極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

フェイスブック3

2016-11-23 12:32:56 | Weblog
最近の若者はフェイスブックから離れているという。どうしてかというと、
「おやじの自慢話を聞きたくないからだ」そうだ。

たしかにFBの記事の多くは「自慢話」である。わたしはこんな(すばらしい)こと
をした、食事をした、料理をした、レジャーをした、発表をした、映画を観た、
コンサートに行った、、、すべてが自慢話である。

「とてもおもしろいことがある」とか、「とても酷い話がある」とか
「とても感動した」なんてのも、「私は知っている、だから、お前も知れ」
という自慢と強要だ。

個人的には、そういうことを聞いたりすることはあまり好きではないのだが、私も
友人と直に話すときは、そのようなことを言ったり聞いたりはする。だから、友人の
その手の話は、「まあ聞いてやるか」位に思えるので、FBは続けている。

あまり知らない人の「自慢話」は聞きたくない、とはこのブログでも書いている。


ここで、「俺は〇年前の今日、こんなことをした」というような発信をしてくる人が
多くなってきた。これは、どうかなーと思う。

友人と話すとき「俺さー2年前の今日、〇〇をしたんだぜー」とは、さすがの私でも
話さない。その友人と共通の話題とか、個人的に強烈な印象を持つ出来事ならば
それは話すかもしれないが、(「俺さー今日誕生日なんだ」とか、これも言わないか)
出来事を遡って話題にするということは日常的には稀であると思う。

FBは「あなたは〇年前のこの日はこんなことをしていましたよ」と教えてくれる。
それはFBに教えてもらわなければ、ずっと忘れてしまうことだ、しかし、知ったことに
よって、「ああ、こんなことをしてたんだなー」と素敵な思い出になる。そしてそれは
新しい自慢話となって全世界に発信される。

だが、考えてほしい。FBに教えてもらわなければ、誰からも、あなたからもその出来事は
ずっと忘れられていたはずなのだということを。


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学園祭と文化祭 2

2016-11-11 12:31:17 | Weblog
次女は家から2時間近くかけて郊外の私立大学に通っている。

本人が希望した大学で、推薦で合格した。本人の学力レベルから言っても
「格上」の大学に思える。本人も「私は大学で一番ビリ」と、言っている。
大学を続ける事、そして本人が希望する資格取得と就職ができるか親としては
気になるところではあるが、入学して半年以上が経っても、今のところは元気に
通学は続けている。

学園祭でもなければ、行けない土地である。電車で約1時間半。そこからバスだ。

しかし、同行の家人は「歩く」と言う。聞けば娘はよく歩いているらしく、
「歩けない距離でない」らしい。時間は約30分だ。歩ける距離か。戻ってから
グーグルマップで調べたら2.6キロ、35分と出た。(ちなみに帰りはバス)

しかも、スマホを持っていない夫婦が現地でグーグルマップを使えるはずもなく
家人が持っているのは「前日に娘が書いた手書き地図」だった。それが、また
小学生が書いたような地図。まったく役に立たない。随分と迂回してしまった。

山の奥にある大学の学園祭は「地元ではかなり盛り上がる」とのことだったが、
行った時間が悪かったのか、それほどでもなかった。しかし、企画、展示は
息子の高校文化祭に比べれば、それなりに手の込んだものが多かった。

模擬店に行ってみる。

値段が高い。どれも500円くらいする。味噌汁に使うような小さなカップに入った
「素うどん」のようなものでも400円。高い。なんでこんなに高いのか。

現在はいろいろなところで、野外フェスのようなものをやっていて、屋台が出たり
する。そういうところの値段も決して安くはない。学園祭の値段もそれと
あまり変らない印象だ。いや、「素人がいいかげんなものを売っている」という
点で、野外フェスの屋台よりも、価値は低い。

そこの大学名がついた「〇〇大学焼き」は価格200円で、伝統の味とかで、行列が
できていたので、並んで買ってみた。

それはお好み焼きのようなもので、具はほとんどなく、大学で栽培した野菜が
ちょっとだけ入っていた。ひどくまずかった。しかも焦げていた。並んでまで
買うようなものではない。どんなものでもまず残さない私が、残してしまったほどだ。


と、また愚痴ってしまったが、自分が大学の頃を思い出す。

私は自分の大学でも模擬店をしたことはないが、友人の大学での模擬店を
覘いたことがある。

その模擬店は、たしか「全国ラーメンまつり」というネーミングだったと思う。
ラーメンは即席メン。「全国」とはその地方だけで販売されている「ご当地
即席メン」のことで、それを買ってきてただ作って出すだけ。具もなにもなし。
それを300円くらいで売っていた。しかも水は同じ階のトイレの水を友人が
風呂で使っていた水垢のこびりついた桶に汲んで運んでいた。不潔極まりない。

それでもよく売れていた。酷い話である。

大学の模擬店売り上げはそのサークルや団体の活動資金となり、その金で
合宿や宴会の費用に充てるのだ。

「ひどい食べ物を作って暴利を得る」ことは昔から変っていないのだ。


そう思えば、先日の息子の高校の文化祭のひどかったバンド演奏も私の高校時代と
そうは変らない。友人のバンドではボーカルがずっと演奏と半小節ずれて
「ジョニービーグッド」を唄いきった。ある意味すごい。

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学園祭と文化祭 1

2016-11-05 14:56:26 | Weblog
どうして大学や短大の祭りを学園祭といい、高校や中学は文化祭と
いうのだろうか。そもそも「まつり」と呼ぶのもおかしいような
気がするが。

高校一年の息子の文化祭と大学一年の次女の学園祭に行ってきた。
妻が「私は行く」と言うので、「俺もいっしょに行く」と言ってみた。
彼女は明らかに迷惑そうであったが、同行を許可した。

息子は都立の工業高校に通っている。パッとしない高校ではあるが、
もともと息子は「勉強が嫌いだから高校へは行かない。高校へ行かないで
死んでやる」と言っていた人間だから、高校へ進学してくれただけで
ありがたいと親は思っている。

パッとしない高校の文化祭はやはりパッとしなかった。息子のクラスの
出し物は「ダーツ&輪投げ」で準備などなにもせず、やっつけ仕事まるだし
の「無気力企画」だった。なんと、隣のクラスも同じような企画だった。

軽音楽部の演奏があるようなので、覘いてみる。

机かなにかで一応はステージのようなものを作っていた。一応PA、ミキサー卓
などもあって、その担当係のような学生もいた。

バンドの持ち時間はなんと5分、1曲で交替。

初めのバンドは1年生。聖飢魔II「 蝋人形の館」。1986年の曲だ。彼らにとっては
生まれるはるか前のナンバー。オールディーズ。

ボーカル絶叫、「お前も蝋人形にしてやろうかーーーー」

演奏開始。

すると、楽器の爆音でボーカルがまったく聞こえなくなった。バンド演奏で
ボーカルが聞こえないほど哀しいことはない。ボーカルは口をパクパクさせて
いるだけである。


おいおい、PAさんよ、なんとかしろー、と私はミキサー卓の前に座る学生を
念を込めて見つめたが、その学生は何もしない。ただぼーっと演奏を聴いている
だけである。

ボーカルのフェーダーはどれだ?Maxなのか?と、さらに卓に近寄り
覗き込むと「Vo」と書かれたフェーダーはまだ6分目くらいだった。

PAの学生は「この変なおやじはなんだ?」と思ったかもしれないが、私の念は
まったく彼には伝わらず、ボーカルがまったく聞こえないまま演奏は終了した。


2バンド目はこれまた1年生バンドだったが、こちらは斉藤和義「やさしくなりたい」
最近の曲である。


演奏開始。これまた、ボーカルが聞こえない。演奏開始前にバンドメンバーの紹介を
していたマイクがまったく聞こえない。1バンド目はまだ冒頭のセリフがあっただけまし、
こちらはメンバー紹介しかしてないんだぞ。


おい、PAいいかげんに気付け、、とまたミキサー卓を見ると、

ミキサー卓の前にはもう誰も座っていませんでした。


学園祭レポートは次回。

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