極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

西武ライオンズと松島茂 3

2020-02-29 20:34:13 | Weblog
西武ライオンズを担当していた営業部には5年在籍し、その後異動で他の営業部、転勤、帰任を
経て、私は2006年に再び西武ライオンズを担当する部門に戻ってきた。1991年の
入社から見れば15年の月日が経っている。

15年の間に、会社の組織変更もあり、1991年は独立した営業部だったが、2006年は統合された
営業部のひとつの課になっていた。

10年振りに戻って来て、私は西武ライオンズを担当した。

当時子供は長女11歳、次女9歳、長男6歳だった。

担当となったので、迷わず私と子供たちをファンクラブに入会させた。
担当ならば当然である、と思っていた。

子供たちはジュニア会員だが、このファンクラブの特典も西武はすごい。

ジュニア会員は西武ドームの主催試合がすべて無料で観られる特典がある。それに加えて
入会記念品がもらえる。(現在も同様。2000円の年会費で全試合入場無料+記念品)

特に松坂大輔が大リーグのレッドソックスに移籍した2007年は多額の移籍マネーが入った
ためか、ジュニアの入会特典はユニホームとグローブがもらえるという大盤振る舞いだった。

担当してみて驚いた。

1990年代のライオンズとあまりに違っていた。

明らかに「落ち目」であった。「おいしい生活」でバブルの象徴でもあった(のか?)
西武王国は崩壊していた。西武百貨店はセブン&iホールディングスの傘下になり、
西武ライオンズは毎年「身売り」の話題が出てくる球団になっていた。

そういう時に担当となったのである。


つづく


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西武ライオンズと松島茂 2

2020-02-27 19:53:59 | Weblog
西武ライオンズを意識したのは1991年、私がバンド活動をやめて就職した年である。

それまではプロ野球の興味もあまりなく、クイーンのライブに西武スタジアムに
行っても何の感慨もなかった。むしろ、西武ライオンズはあまり好きな球団ではなかった。

金に物を言わせ、球団を買収し、田淵幸一や野村克也を入団させたのは、いかにもな感じで
どうも好きになれなかった。その後、常勝球団となっても、その思いは変わらなかった。
もともとが「判官贔屓でひねくれもの」なので、巨人や西武には好感は持てなかった。

調べると、当時の西武はやはり、物凄い成績である。リーグ優勝は1985年~1988年4連覇、
1989年は仰木監督の近鉄だったが、1990年~1994年まで5連覇。と、勝ちっぱなしである。

1985年から1994年の10年間で9回のペナントレースで優勝している。


1991年に就職して、配属された営業部は取引先に西武ライオンズがあった。

私が就職したのは文具メーカーである。

私は直接の担当部署ではなかったが、ライオンズを含む西武グループ全体が取引先で
あり、営業部としては鉄道、百貨店を含んで大きな商売を目論んでいたのだろうと思う。

ライオンズに対してはオリジナル文具や、ファンクラブの入会記念品を製作した。

特にファンクラブ入会記念品は数量金額ともに大きな案件となり、入社早々の優秀な
営業マンが受注した時は、担当課長が喜びのあまり朝礼で報告した、なんてことも
あった。

バブルは1991年で終わったと言われるが、ライオンズとしては、1990年前半はまだまだ
黄金期であり、西武グループ、西武王国にも力があった。

華やかな西武グループを担当する部署と違って、私は社長ひとりでやっている零細企業や
危なっかしい会社ばかりが担当で、面白くなかった。

つづく

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西武ライオンズと松島茂 1

2020-02-25 12:54:02 | Weblog
2020年2月23日 文化放送のアナウンサー松島茂さんが亡くなった。
肺腺ガン、47歳だった。あまりにも若い。

実は西武ライオンズのファンである。

文化放送は長いこと西武ライオンズの試合のみを放送する「ライオンズナイター」を
続けている。松島アナの実況は滑舌よく、力強く、聴きごたえがあった。
実況アナには、他局もふくめ、昔から何人もの有名で優秀なアナウンサーがいるが、
松島アナもその一人といっていい。ご冥福をお祈りしたい。

また、松島アナは文化放送の社員でありながら、私の好きなオートレースの番組
テレビ埼玉の「バッハプラザ」にもよく出演されていた。

松島アナのファンでもあった私はとても悲しいのである。



子供の頃から大人になるまで、それほどプロ野球は好きではなかった。
小学生の頃、浜松球場に中日ドラゴンズが春季キャンプに来ていて、見物に行って、
転がってきた練習ボールを拾って、鈴木孝政投手にサインをもらったことがある。

「ボウズ、これうちのボールじゃないか」と言われながらも、サインしてもらえた。

のどかな時代だった。

しかし、春季キャンプは気候温暖な沖縄や九州、海外で行われるのが当たり前の
現在から比べると、昭和40年代の春季キャンプの名古屋→浜松って、距離も近いし、
ただの「合宿」という意味だったのか。巨人はどこでやっていたのか。

その後大学を卒業してバンドをしている頃も、それほどファンというわけでもなく
過ごしてきた。

結婚して千葉県に住み、海浜幕張にもアクセスがよかったので、千葉ロッテマリーンズが
好きになった。

今もよく会う健ちゃんからVIPチケットをもらって、身重の女房とスタジアムに行ったことも
ある。VIP専用駐車場に駐車できたり、ロッテリアのサービスがあったり、素晴らしい体験だった。

健ちゃんありがとう。

つづく



コメント (2)
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下北沢駅とポイント還元3

2020-02-10 10:22:08 | Weblog
2020年1月25日にキャッシュレスポイント還元 30円を受け取るために
下北沢駅まで行ってきた。

と、書くと「30円の為に電車に乗って行ったアホ」のようだが、この日は
恒例の飲み会があったので、そのついでに手続きをしたのである。

小田急下北沢駅で下車する前に改札の窓口に行った。時刻は午後5時前。

以下はパスモ事務局より届いたメール

第一期の還元ポイントが確定いたしましたので、ご連絡いたします

■確定ポイント(還元額)
 30 円
 ※付与ポイントのうち10ポイント未満を切り捨てた額が確定ポイント(還元額)となります。
 ※第一期(2020年1月)の還元額の上限は20,000円です。
■QRコード表示URL
 ************************
■ポイント引換番号
 ************************
■受取期間 
 2020/1/10(金) ~ 2020/1/26(日)
※受付時間は各受取場所にて異なります。下記の「PASMOポイント還元取扱駅一覧」よりご確認
 ください。
■受け取り方法
 登録済のPASMOと、本メール(またはQRコードおよびポイント引換番号が記載されたページを
 印刷したものでも可)をお持ちの上、最寄りのPASMOポイント還元取扱駅にお越しください。
 <PASMOポイント還元取扱駅一覧>


メールにあるURLで表示されるQRコードをスマホに入れて、窓口に行くと、何人かの職員がいたが
受け付けてくれた職員が意外なことを言う。

「担当者がただ今、別のお客様の対応をしているため、少々お待ちください」

そして、紙にパスモの番号と氏名などの記入をさせられ、金額を確認したいので、メールの文面を
見せてくれ、と言われる。QRコードは必要ない、とも言われる。

文面を見せて、30円と記入。 そこから10分くらい待った。

待っている間に「井の頭線(京王)に乗りたかったのに、間違えて小田急に入ってしまった」
という人が続々と窓口に来る。下北沢駅は新しくなったが、以前は改札は共用ではなかったか。
改築されて不便になったのか?渋谷駅と同じか?

担当者が来て、パスモを渡して、そこからもかなり時間がかかった。不慣れな感じでかなり
あたふたしていた。

手続き終わりました、とパスモと書面を渡されたが、その時も会社控えと利用者控えを間違えて
渡され、交換させられた。

30円のために、トータル20分くらいかかってしまった。毎度、コスパの悪い人生である。

その間、改札間違えの人は無数にいたが、私のようにポイント還元手続きをする人はひとりも
いなかった。


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