法政大学で参加したジャズ系のサークルは「NOS」といった。
NOSは何かの頭文字だとは思うが、記憶があやふやだ。法政大学の大学カラーはオレンジで、ビックバンドは
「ニューオレンジスイングオーケストラ」といっていた。「NOSO」だ。「NOS」は「ニューオレンジシンガーズ」だったかもしれない。基本的にはジャズコーラスのサークルだった。マンハッタントランスファーのような男女4人組のボーカルグループがメインだった。私はバックバンドのメンバーとして参加した。
歴史はあるらしかったが、ボーカルは4名しかおらず、バックバンドの演奏者も各パートひとりづつしかいなかった。ボーカル4人とバック5名の9人が全部員だった。
で、やってみたら、部長(ボーカル、一応コンサートマスター)の指示が細かくていやになった。演奏はジャズボーカルナンバーのスタンダードばかりである。練習はきつくて、つまらなかった。
数カ月で辞めてしまった。定期演奏会に一度出たのと、レストランのショーみたいなものに2、3回出ている。赤坂などのわりと高級な店だった。ギャラが出た。
NOSは何かの頭文字だとは思うが、記憶があやふやだ。法政大学の大学カラーはオレンジで、ビックバンドは
「ニューオレンジスイングオーケストラ」といっていた。「NOSO」だ。「NOS」は「ニューオレンジシンガーズ」だったかもしれない。基本的にはジャズコーラスのサークルだった。マンハッタントランスファーのような男女4人組のボーカルグループがメインだった。私はバックバンドのメンバーとして参加した。
歴史はあるらしかったが、ボーカルは4名しかおらず、バックバンドの演奏者も各パートひとりづつしかいなかった。ボーカル4人とバック5名の9人が全部員だった。
で、やってみたら、部長(ボーカル、一応コンサートマスター)の指示が細かくていやになった。演奏はジャズボーカルナンバーのスタンダードばかりである。練習はきつくて、つまらなかった。
数カ月で辞めてしまった。定期演奏会に一度出たのと、レストランのショーみたいなものに2、3回出ている。赤坂などのわりと高級な店だった。ギャラが出た。