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極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

高校2年 37

2004-09-30 23:01:17 | Weblog
町民センターのライブは修学旅行の前の日だった。

その前の夜、つまり修学旅行の前々日の夜、島津さんから電話があった。

島津さんは美女がいない私のクラスで唯一といっていい美形の女生徒だった。修学旅行では私といっしょに「自由グループ行動」をすることになっていた。が、私と島津さんとの接点はなかった。私が島津さん宅に電話をしたこともなければ、島津さんからもない。

一体、何の話だろう、もしかして俺のことが好きなのか?、と「塩狩峠」事件でいい気になっている私は、はじめての電話に胸が震えた。

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高校2年 36

2004-09-29 23:08:16 | Weblog
借り物のベースで練習した。「ゲットバック」と他何曲かだ。アオイ楽器の2階の練習スタジオは、防音設備など、それほどしっかりとしたものではなかった。音は漏れていた。練習はつまらなかった。

前述のアオイ楽器主催「ジャンプトゥギャザー」に出演することが決まっていた。浜松よりもっと田舎の町民センターで開催された。その演奏に向けての練習だった。

コードを意識していれば、あとはなにをしてもよい、と言われたが、よくわからず控え目に徹した。
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高校2年 35

2004-09-28 22:00:53 | Weblog
ギター部の活動として、同じような室内楽のクラブのある高校が何校か集まって演奏会をすることがあった。

ある日、そんな演奏会があり、市内の女子高に行った。演奏をして、何事もなく帰ってきた。

しばらくして、手紙とともに本が届いた。中学の時、同学年だった鈴木さんという人がその演奏会で私を見かけ、本人によれば「ひと目で好きになった」ので「自分の大好きな本」を贈るというのだ。

本は三浦綾子の「塩狩峠」だった。

突然本を贈られても困る。本は現在、実家にあり、一度も読んだことはない。

この時のショックのせいでもないだろうが、三浦綾子作品を読んだことはない。
壮絶な生き方をした作家だった、ということは、なんとなく知っている。
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高校2年 34

2004-09-27 23:01:52 | Weblog
ベースは買わなかったが、クラシックギターは高校2年で買っている。

メーカーは松岡だ。たしか、30000円だった。ギター部でまとめて買った。松岡はヤマハなどにくらべると非常に良心的な作り方をしていた。ギターは学校の練習室にずっと置きっぱなしで、3年になると新入生のために貸し出した。

現在は実家に置いてある。帰省時、弾く程度だ。
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高校2年 33

2004-09-26 17:33:17 | Weblog
バンドに参加はしたが、ベースギターを買うのはもっと後になってからである。

初めて買ったのは、フェルナンデスの白いプレシジョンベースだ。それまでは、人から借りていた。ギター部の先輩の政本さんから、ジャズベースを借りた。ボディはナチュラルだった。はじめから政本さんのベースを借りたのか、それ以前も誰かに借りたのか、記憶にない。

楽器を人から借りることはよくあった。中学校同期の入口君からもセミアコ(正確に言えば入口君のお兄さんのもの)を借りた。雅之からもストラトを借りた。渥美からもアルトサックスを借りた。
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高校2年 32

2004-09-25 22:21:46 | Weblog
池谷に「ベースをやらないか」と誘われた。

聞けば、ベースの松下がやめるということだった。どうして松下がやめたくなったのか、聞いたことはない。後年の池谷説によると、池谷、花島、松下、と中学時代からギターをやってきて、池谷と花島がギターで、松下がベースと、「ベースをしなくてはならないひがみ」のようなものが、あったのではないかというのだが、真偽の程は定かでない。

フォーク一辺倒で、しかもクラシックギター部の私としては「エレキバンド?、不良じゃないの?」と、実は初めは若干の躊躇もあったのだが、引き受けることにした。なんとなく、やってもいいかなあ、と思った。

この時、もし断っていたら、私のその後の人生は大きく変わっていたように思う。
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高校2年 31

2004-09-24 22:45:39 | Weblog
ステレオはあったが、レコードは買えなかった。

初めて買ったのはわけのわからないクラシックだった。「一枚目はクラシック」みたいな、へんな思いがあった。現在はない。捨ててしまったのだろうか。

当時2500円というLPの値段は高校生にとっては高額過ぎた。高校時代レコードはほとんど買えなかった。現在ある300枚程のレコードのほとんどは上京後に買ったものだ。

実は私はビートルズのレコードを一枚ももってはいない。ストーンズもレッドツェッペリンもない。

ジミヘンだけは、2枚買っている。
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高校2年 30

2004-09-23 20:31:33 | Weblog
高校2年の夏に父親が突然ステレオを買ってきた。

当然、勤務していたヤマハ製だ。社員優待かなにかで安く買ったのだろう。アンプはFMチューナー内臓の「レシーバー」だった。レシーバーはやたらと重かった。レシーバーもスピーカーもターンテーブルもそこそこの定価のものだったとは思うが、ダイレクトドライブのターンテーブルはいつも回転が安定しなかった。レシーバーもボリュームを下げると、どちらか一方のスピーカーが早く音が消えてしまった。カセットデッキだけ妙にデザイン的なものだったが、音は悪かった。

なんとも、ちぐはぐなステレオセットだったが、レシーバーとスピーカーはその後2002年まで使い続けた。
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高校2年 29

2004-09-22 23:38:50 | Weblog
夏休みの間だけという約束のアルバイトだったが、2学期になっても、なんとなく土日のみ続けていた。

若い女性はいなかったが、なかなか味のある人たちが多かった。地区出身の妻を持つ悩める若き店長や、寡黙な渡り板前(食べ放題の焼肉屋で「板前」もないが)など、初めて出会う大人の世界だった。

「親子丼のおばさん」はその後自殺したと聞いた。私がアルバイトを辞めた後で、詳しくはわからない。自殺自体の信憑性も実はあやしい。

いっしょに働いている時は、陽気な女性だった。
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高校2年 28

2004-09-21 22:55:48 | Weblog
高校2年の夏休みに、はじめてアルバイトをした。

食べ放題の焼肉屋である。ホール係兼流し場担当で、鉄板を洗ったり、大皿に乗った肉を出したり、サラダを作ったり、ババロアを作ったりと、レジ以外はなんでもやった。時給は420円だった。賄い飯は当然焼肉だ。毎回焼肉だ。たまには違うものも食べたいと思っていたら、パートのおばさんが、親子丼を作ってくれた。

アルバイトといえば、「男女の出会い」。大いに期待したが、現場はこのパートのおばさん(50才位)が唯一の女性で、あとは全員男だった。「若い男女の出会い」はまったくなかった。毎日、汗だくになって働いた。
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