極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

ロックコンテスト

2005-03-31 22:19:48 | Weblog
1983年5月 ロックコンテストの2次予選に行っている。ロックラの先輩バンド「GOGOBOYS」が出ていて、応援も兼ねていた。この2次予選、優勝は「モダンミュージック」というバンドで、「GOGOBOYS」も決勝進出している。マツダが冠スポンサーになって、大学生の「プロデュース研究会」みたいなサークルの連合体に運営させていた。正式名は「マツダ カレッジサウンドフェスティバル」という。

ゲストは「近田春男とビブラトーンズ」と「爆風スランプ」だった。「爆風スランプ」はデビュー間もない頃、もしかしたらまだアマチュアだったかもしれない。「近田春男」は今とあまり変らない位置にいた。(もっとも、現在は自ら演奏はしないか)

「爆風スランプ」、曲もよく、おもしろく、演奏はタイト。でもそれだけ。ベースがとてもうまい。
「近田春男」、近田はステージングが下手。曲は歌謡曲みたい。サブボーカル(福岡ユタカ)はよい。

以上は日記のコメント。

だが、この時、翌々年のコンテストに自分達が出るとは思いもしなかった。

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ジャコパストリアス

2005-03-30 22:47:00 | Weblog
1983年5月 新宿厚生年金会館でジャコパスを観ている。とてもよかった。池谷と行ったのだが、池谷は感動のあまり、次の日のチケットを買って連日行っている。「客の入りはいまひとつ」と日記にはある。

ジャコパスビックバンドのレコードは聴いていたが、この時のような数人編成のバンドを聴いたのははじめてだった。ジャコパス自身、一番脂が乗っていた時期なのではないだろうか。演奏に活気があった。曲はどれも美しかった。オープニングのブルースナンバーは特に印象的だった。

いいコンサートは自分の中で風化はしない。あれから20年以上経っているなんて信じられない。つい最近のことのように思う。

池谷はレコーディングウォークマンで録音した。

もう一度聴きたいものだ。
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有漏 2

2005-03-29 23:28:01 | Weblog
有漏  作 青柳亨

忘れられた名前 
どこにあるのかも知らず
瞳は虚ろに光り
隠れることしかできない

眠れる場所はどこにあるの
それをさがすことさえしないで

忘れられた笑顔
閉ざされたその唇
還るあてさえもなく
信じられるものはない

闇の中に落としてきた自分を
二度と振り返りもしないで

有漏のままで
有漏のままで独り
有漏のままで
寂しささえ超えて




よくわからない詩だ。閉塞感は感じる。

「煩悩に翻弄されながら生きてきたが、相変わらずそのままである」と、いうことが言いたいのか。あるいは「煩悩のおもむくままに生きてきたが、今や寂しささえ超越した境地にいる」ということなのだろうか。

なんとなくわかったような気もする。

曲調は和風だが、ビートはジャングルビートだ。演歌や民謡のようになってはいない。青柳の言う「日本的であって、且つ大衆受けする」楽曲にはある程度仕上がっている。

青柳は「有漏」によって、ひとつの方向性をこの時、示した。


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有漏 1

2005-03-28 20:43:45 | Weblog
1983年5月17日にデモテープ録音をしている。ドラムは西岡だ。前述したように、音響専門学校の実習の素材になった。

2曲録音した。1曲目の「あんたの方さ」は軽快なロックナンバーである。問題は2曲目の「有漏」である。

「有漏」と書いて「うろ」と読む。広辞苑(第三版)には
「有漏 (仏教語) 煩悩を有するの意、迷いの世界に属すること。」とある。また講談社の日本語大辞典によれば
「有漏 (仏教語) 煩悩のなかに迷っていること。凡夫」とある。広辞苑で「凡夫」をひくと
「凡夫 (仏教語) 煩悩に束縛されて迷っている人。異生」だ。

まさに私のことである。

普通「ウロ」といえば、「空」とか「虚」とかを書くのが普通だ。両方合わせて「空虚」で「ウロ」と読ませてもいいかもしれない。この場合は「くうきょ」という意味合いを持ってしまうが。

詩のタイトルからして「有漏」より「空虚」の方が個人的には美しいように思う。

「漏れる」という字は、ちょっと恥ずかしい字だ。「早漏」や「尿漏れ」や「漏洩」を連想してしまうからだ。

だが、青柳の詩はあくまで「有漏」だった。かっこいい。

ちなみに「有漏」の反対語は「無漏」(むろ)です。
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細雪

2005-03-27 17:56:11 | Weblog
この頃、市川昆監督の「細雪」を観ている。公開試写会に当選した。有楽町の読売ホールだった。

吉永小百合が最高にいい。冒頭の会席料理を食べるシーンでは、吉永は箸をぬらさないように口をすぼめて、料理を口の中に落とすように運ぶ。(描写下手ですみません、わかりますか?)それが、あまりに美しくエロチックなので、石坂浩二が思わず見とれてしまうのだ。

私も見蕩れた。

料理を終えて、石坂と四姉妹(佐久間良子、岸恵子、吉永、古手川祐子)が庭園を散歩する。桜、降り注く木洩日、本当に美しいシーンだ。

目に焼き付いている。

読売ホールにはバイクで行った。上気した気分で運転していると、信号無視で白バイにつかまってしまった。
映画入場券より高い罰金を払うはめになった。


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大学2年 3

2005-03-26 22:18:28 | Weblog
1983年4月5月は、とにかく忙しかった。成蹊大学にもまだ行っている。成蹊大学と法政大学と早稲田大学を行ったり来たりの日々である。 前述したスタジオ録音は5月17日だ。「卒業製作」ではなかったのかもしれない。

早稲田「ロッククライミング」で「インピーダンス」というバンドを初めて見たのは、私と池谷が参加した「新入生歓迎セッション」の場だったか、どこか別の会場だったか、記憶がはっきりとしないが、印象は強烈だった。とてもよかった。やはり早稲田はちがうと思った。曲がよくできていた。ギターもボーカルもよかった。演奏はストイックで無駄がなかった。
自主製作テープを買った。たしか500円だった。今聴いても新鮮だ。


  農耕の民は今叫ぶ 農耕の民は今叫ぶ

  夜の空には天気はない 星が見えても天気じゃない


「ロッククライミング」(通称ロックラ)のレベルは非常に高いと感じた。

6月以降、活動の拠点はロックラになっていく。
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ロッククライミング

2005-03-25 22:34:04 | Weblog
1983年4月23日、早稲田大学理工学部の音楽サークル「ロッククライミング」の新人セッションに池谷とふたりで参加している。ロッククライミングといっても登山部ではない。雑誌「プレイヤー」のおもしろいコラムを連載していた吾妻光良さんがいたサークルというのは池谷から聞いていた。

新入部員と現役部員がその場で適当に合わせてセッションした。私達の番になり、池谷のギターと私のベース、ドラムは部員がやってくれた。その部員はシダさんといって、とてつもなくうまい人だった。Eのワンコードで適当にやる、ということを決めただけで、あとは勝手にやってみた。

「NOS」でのストレスがたまっていたのか、とても開放的な気分で演奏することができた。私は、私個人の演奏才能については、胸を張って「ない」と言えるが、この時の演奏だけは、「出来がよかった」と思っている。

演奏後、「誰の曲?」と聞かれ、「ワンコードでただやっていただけです」と答えると「スティーブカーン(ちなみにギタリスト)みたいだったね」と言われた。

最高の褒め言葉ではないか、池谷君。

池谷青柳と出会い、ロックラに入らなければ、その後の音楽人生はなかった。

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NOS

2005-03-24 22:24:36 | Weblog
法政大学で参加したジャズ系のサークルは「NOS」といった。

NOSは何かの頭文字だとは思うが、記憶があやふやだ。法政大学の大学カラーはオレンジで、ビックバンドは
「ニューオレンジスイングオーケストラ」といっていた。「NOSO」だ。「NOS」は「ニューオレンジシンガーズ」だったかもしれない。基本的にはジャズコーラスのサークルだった。マンハッタントランスファーのような男女4人組のボーカルグループがメインだった。私はバックバンドのメンバーとして参加した。

歴史はあるらしかったが、ボーカルは4名しかおらず、バックバンドの演奏者も各パートひとりづつしかいなかった。ボーカル4人とバック5名の9人が全部員だった。

で、やってみたら、部長(ボーカル、一応コンサートマスター)の指示が細かくていやになった。演奏はジャズボーカルナンバーのスタンダードばかりである。練習はきつくて、つまらなかった。

数カ月で辞めてしまった。定期演奏会に一度出たのと、レストランのショーみたいなものに2、3回出ている。赤坂などのわりと高級な店だった。ギャラが出た。
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ベース購入

2005-03-23 23:33:57 | Weblog
大学1年の時は高校の後輩からベースを借りている。その後輩が返してくれと言ってきたので、しかたなくベースを買うことにした。

トーカイのジャズベース、色はメタリックレッドである。定価は45000円、イシバシ楽器で33700円で購入している。よく考えないで、適当に決めてしまった。そのせいか、高校時代の白いフェルナンデスのベースに比べて、何の愛着もわかなかった。

楽器は、できるだけよいものを買わなくてはならない。出来の悪いものだと、演奏しずらいし、「出来の悪い音」しか出てこない。自然と練習意欲も減退し、ますます「出来が悪く」なってしまう。楽器に限らず、すべての物について言えることだと思う。

このトーカイベースはその後、酔った勢いで、フレットを全部抜いて、「フレットレスベース」にしてしまった。


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大学2年 2

2005-03-22 22:49:40 | Weblog
大学2年は、いろいろな音楽環境との出会いの年だった。

池谷、青柳との活動の他に、法政大学でジャズサークル、同じく法政大学で軽音楽のサークルなどに参加している。その他、フォークギターデュオをしようとしたこともある。レコードなどもこの時期飛躍的に増えている。

渥美は日大芸術学部を退学して、立教大学に合格し進学した。渥美は、アメリカ民謡研究会に参加していたが、その後映画サークル「セントポールプロダクション」(通称 SPP)に参加した。映画界に優秀な人材を輩出している名門サークルだ。

4月に大学の新入生歓迎イベントで「スターダストレビュー」と「タンゴヨーロッパ」を観ている。無料だった。どちらもイマイチだったと日記には書いてある。

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