極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

実家の片付け 5

2018-11-24 10:25:31 | Weblog
母の見舞いに浜松入りしても、大抵は1泊、多くて2泊である。

それでは本格的な片付けはできない。庭の草むしりと、伸びた枝葉を切る程度で
終ってしまう。草むしり程度と言っても、季節にもよるが、2、3ヶ月ですごく伸びて
しまう時もある。ちょっとやっただけで、大きめのゴミ袋が3つくらいになったことも
あった。

物置小屋の膨大な収納品を片付けるためには、どれくらいかかるかわからないが、
ある程度、しかも平日に連続して行う必要があると思った。平日というのは、
廃棄物を処理場に自己搬入しようと思ったからだ。車を借りて持ち込む。

平成の大合併で面積が広がった浜松市にはいくつかの処理場がある。その中で一番
家に近い処理場を選んだが、それでも車で30分以上はかかりそうだった。

日程は2018年11月3日から7日までの5日間で11月6日(火)に自己搬入を予定した。

11月3日は土曜日で土~水まで、仕事を休むことになる。これは特に有休を使う
ことなく、出勤日のシフトを調整して対応した。前職では夏休みや正月休みなど
長期の休暇はあったが、それ以外ではまったく休みは取れなかった。有休制度は
もちろんあったが、自分も周りもほとんど有休を取らなかった。そういうブラックな
雰囲気が満載の職場であった。

現在の職場は有休は普通に取れるし、出勤シフトの調整も容易だ。転職してよかった。

浜松のゴミの自己搬入のルールは

 ① 事前連絡が必要
 ② 一回の量は軽トラ1台分(複数回の搬入は可能)
 ③ 通常のゴミ出しのように、分別して浜松市指定ゴミ袋に入れる
 ④ 粗大ゴミ(浜松市では「連絡ゴミ」という)は事前に受付センターに連絡して
   受付ナンバーを記入した連絡ゴミシールを貼付して搬入

 である。


どうして軽トラ1台分なのか、というと混雑した場合、ゴミを車から降ろす時間が
かかるから、軽トラ程度にしてもらっている、という理由だった。

混雑することがあるのだろうか?
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実家の片付け 4

2018-11-19 07:18:46 | Weblog
このように、ちっぽけな庭には父が「建築」した物置小屋と、犬小屋と
日本庭園風な小山と家庭菜園とがあって、多くのプランターとか
植木鉢とかが散乱している。「荒廃している」と言い換えてもよい。

まず、この庭からだな、と思った。

もちろん、家の中にも多くの物が溢れている。でかい書棚には
百科事典もある。百科事典も当時流行りましたね。だが、まずは
庭をすっきりさせて、家の中を片付ける時は庭にブルーシートなどを
置いて、「全部出す」みたいなやり方がいいかなー、と思った。

なので、まずは庭だ。それも物置小屋からだ。

父は物置小屋を自宅の新築早々に建築した。私がまだ小学校の頃だったと思う。
その中に、古い箪笥を二つ設置し、釣り道具や大工道具を収納した。

パッと見て、「すごい量」である。大工道具ばかりか、つるはしや
スコップといった「土木作業用品」も多い。「つるはし」って、
普通の家庭にありますか?


片付けについては、世の中には、そのまま何もかも片付けてくれる
業者もあって、そのような業者に依頼する、という方法ももちろんある。

費用は発生するが、作業の苦労はない。また、交通費やレンタカー代
などを考えれば、自己片付けよりも、「安くつく」かもしれない。
業者に依頼することも考えないでもなかったが、今のところ急ぐ必要もないし
ゆっくりひとりでやっていこうと思った。

とにかく、庭や家の中を片付けて、すっきり空っぽにして、不要な家具も処分する。

空っぽにした後のことはまだ具体的ではないが、リフォームや売却を検討したい。

庭の片付けはそのための「第一歩」なのだ。




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実家の片付け 3

2018-11-14 11:30:43 | Weblog
どうして父は庭を日本庭園風にしたのか。

私の家は分譲住宅地にあり、住宅地が開拓されるとほぼ同時に
建築された。いわゆる「盆地」になっていて、どこに行くにも
坂を登らなければならない。歩いていけるところに大型スーパーは
あるが、長い階段を登らなければならない。その階段もコンクリートの
板を並べたような「手造り階段」である。

転居した当初はこの「手造り階段」は間に合わせのもので、そのうち
ちゃんとした階段ができるのかと思ったが、その後も鎖の「手すり」が
できたくらいで、40年以上経った今でも、そのままの「手造り階段」である。

不便なところに土地を買ったなあ、と子供心に思った。

庭を日本庭園風にする、というのは、当時どこの家でもそうしていて、
「流行り」でもあった。周辺の家でもそのようなお宅は多い。

添付した写真は群馬水上温泉「松乃井」の「華松園」である。

このような立派な庭園にするなら、まだわかるというものだが、面積もなく、
盆栽や植木の趣味を持たなかった父は庭の手入れなどまったくしなかった。
大きめの石をいくつか置き、松やらその他、適当な木を植えて、ほぼ「ほったらかし」。

気が付いた時に、剪定をお願いする程度だったようだ。その周りに母がまた、
無秩序に花を咲かせていたので、なんだかよく分からない「日本庭園」に
なってしまっていた。池や、水が流れるようになっていなかったのが幸いだ。

池なんてあったら、ただの「やぶ蚊発生装置」になっていたに違いない。


また、父の死後、家庭菜園の趣味を持つ叔父が一部を菜園にしてしまった。
菜園といっても、タタミ2畳ほどだったが、花壇の他に畑まであったわけで、
なんともしまらない庭になっていた。

転居したのは私が小学校5年の時だったが、その時も、階段と同様私は、
どうしてこんな中途半端な日本庭園にするのか、疑問だった。

アメリカの住宅のように、フラットな芝生等にした方がずっといいのに、
と思っていた。今もそう思う。



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実家の片付け 2

2018-11-12 12:30:29 | Weblog
私は上京してから実家で生活したことはない。

妹が嫁いで、両親の二人暮らしになったのが、1990年。父が死去したのは2009年。
そこから母親の独り暮らしになる。母は2011年からアルツハイマー型認知症を発症して、
それでもなんとか独り暮らしをしていたが、2014年4月からはグループホームに入所した。

実家は2014年から 実態として「空家」になっている。

妹が食材他、日常品を整理したが、家具や家財道具などはそのままの状態で残っている。

なんとかしなくちゃな、とずーっと思っていた。


ずーっと思ってはいたが、2014年は私の転職時期と重なり、何もしないで数年経ってしまった。

私が年に数回帰省して、グループホームの母のところに見舞いに行き、実家に泊まるのと、
妹が時々換気をしたりするので、実家はある程度は保たれている。
雑草はすぐに生えてくるが、その都度草刈をしていた。

空家にしていて、心配なのは火事(風水雪害も)だが、それまで実家で入っていたCORP共済の
火災保険「すまいる共済」は空家だと契約できない。そこで、「保険の窓口」で相談したところ
「水道、電気などライフラインが継続されているのならば、住居として加入できる」という
火災保険があった。(あいおいニッセイ同和損保)
そこと契約して、不審火失火については、一安心。

母は父の衣類関係は処分したが、それ以外はまったく処分していなかった。

父は趣味が多い人だった。大工仕事も趣味と言えば趣味だし、釣り、囲碁、と忙しい人だった。

それらの趣味の道具がたくさんあるのだった。


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tofubeats「RIVER」

2018-11-12 06:47:51 | Weblog
相変わらずトーフビーツが好きである。

この「RIVER」もとても良いが、出演している 唐田えりか がとても可愛い。

はじめ、有村架純か?と思い、違うな、誰だ?と思ったら、エンディングで名前が出る。
ネットで確認すれば、唐田はソニー損保のCMなどに出ていた女優さんで、この「RIVER」は
唐田が主演した『寝ても覚めても』という映画の主題歌だった。歌詞が「寝ても覚めても愛は」
で始まっている。

映画の主題歌で、そのPVに出ているのだから、撮影時期は近いと思うのだが、映画の予告篇の
唐田と「RIVER」の唐田とは違う。「RIVER」の方が顔が細く、目が大きい。

歳を取って目が悪くなったかな。

tofubeats「RIVER」


映画『寝ても覚めても』90秒予告


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実家の片付け 1

2018-11-11 17:48:57 | Weblog
2018年11月3日~7日にかけて、実家の片付けをした。

ずっと、しなければならないと思っていて、やっと手を付けたのだ。
記念すべき「第1回」である。

静岡県浜松市に父が家を建てたのは、昭和48年8月である。
昭和9年生まれの父は39歳で、一国一城の主となったわけである。
55歳で賃貸に住む私とは違う。

土地の面積は約190平米、建物は日本家屋二階建てで
延べ床面積は約90平米である。二階と合わせて90だから、平面積で
いえば、60平米くらいか。つまり ちっぽけだが、庭がある。

そこに父は小山を造り、植木を植え、石を置いて日本庭園風にした。
母は花を育てるのが好きで、年中色々な花を咲かせていた。

また、庭の一部には物置小屋がある。面積は10平米くらい。
「イナバの物置」のような、既製のものではなく、父が自分で「建築」した。

コンクリートで基礎を作り、基礎から柱を組み上げて、トタンで囲っている。

父は木工職人だった。中学を卒業して、家具製造の会社に入社し、その後 
河合楽器から日本楽器(現在のヤマハ)へと転職して、定年までずっと木工一筋の
人生だった。

ヤマハでは、グランドピアノの鍵盤の加工をしていた。ヤマハに入社してからは
ずっと同じ仕事だったように思う。来る日も来る日も、鍵盤を手作りしていた。

父は40代の頃、国家資格である「一級木工技能士」を取得した。家には当時の
労働大臣の免状が額装されている。試験は実技と筆記があり、父は試験後
「筆記はまるで自信がなかったが、実技は簡単だった」と言っていた。

そんなわけで、縁台とか、犬小屋とか、父のお手製の木工作品が多くあった。
物置小屋も楽しそうに作っていたことを覚えている。




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東海道新幹線 東京駅改札内 崎陽軒 シウマイ弁当

2018-11-09 11:19:06 | Weblog
崎陽軒のシウマイ弁当が好きだ。

これは、崎陽軒好き及び鉄道ファンには広く知られていることでもあるのだが

「東京駅で崎陽軒のシウマイ弁当を売っている店は少ない。
 東海道山陽新幹線の改札内では1箇所しかない。ホーム上の売店では
 売っていない」 のである。

もしかしたら間違っているかもしれないが、ネットで調べてみても、大体
このようである。

ここで言う、シウマイ弁当とは860円の黄色い紙パッケージのシウマイが5個の
正真正銘の「シウマイ弁当」である。同じ崎陽軒でも1100円の「横浜中華弁当」
などは、いろいろな売店で売られている。

私は母親の遠距離介護を3年くらいしていた時期があって、当時は月に2~3回浜松に
帰省していた。その時に駅弁を買うのだが、いろいろ食べ比べた結果、コスパ
の点でもシウマイ弁当がNo1だった。

東海道新幹線改札内での売り場は、どこの売店に聞いてもすぐに教えてくれるが
7両目の所にある階段を下りて、右にある売店にある。先頭車両の方、北口方面の
階段を下りたところ。

しかも、一番左の一番取りにくいところに、こそっと置いてある。
まるで、「あまり売りたくないんですが、、」と言っているようだ。


なぜだろう、と思う。


ここからは、私の勝手な推測。


弁当の価格 860円とは現在の弁当価格としては安い。大抵の弁当は1000円以上する。

だから、1個あたりの利益は少ない。だから、崎陽軒としては「横浜中華弁当」のような
利益が取れる弁当を売りたい。

しかし、「崎陽軒といえば、シウマイ弁当だろう」というファンがいる。
そういうファンのために、こそっと売っているのではないか。

また、問い合わせがあったり、「売ってないのか」という苦情に対応するために
とりあえず、ちょこっと置いているのではないだろうか。


単に、製造量が少なくて 東京駅に回せないのかも知れませんがね。


最後に、東京駅のキヨスクはJR東海が経営している店とJR東日本が経営している店と
2種類あります。キヨスクのロゴが違います。今回、確認したら JR東日本だけ
「キオスク」と呼ぶようにしたらしい。2007年から。知らなかった。
取り扱い商品についても微妙に違います。

もしかしたらシウマイ弁当の販売についても、東海と東日本の影響もあるのかな。





東日本



東海






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