極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

トリビュートバンド

2015-08-25 11:39:09 | Weblog
2015年8月23日 本所吾妻橋に池谷の父子バンドを見に行った。

池谷のバンドの後が「ポールマッカートニー&WINGS」の「トリビュートバンド」だった。

ポール役のリーダーらしき人はリッケンバッカーのベースを左で弾き、ピアノも弾くという
まさにポールをトリビュートしている風だったが、他のメンバーは普通だった。キーボードの
女性が金髪のロンゲだったので、その点ではリンダ風なのか。もっともWINGSにあまり詳しく
ないので、ドラムやギターの人もそれなりに「トリビュート箇所」があったのかもしれない。

しかし、トリビュート、トリビュートバンド という言葉、私が音楽をしていた頃には
聞かなかった様に思う。「トリビュートアルバム」や「トリビュートコンサート」のような
言葉はあった。それはプロアーチストが「特定の人物や出来事に対して、強い思い(尊敬や
賞賛)をこめて行う」ものだった。

音楽にプロアマの境界なんて、ほんとはないのだが、トリビュート行為は「プロの人々でも
特別なもの」みたいなものだったので、アマチュアの分際で(決してアマチュアを卑下して
いるのではないですが)「トリビュート」なんて恥ずかしくて言えない、てな雰囲気はあった。
少なくとも私の周りではひとりもいなかった。

では、どのように言っていたかといえば、それは「コピーバンド」と言った。
或いは「カバーバンド」と言った。

コピーバンド、カバーバンド というと、途端に安っぽく感じるのはなぜだろうか。

やっぱり「トリビュートバンド」と言うと、どこかしら高尚な、真面目な、求道的な感じがする。

現在は、高校の「けいおん」では、数多くのトリビュートバンドが存在しているのだろうか。

「うちらは、KANA-BOON のトリビュートバンドです」みたいな。


トリビュートバンドという言葉に色々思うこともあったが、肝心のWINGSのトリビュートバンド
「Paulウインナー&WINナッス」は、真面目な演奏に好感が持てた。

最後に「レディマドンナ」を演奏した時は「皆さん、ビートルズですよ、ビートルズ」と
言いながら演奏していた。

WINGS時代にレディマドンナの演奏があったかどうか知らないが、要するに音楽は楽しんだ者勝ちなのだ。

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甲子園と商業高校

2015-08-18 05:46:18 | Weblog
これを書いている2015年8月18日現在、夏の甲子園 全国高校野球選手権大会は
清原松井並みのスター選手、早稲田実業の清宮選手の話題もあり、
大いに盛り上がっている。

ベスト8で惜しくも敗退となった秋田商業だが、現在の職場で秋田出身の人が
いて、その方は秋田商業のことを我が事のように語る。大変に秋田商がお好きらしい。

私もそれほど「甲子園好き」ではないが、それなりに見てはいる。
そして、静岡県浜松市出身なので、浜松商業が好きである。

浜松商業が「春の選抜」で優勝したのは1978年で私が中学3年の時だったが、
それはそれは浜松中が盛り上がった。

私は、愛媛県松山市で5年間勤務したが、松山の人たちも松山商業が大好きだった。
取引のあった中小企業の社長達は、ほぼ100%松山商業「まつしょう」ファン。

赴任したのは1998年で、松山商業が1996年夏の甲子園「奇跡のバックホーム」で
優勝してまだ2年ということもあり、この話題は5年の間、何度聞かされたかわからない。

どうして、人々は(と、いっても秋田、浜松、松山しか知らないが)高校野球の商業高校が
好きなのだろうか。

私は個人的には、私立高校よりも公立校、公立高校でも工業や商業といった専門高校に
贔屓が寄っていく。多分に偏見が入るが「貧しいのに頑張っている」というような気持ち
になる。工業高校や商業高校が貧しいわけはないのだが、そんな風に思ってしまう。

反面、私立高校はこれも偏見が大きいが、「野球留学、選手はみんな他府県出身」と
いうような「金にものを言わせる」ようなイメージがあっていまひとつ好きになれない。

公立高校にがんばってほしいと思ってしまう。

といっても、今年の甲子園、静岡県からは静岡高校が出場し、静岡高校はれっきとした
県立高校だが、静高は学業レベルも県内トップであり、「野球も勉強も一番」となると
これはこれで、嫌味だなと思ってしまう。


夏の甲子園は地方予選から始まる。毎年、浜松商業と松山商業の成績を気にしている。



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児雷也

2015-08-17 12:44:54 | Weblog
前回「スヌーピーの初恋」の話で、児雷也の話をちょっと書いたが、補足。

愛媛県松山市で5年間働いて、記憶が曖昧だが、2~3回は児雷也に行っている。
会社の同僚と行った。

私はポプコン少年だったから「児雷也」の名前は、知っていた。
もちろん「他愛もない僕の唄だけど」もよく知っていた。好きな曲だった。

なので、店の事前情報もなく、行った先で本物の児雷也さんがいたのには
びっくりした。店は一番町か二番町か、とにかく松山の「クラブ街」にあった。
ホームページで確認すると大街道(アーケードの商店街)に移転とある。
(私が行ったのは2002年頃で移転は2007年)

児雷也さんは店のオーナーだが、お酒を飲んで、常連も一見客にも隔てなく
楽しく話をされていた。

前述の「スヌーピーの初恋」を歌った後も、

「そうだよ、好きな女に出会う為に男は生まれてくるんだよ、その通りだよ」
などと言ってくれ、まったくウケなくて少々沈んでいる私を励ましてくれた。

ステージは「歌いたい人が適当に歌う」スタイルで、私と同じようなサラリーマンが
ネクタイ姿でスタンダードフォークを歌っていた。


「児雷也」のスタッフで、プロを目指しているという人の演奏をそこで聴いた
ことがある。ギター演奏も上手、歌もうまい、見事なもんだと感心した。
曲の構成も実にしっかりしていた。

あの方はその後どうなったのだろうか。





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幸せこんにちは 番外編

2015-08-07 05:06:38 | Weblog
この前 西村と会った時、「幸せこんにちは」の話題になり、
西村が「俺の結婚式の時が、『幸せこんにちは』の初お披露目だったわけだな」と
言った。

まったく覚えていない。

西村の結婚式で歌ったことも忘れていた。


歌ってくれと言われて背広を着て、ギターを担いで行ったが、披露宴の進行の
都合で割愛となったこともある。

また、「ぜひ歌ってほしい」と本人から強く要望された会社の後輩の時は、
後輩の同じ部署の方々(私とその方々との面識はなかった)が
ひどく酔っぱらっており、「誰だお前は、俺たちは知らんぞ、このやろう!」と
罵声と怒号が渦巻く中で歌った。

さすがに酒瓶や食べ物が飛んではこなかったが、自分が「ブルースブラザーズ」の
ジョンベルーシになった気分だった。


渥美の結婚式には、作者への敬意を表して、あえて完全オリジナルの新曲をぶつけた。
この曲のタイトルは「スヌーピーの初恋」と言う。

この曲は渥美の結婚式と自分の結婚式と四国愛媛松山の「児雷也」のステージでも
歌ったがまったくウケなかった。出来の悪い唄だったのだ。個人的には好きなんだけど。
渥美には申し訳ないことをした。

「他愛もない僕の唄だけど」が有名な児雷也さん(のぶさん)の経営する「児雷也」
ですが、飲みに来た客が適当に歌えるシステムになっていた。
(この文章を書いていて、確認したら、なんと2008年にお亡くなりになっていた。合掌)



 スヌーピーの初恋
 
 あなたと出会うために僕は生きてきた
 あなたと出会うために僕は生きてきた
 毎日おはようと
 毎日おやすみを
 いつまでもこうして
 いつまでもこのままで

 あなたと出会うために僕は生きてきた
 あなたと出会うために僕は生きてきた
 同じことで笑おう
 同じことで怒ろう
 いつまでもこうして
 いつまでもこのままで
 
 あなたと出会うために僕は生きてきた


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