極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

2006-01-09 10:16:24 | Weblog
「環七フィーバーズ」は御当地ソングになっても、歌詞の内容は似たりよったりだった。マイナーコード1発の暗い曲調だ。これでオープニングでは盛り上がらない。

1990年9月20日の演奏がビデオテープに残っている。今回15年振りに見た。ビデオテープは劣化が進み画像はかなり乱れている。演奏は私のサックスをのぞいて非常にうまい。これといって特徴もないが、「必要十分」にうまい、といった感じだ。15年前の自分を見て、恥ずかしいという気持ちは不思議とない。ただ、つまらない、と感じるだけだ。

華が無い。

東京JAPよりも華がない。

デビューできるような歌謡曲調のナンバーを作ってみたり、ファンク調にしたりと、いろいろやったがどれもダメだった。セッションの中で生まれた曲や、それなりの曲もあったが、これはという曲はなかった。メンバー内でぶつかることもなかった。「こなし仕事」のようになっていた。

1990年12月30日 恒例のニューイヤーロックフェスの前日、チーフマネージャーから次年の契約更新はないと告げられる。チーフマネージャーによれば、事務所内ではもっと早い時期から契約打ち切りの話があったそうだ。そういうものか、と思った。我々は契約打ち切りの話を淡々と聞き、もめることなく受け入れた。その後どうする、という話もなかった。

私はもう曲を作らなくていいんだな、と思った。

翌日のロックフェスの演奏後、私はメンバーの写真を撮っている。私以外のメンバー5人全員が写っているが、不思議と全員の視線の方向がバラバラである。


大学を卒業してからの5年間に後悔はない。スポーツや勉強を精一杯やった人のように、「あの時はがんばったな」と肯定して思える時期だ。貴重な体験ができたとも思う。現在は普通の会社員でおもしろくもなんともない仕事をしているが、なんとか続けていられるのは「バンドの5年間」があるからなのかもしれない。




2004年の7月に始まった、「極私的デンデケデケデケ」も今回で終了です。
皆様のおかげで今回を迎えることができました。

たくさんのアクセス、はげましのお言葉、本当にありがとうございました。


佐藤 正則
コメント (3)
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環七フィーバーズ

2006-01-07 00:38:12 | Weblog
(WITH 青柳)

椅子の無いバスがオレゴンへ還ってゆく
椅子の無いバスが還七をひた走っている

行く先は誰も知らない
乗客は何も知らない
そんなことはどうだっていい
出口はどのみちわからない

椅子の無いバスがオレゴンへ還ってゆく    
椅子の無いバスが還七をぐるり外廻る
     
オートマチックに連なる           
車はいつも滞る               
そんなことはどうだっていい         
出口はどのみちわからない 
         
還七フィーバーズ              
還七フィーバーズ

椅子の無いバスが高架をひとつ通り抜ける
椅子の無いバスが還七をぐるり外廻る

排気ガスの嵐が舞う
路地裏の路を思い出す
君の友達も知らない
昔の女が微笑む
お前は誰かと聞いてる
何処へ行くのかと聞いてる
そんなことはどうだっていい
出口はどのみちわからない

還七フィーバーズ 
還七フィーバーズ
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89年90年の活動

2006-01-04 10:17:26 | Weblog
前にも書いたが、89年90年の活動も前3年と同様、リハーサルと時々のライブしかなかった。ライブは単独で都内ライブハウスで行われた。注目されることはなかった。客も増えなかった。単独ライブの他に、事務所に所属する複数のアーチストといっしょにライブをすることもあった。この事務所主催ライブは記憶が確かならば3回は出ている。当時ちょっとは売れていた歌手や、90年以降ちょっとは売れる歌手や、現在芸名を変えて売れている歌手などが出ている。私が単独で唄う曲も増えていた。ライブは私の唄う「環七フィーバーズ」で始まり、2曲目から青柳が登場するというパターンが多かった。「環七フィーバーズ」は「御当地ソング」である。必ず、その土地のフレーズをどこかに入れて毎回作詞した。と、いってもこのパターンになったのは、バンド終了までの数回である。本牧パターンや浅草パターンなどがあった。

もともとは青柳の叫んだ「環七フィーバー」という言葉から出ている。したがって、この歌詞は青柳との共作である。「椅子のないバスがオレゴンへ還っていく」というフレーズも青柳の作だ。

この「環七フィーバー」という言葉は、その後ギターウルフの作品で使われたが、青柳の話によると、

「ギターウルフが環七フィーバーを使っていいか、と聞いてきたので、いいぜ、答えた」そうである。

御当地ソングにする前の原形「環七フィーバーズ」の歌詞を次回御紹介します。
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