極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

実家の片付け 9

2019-01-31 17:06:13 | Weblog
11月5日も ずっと片付け作業を続けた。

高そうなリールもいくつもあった。これをメルカリなどで販売すれば、そこそこの
金額になりそうだったが、もともと私のものではないし、面倒なので、迷わず
燃えないゴミに分別する。

ゴミ袋は夥しい数になったが、だいたい小屋の中は排出できた。次に庭の植木鉢も
片付ける。母が育てていた花の植木鉢、プランターもこれまた無数にある。

土器、陶器でできている植木鉢は燃えないゴミ、プラ製は燃えるゴミである。

栽培に使う、金属性(樹脂コーティングされている)の棒も無数にあったが、
連絡ゴミになりそうだったので、(60センチにカットすれば燃えないゴミだが)
これは次回に回すことにする。

市役所に連絡ゴミの申請をして(受付番号をもらって、ゴミシールをコンビニで
購入、ゴミに貼る。全国的にどこでも同じ)、いよいよ11月6日に持ち込みとなった。

この日の夕食は、ハンバーグで全国的に有名な「さわやか」に行った。
私が浜松で生活していた1981年頃に近所に「さわやか」があった記憶がない。
現在のように有名ではなかった。

この日は平日ということもあり、とても空いていた。休日は遠方から食べに来る客で
行列ができると言うが、本当なのかな。一番人気の「げんこつハンバーグ」にした。
貧乏舌にはいまいちピンと来なかった。

翌11月6日、バスで「まち」に行き、駅レンタカーでHONDA N-BOXを借りる。

乗ってみて、想像以上にN-BOXは車内空間が広いと感じた。ボックス軽貨物とあまり
変わりない印象だ。

家に戻りゴミ袋、連絡ゴミを積み込む。何回かに分けて持ち込むことになるだろうと
思ったが、一回でほとんどのゴミ袋を積むことができた。ゴミ処理場へ。

「混雑する場合がある」なんて言われたが、到着すると、私の他に持ち込む人はいない。
暇そうな係員がふたりで出てきた。指示の通りにゴミ袋を置いていく。

燃えないゴミの中で連絡ゴミを見つけられた。漬物石だ。ホームセンターで売っている
樹脂製の取っ手のついたもの。知らなかった。

「これは連絡ゴミになるので、再度市役所に連絡し、番号をもらって連絡ゴミシールを
貼って、もう一度持ってきてください」とお役所答弁。ここで、金を払って引き取って
もらえないのである。面倒だなあ。

しかし、役所に逆らってもしょうがないし、積みきれなかったゴミ袋をもう一度持ち込む
ので、指示に従うことにする。

当日二度目の持込は家の中にある、花瓶や陶器の置物や木製の置物や、母の履物や
バッグなどをゴミ袋に入れて持っていく。玄関の下駄箱の上がすっきりした。

漬物石とそれらを午後 再び処理場へ行って、捨てる。置物のなかには沖縄の九谷焼?の
大きな獅子(シーサー?)もあった。係員は「これ、捨てちゃっていいの?」と訊いてきた。

シーサーどころか、床の間に置いてあった陶器製の布袋様まで捨てたのである。

女房に「家を守っている神様じゃない。それをそんなにポイポイ捨てたら、バチが当たるよ。
神様は最後の最後に、それなりの供養をして処分するもの。常識がない」と非難された。

バチが当たると思うと怖くなる。 

小さなシーサーでも買おうか。


おわり



高さ30センチくらい。
家の玄関に置いてあったものに近い。


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実家の片付け 8

2019-01-29 17:11:02 | Weblog
2018年11月4日、いよいよ本格的に小屋の片付けを始める。

と、いっても浜松での恒例 朝スーパー銭湯に行った。
家の風呂は使えないこともないのだが、ひとりで湯船に湯を張るのも
不経済な気がするし、シャワーでは寒い。浴室に湿気をためるのも
空家としてはカビが心配だ。したがって「外湯」となってしまう。

また、この日は川口オートでSG日本選手権オートレースの優勝戦が
あったので、当然それを観戦しに浜松(場外)に行った。昼飯は
コンビニ弁当もどうかなー、と初めて入るオーガニック系のレストラン
で食べた。浜松にも、しゃれおつな店はあるのだ。LINEの登録かなんかで
スムージーまでサービスされた。

と、こう書くと、まじめに片付けをしていないように思われそうだが、
それ以外の時間はしっかりと片付けをしていた。

連絡ゴミ(粗大ゴミ)はぶ厚い絨毯、照明カバー、一輪車、ホッピング、
つるはし、鍬 である。絨毯は60ミリ四方にカットすれば、燃えるゴミで
無料で廃棄できるし、実際にカットもしたが、連絡ゴミにしたのは厚過ぎて
カットできるものではなかった。一輪車、ホッピング(こどもが乗って、
ピョンピョンはねて遊ぶ遊具)は、妹の子供たちが使用していたもの。
懸案のつるはしは「鍬、スコップ、つるはし、などは5本で300円」だった。
まとめて5本は安い。

父は海で貝を採る、ジョレンという道具も持っていた。これも含めて300円。

生前父は、「漁師が採っている横で貝を採っていたら、漁師に怒られた」と
よく自慢げに話していた。

つるはし、はまとめて5本で300円なのに、ハンマー(トンカチ)は1本で
300円だ。随分高い。しかし、これは頭の鉄の部分と柄の部分を分離すれば
燃えないゴミと燃えるゴミになる。

しかし何でも複数ある。魚を採る「投げ網」も5や6はあった。不思議と竿が
少ないのは、父の死後、庭の植木を剪定してくれたシルバー人材センターの
人たちで釣りの趣味がいて、その人たちに引き取ってもらったそうだ。

竿の空箱ばかり、無数にあった。竿は鮎用の10メートルくらい伸びそうな
超太い竿が1本あるだけだった。

複数あるのは大工道具も同様。鉋(カンナ)も10以上ある。どうしてこんなに
あるのだろうか。鉋は、一覧表になかった。だが、刃(鉄)の部分と台(木)
の部分に分割すれば、ハンマー同様 分別できそうだった。

リュックに8リットルの水が入っていた。非常用持ち出し袋だ。
水の賞味期限は2008年だった。と、いうことは東日本大震災の前、阪神淡路の後だろう。

2011年の東日本の時は父はすでに死去していて、母は認知症を発症していた。
















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浜松斎場

2019-01-18 17:51:19 | Weblog
2018年11月に浜松で親戚に不幸があって告別式に参列した。

告別式は浜松斎場近くの出雲殿で行われた。浜松以外の人には馴染みがないだろうが、
浜松で冠婚葬祭、とくに葬式といえば、昔から出雲殿である。
浜松出身の私は「葬式=出雲殿」だ。静岡県西部から愛知県のエリアで展開しているようで
昔は火葬場である浜松斎場の近辺に何施設かある程度だったが、現在は浜松市内でも沢山の
葬儀場を展開している。結婚式もやっているんですけどね。


親戚なので、告別式から火葬、精進おとしまで参加した。

出雲殿(イズモホール)は、いろいろあるし、出雲殿の他にも寺であったり、他社の施設も
ある。でも、火葬場、といえば、私は浜松斎場しか記憶がない。これも調べてみると浜松には
浜松斎場の他にも火葬場はある。が、私は「火葬場=浜松斎場」である。浜松斎場と書いたが
会話では、ただ単に「火葬場」と言う。

火葬が終わり、「骨上げ」(骨上げとは、火葬後に遺骨を骨壺に納める儀式です。
火葬が終わったらお骨の周りに遺族が集まり、箸で拾ってお骨を骨壺の中に入れていきます。
火葬後の骨上げについて知っておきたい手順とマナー|小さなお葬式のコラムより)
をした。

親戚なのだが、特に親しくしていたわけでもなく、特別な感情は湧いてはこなかった。


前回ここに来たのは、父の葬儀の時だ。2008年5月。浜松斎場は今と同じ場所で同じ雰囲気だった。

10年前もそのずっと前からも浜松斎場は変わっていない。

ここだけは昔から変わらないな、と思った。

子供の頃から、両親とともに親戚の葬儀に参列して、そのまま火葬場に来た。その頃とまったく
変っていない。火葬という強烈な体験が印象を強くさせたのだろうか。よく覚えている。
施設は当然だが、全体にグレーな色調で、シーンとしていて、ひんやりしている。
子供の頃は、怖い場所だった。だから記憶が鮮明なのだ。

成人して社会人となり、仕事でもプライベートでも数多くの通夜告別式に参加したが、火葬場
まで、参加したのはあまりない。私にとっての火葬場は浜松斎場であり、今後も変わらないだろう。

ネットで調べると浜松斎場は昭和47年に完成し、その後施設などを一部改修したそうだが、
全体は建設当時のままである。昭和47年といえば、私は9歳10歳。
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JBL E25BT

2019-01-13 08:07:21 | Weblog
Bluetoothイヤホンを買った。錦糸町のヨドバシカメラで5000円位だった。

Bluetoothヘッドフォンは持っていた。ネットで適当に購入したら、首が
痛くなるほど大きくて、しかも最近は左が鳴らなくなってしまった。

やはり、ヘッドフォンなりイヤホンは実際に手にとって確認した方がよいと
ヨドバシカメラまで赴いたのである。完全セパレートのものがいいと思ったが
値段も高いし、それなりに大きく重そうだったので、繋がっているタイプに
した。といっても、サウンドをチェックしたわけでもない。展示サンプルを
耳にはめてみて、これでいいかな、とこれまた適当に買ってしまった。

充電して実際に使ってみると、かなりいいと感じた。襟首に留めるクリップも
あって安定もする。

これまでのバカでかいヘッドフォンはスイッチを入れると女性の声で
「パワーオン」と言ったが、このイヤホンは ギターの「チュクチューン」と
いうサウンドでON状態になる。これも音楽好きとしては気合が入る。

ハイレゾとか、いい音についてはまったく知識がないので、本当は貧相な
音になっているのかもしれないが、今のところまったく不満なく使えている。


これを私は主に自宅で使っている。

ラジコやyoutubeを聴いている。本当はスピーカーで聴きたいのだが、これまた
毎度の女房が「五月蝿い」とおっしゃるからだ。

我が家の連中は 大声で話す(私に話しかけてくれる家族はほとんどいないが)
くせに、テレビの音量とかはものすごく小さくする。ほとんど聞こえないレベル。
それを日本語字幕をつけて見ている。バカかと思う。

私がテレビの音量を上げると、無言ですぐに下げられてしまう。
すべて女房の洗脳だ。

そんな状態なので、ひとりBluetoothイヤホンで音楽を聴いているのである。

また、そうしてひとりの世界に浸っていればいるほど、家族との溝が
より一層深まるのであった。

JBL E25BT

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2019年

2019-01-05 13:58:42 | Weblog
今年の正月は2年振りに2日から1泊で浜松入りした。
(正月浜松が2年振り、浜松には11月に行ったばっかり)


毎度の単独での帰省で、3日には東京へ戻った。


2年振りに寺にお年賀に行き、住職にご挨拶をして、墓参りをして、
浜松オートにもお年賀のご挨拶と「賽銭(=車券購入)」を投げ入れ、
これまた毎度の西村と新年会をし、グループホームの母親の様子を
見る、と2年前の正月とほぼ同じのメニューである。

西村との新年会は飲み放題にしたので、持ち前の貧乏人根性が出て
しこたま飲んでしまった。寒かったので、普段あまり飲まない日本酒を
飲んだ。西村に心配されるほど酔っ払い、〆のラーメンを
どうやって食べたか、ちゃんと支払いをしたか記憶がない。

それでも家(空家)にはたどり着き、服を着たまま、居間の床で寝てしまった。

午前3時頃に目が覚め、エアコンのスイッチは入れていたようで、部屋は
暖かかったが、これはいかんと隣の和室に布団を敷き、寝た。


翌朝目が覚めて、記憶がなくなるまで飲んだ割には二日酔いもなく、床で
寝ていた割には、風邪もひかず それなりに快適ではあった。

さて、これまた毎度恒例の近所のスーパー銭湯に行こうか、とすると
財布がない。


新年早々、やっちまったか、と青くなった。


財布はジーパンの尻ポケットに入れてあった。ラーメン店からの帰り道で
どこかで落としてしまったのか、、、

脱ぎ捨てた洋服や当然ジーパンや、バックやそこらじゅうを探してもない。


浮かれていたバチが当たったのだ。2018年も悪い年ではなかった。
今の仕事を始めてからずっとそうだが、穏やかに自分の好きなことをして
暮らしている。2013年までの、鬱屈としていた頃が嘘のように、気持ちは
平穏である。そんなことを年末女房に話した。

「今年も、いい年だったよ。念願の実家の片付けも始められたし、お義母さんの
 介護認定もできた。満足満足」などと、調子こいていた。

 ちなみに、義母(女房の母)は認知症や特別な病気というわけではないが、
 足(ひざ)が悪く、歩行や動作がやや困難だった。ひとりで風呂に入れなかった。
 (湯船を跨げない。シャワーで済ます)それなのに、本人も女房も介護認定を 
 申請するのは面倒と言い、今まで申請をしていなかったのだが、昨年に
 介護申請をし、認定が下り、入浴がメインのデイサービスの利用と、室内工事
 (手すりや、ステップの取り付け)を行った。
 このように、介護申請をためらう高齢者は多い。ダメモトでも申請すればいいのに
 と思う。せっかくの制度なのだから、介護保険料を払っているのだから、堂々と
 利用すればいいのだ。

と、また自慢話をしてしまった。(ひとりでやった気でいるだけか)




財布には免許証もキャッシュカードも入っている。帰りの新幹線の切符も入っている。

途方に暮れた。免許がなければ、仕事もできない。東京に戻ることもできない。
妹にお金を借りるのか。なんて年なんだ。

ラーメン店までの道をもう一度戻ってみようか。もしかしたら、庭に落ちているかも
しれない。中身の金だけ盗られて、財布は側溝に捨てられているかもしれない。
警察に届けるのか、、、面倒だ、、、真面目に生きているのに、なんてことになったのだ、、


何か、悪いことでもしたのか俺は、、と思ったら、、、してました。

前日の浜松オートレースで、私は不道徳な行いをしてました。


私はオートレースで車券は派手な買い方はしない。大体1レース数百円である。
たいていは当たらないので、これでも数レース負け続ければ、数千円にはなるが、そんな
もんである。1レースに何千何万とぶち込むような大人の張り方はできない。

今年の初レースもそんなわけで、数百円を買い、はずれた。

車券は車券販売機で購入する。以前のような窓口の中に係員がいて、口頭で購入する場所は
浜松ではほとんど無くなった。

販売機では、まずお金を入れて、マークカードを入れて、発券となる。

前のおじさんが購入して、私の番になってお金を入れようとしたら、入らない。
あれ、機械の故障かな? と、思ってよく見ると 前のおじさんが購入した車券がまだ
残っている。おじさんは、金入れて、マークカードを入れて、車券を取らないで売り場を
離れてしまったのだ。

後ろを振り返っておじさんをさがしたが、それらしき人はいない(というか、同じような
おじさんばっかりとも言える。私を含めて)

私が購入している内に「アー、忘れた」などと言って、戻ってくるかもしれない、とも
思った。私はそのまま購入を完了した。戻ってきたら、渡そうと思った。それは本当。
そして、それなら善行である。

結果として、私の車券と、おじさんの車券の両方を私は手にしてしまった。

それでも、私はしばらくはその車券販売機の近くにいた。おじさんが戻ってくることを
期待して。おじさんは戻ってこなかった。おそらく、車券を取り忘れたとは夢にも
思っていないのだろう。


おじさんの車券は三連単の2点買い、各300円、計600円。本命筋の車券だった。うーん
当たるかもしれない。でも、当たっても低配当だけどなーー。


この時点での正しい私の対応はインフォメーションセンターなり、忘れ物係なりに
届ける、ということになるだろう。たしかに忘れ物なのだから。


しかし、私はそのままレースを観戦してしまった。 そして結果は前に書いたように
私ははずれ、そしておじさんの車券もはずれていた。

もし、おじさんの車券が当たっていたら、私はどうしただろうか。忘れ物係りに届けた
だろうか、、、、


こんな不道徳なことを新年早々してしまったので、バチが当たったのだ。



ラーメン店までの道を再び辿ろうとして、まさか2階にあるわけはないと思って
(絶対に2階には行っていないという確信があった)2階を確認したら、
フォークギターの横に財布はありました。

前夜、記憶のないままに2階に行って、ギターを弾いたか、弾こうとしたのか、その時に
財布を置いたようです。記憶はないけれど。


亡き父が「調子づいてるんじゃねえ」と、1階の居間から2階に財布を
運んでいったのかもしれません。



新年から長文で失礼いたしました。










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