弟真之海軍中将の墓も青山霊園にありましたが、移転して鎌倉霊園にあります。
秋山大将の墓域には、秋山家の先祖墓もあり、もともと同じ松山市内の法龍寺にあったもので、墓地整理の際、こちらに移されたものだそうです。
この法龍寺は、俳人正岡子規の先祖墓もありましたが、こちらも同市内の正宗寺に移転しています。
秋山大将の墓所から20~30mぐらい後方の傾斜地には、秋山兄弟の両親である秋山久敬夫妻の墓碑もあります。
白川男爵の墓所も同じく青山霊園警視庁墓地にありますが、出身地にも分骨墓が建てられています。
秋山大将と白川男爵のお墓は近くにあるのですが、若いころから親交があったそうで、そのために近くに建てられているのだと思われます。

最後に大洲曹渓院にある旧大洲藩主加藤家墓所です。



加藤家は華族令で子爵となっています。
この建物群は加藤家の霊屋で中には五輪塔や祠型の墓碑がありました。
加藤家墓所内には初代貞泰(写真右奥の赤い建物)のほか、5人の藩主の墓があり、一般墓地にも1人の藩主が埋葬されています。
なぜ一人だけ別なのかは不明です。
6人以外の墓所は川の対岸にある如法寺にあります。
最後の藩主泰秋は大正期に亡くなり、貞泰の霊屋左隣に五輪塔を建立し、代々の墓としました。
最近明治期の新聞で泰秋夫人が谷中霊園に埋葬されたとあったのですが、こちらに改葬されたのか、まだ現存するのか、はたまた無縁廃棄されたのか調査中です。

高知編を含め、こちらで紹介できなかったお墓については今後、『歴史研究』上のリレー連載「皇室の藩屏」で紹介予定です。

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