2015年8月23日 本所吾妻橋に池谷の父子バンドを見に行った。
池谷のバンドの後が「ポールマッカートニー&WINGS」の「トリビュートバンド」だった。
ポール役のリーダーらしき人はリッケンバッカーのベースを左で弾き、ピアノも弾くという
まさにポールをトリビュートしている風だったが、他のメンバーは普通だった。キーボードの
女性が金髪のロンゲだったので、その点ではリンダ風なのか。もっともWINGSにあまり詳しく
ないので、ドラムやギターの人もそれなりに「トリビュート箇所」があったのかもしれない。
しかし、トリビュート、トリビュートバンド という言葉、私が音楽をしていた頃には
聞かなかった様に思う。「トリビュートアルバム」や「トリビュートコンサート」のような
言葉はあった。それはプロアーチストが「特定の人物や出来事に対して、強い思い(尊敬や
賞賛)をこめて行う」ものだった。
音楽にプロアマの境界なんて、ほんとはないのだが、トリビュート行為は「プロの人々でも
特別なもの」みたいなものだったので、アマチュアの分際で(決してアマチュアを卑下して
いるのではないですが)「トリビュート」なんて恥ずかしくて言えない、てな雰囲気はあった。
少なくとも私の周りではひとりもいなかった。
では、どのように言っていたかといえば、それは「コピーバンド」と言った。
或いは「カバーバンド」と言った。
コピーバンド、カバーバンド というと、途端に安っぽく感じるのはなぜだろうか。
やっぱり「トリビュートバンド」と言うと、どこかしら高尚な、真面目な、求道的な感じがする。
現在は、高校の「けいおん」では、数多くのトリビュートバンドが存在しているのだろうか。
「うちらは、KANA-BOON のトリビュートバンドです」みたいな。
トリビュートバンドという言葉に色々思うこともあったが、肝心のWINGSのトリビュートバンド
「Paulウインナー&WINナッス」は、真面目な演奏に好感が持てた。
最後に「レディマドンナ」を演奏した時は「皆さん、ビートルズですよ、ビートルズ」と
言いながら演奏していた。
WINGS時代にレディマドンナの演奏があったかどうか知らないが、要するに音楽は楽しんだ者勝ちなのだ。
池谷のバンドの後が「ポールマッカートニー&WINGS」の「トリビュートバンド」だった。
ポール役のリーダーらしき人はリッケンバッカーのベースを左で弾き、ピアノも弾くという
まさにポールをトリビュートしている風だったが、他のメンバーは普通だった。キーボードの
女性が金髪のロンゲだったので、その点ではリンダ風なのか。もっともWINGSにあまり詳しく
ないので、ドラムやギターの人もそれなりに「トリビュート箇所」があったのかもしれない。
しかし、トリビュート、トリビュートバンド という言葉、私が音楽をしていた頃には
聞かなかった様に思う。「トリビュートアルバム」や「トリビュートコンサート」のような
言葉はあった。それはプロアーチストが「特定の人物や出来事に対して、強い思い(尊敬や
賞賛)をこめて行う」ものだった。
音楽にプロアマの境界なんて、ほんとはないのだが、トリビュート行為は「プロの人々でも
特別なもの」みたいなものだったので、アマチュアの分際で(決してアマチュアを卑下して
いるのではないですが)「トリビュート」なんて恥ずかしくて言えない、てな雰囲気はあった。
少なくとも私の周りではひとりもいなかった。
では、どのように言っていたかといえば、それは「コピーバンド」と言った。
或いは「カバーバンド」と言った。
コピーバンド、カバーバンド というと、途端に安っぽく感じるのはなぜだろうか。
やっぱり「トリビュートバンド」と言うと、どこかしら高尚な、真面目な、求道的な感じがする。
現在は、高校の「けいおん」では、数多くのトリビュートバンドが存在しているのだろうか。
「うちらは、KANA-BOON のトリビュートバンドです」みたいな。
トリビュートバンドという言葉に色々思うこともあったが、肝心のWINGSのトリビュートバンド
「Paulウインナー&WINナッス」は、真面目な演奏に好感が持てた。
最後に「レディマドンナ」を演奏した時は「皆さん、ビートルズですよ、ビートルズ」と
言いながら演奏していた。
WINGS時代にレディマドンナの演奏があったかどうか知らないが、要するに音楽は楽しんだ者勝ちなのだ。