1983年4月23日、早稲田大学理工学部の音楽サークル「ロッククライミング」の新人セッションに池谷とふたりで参加している。ロッククライミングといっても登山部ではない。雑誌「プレイヤー」のおもしろいコラムを連載していた吾妻光良さんがいたサークルというのは池谷から聞いていた。
新入部員と現役部員がその場で適当に合わせてセッションした。私達の番になり、池谷のギターと私のベース、ドラムは部員がやってくれた。その部員はシダさんといって、とてつもなくうまい人だった。Eのワンコードで適当にやる、ということを決めただけで、あとは勝手にやってみた。
「NOS」でのストレスがたまっていたのか、とても開放的な気分で演奏することができた。私は、私個人の演奏才能については、胸を張って「ない」と言えるが、この時の演奏だけは、「出来がよかった」と思っている。
演奏後、「誰の曲?」と聞かれ、「ワンコードでただやっていただけです」と答えると「スティーブカーン(ちなみにギタリスト)みたいだったね」と言われた。
最高の褒め言葉ではないか、池谷君。
池谷青柳と出会い、ロックラに入らなければ、その後の音楽人生はなかった。
新入部員と現役部員がその場で適当に合わせてセッションした。私達の番になり、池谷のギターと私のベース、ドラムは部員がやってくれた。その部員はシダさんといって、とてつもなくうまい人だった。Eのワンコードで適当にやる、ということを決めただけで、あとは勝手にやってみた。
「NOS」でのストレスがたまっていたのか、とても開放的な気分で演奏することができた。私は、私個人の演奏才能については、胸を張って「ない」と言えるが、この時の演奏だけは、「出来がよかった」と思っている。
演奏後、「誰の曲?」と聞かれ、「ワンコードでただやっていただけです」と答えると「スティーブカーン(ちなみにギタリスト)みたいだったね」と言われた。
最高の褒め言葉ではないか、池谷君。
池谷青柳と出会い、ロックラに入らなければ、その後の音楽人生はなかった。