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たまびと日記

『何でも載せちゃうガラクタブログ』

吉祥寺にて

2009-01-29 | 東大和市 国分寺市 武蔵野市
芙葉亭のはす向かいに、焼き鳥の いせや総本店 があります。
長い間、存在感を示し続けた古~い木造の建物は、昨年、新しいビルに建て替えられました。

この店の脇の道を入ったところに友人の家がありました。
四十数年前を思い出しながら訪ねてみましたが、すっかり様子が変わっていて、多分このあたりということしかわかりませんでした。

その友人と連絡がとれなくなって、もう何年になるでしょうか。
「あなたは私に会いたくないのですね。  でも私は会いたい」

あなたを思う時、脳裏に浮かぶのは 『いせや』 のきったない建物と、あなたの家の近くにあった 『吉祥寺カトリック教会』 です。

いせや総本店   所在地    武蔵野市御殿山1
            営業時間   12:00~22:00
            定休日    火曜日


その友人が毎日のようにおかずを買いに行ったのが ハーモニカ横丁 です。
今は 行列の出来る店 があることで有名になりましたね。
一番は メンチカツのサトウ でしょうか。  行列がだんだん長くなるような気がします。

私が必ず買うのは 小ざさ の最中です。
もちろん行列しなければ買えない幻の羊羹が買いたいけれど、早朝から並ぶなんてとんでもない。

それにこの最中、安くておいしい!
餡にアクがなくて、あっさりと食べやすい最中なんです。

芙葉亭

2009-01-27 | 東大和市 国分寺市 武蔵野市
『井の頭公園駅』 から歩き始め、井の頭公園を縦断する形でぶらぶらと1時間半。
吉祥寺通りに出たら、ちょうどお昼時でした。

おしゃれな建物のレストラン 芙葉亭 でランチをいただきました。

お客様のほとんどが女性で、男性は奥様と一緒の年配の方が一人。
何かの集まりらしく、アラフォー世代の団体さんが席を占めていました。


女性二人で昼間からサングリア (赤ワインにフルーツを漬け込んだお酒) なんぞを飲んで、ちょっと贅沢だったかな? 

“いえびと” には内緒にしておこう。
おしゃべりもいっぱいして楽しかったよ!

殿ヶ谷戸庭園

2007-12-03 | 東大和市 国分寺市 武蔵野市
殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園 は、大正時代の初期に、南満州鉄道の副総裁だった江口定條(ていじょう)氏の別邸として設けられました。

国分寺崖線(がいせん)の南縁にある庭園は自然のままの高低差があり、古くからの武蔵野の姿が残されています。
住所    東京都国分寺市南町2-16
開園時間  9:00~17:00
休園日   12月29日~1月3日
入園料   150円
交通    JR中央線 国分寺駅南口下車 徒歩2分
駐車場   無し
園内に豊かな湧き水があり、ここもまた野川の水源の一部になっています。
季節ごとに様々な花が楽しめますが、これは秋の花、のトンネルです。
高く伸びた木の枝も美しい。
ボケは春の花ですから、これは狂い咲きですね。
昭和4年、旧三菱財閥の創始者の孫、岩崎彦弥太氏が譲り受けましたが、当時の敷地は約1万坪もあり、国分寺駅南口一帯はすべて岩崎家の所有だったということです。

中央、写真の人物が、小岩井農場の開発にも力を注いだ 彦弥太氏 です。
建物は昔のままのようでした。

旧鎌倉街道

2007-12-01 | 東大和市 国分寺市 武蔵野市
国分尼寺跡の北にある 市立黒鐘公園 に、滑りたい衝動に駆られる滑り台がありました。
この公園からなお北に向かうと、旧鎌倉街道の切り通し が残されています。
短い距離ですが、両側に高い樹木が生い茂り、鎌倉時代を偲ぶことができると思います。
鎌倉時代を偲んだあとは、また北に進んで、JR西国分寺駅を目指します。
。。。。。のつもりだったのですが、途中でまた寄り道しました。

10年ほど前に発掘された 東山道武蔵道(とうさんどうむさしみち) を見たい!
泉町交差点から進路を東に変え、武蔵野線を越えて国分寺四小入り口まで歩きます。
ここから北に向かってまっすぐ延びる歩道が、保存された 東山道武蔵道 です。
大化の改新(645年)後、国家の支配体制を全国に及ぼすため、七つの主要道路が整備されましたが、東山道(とうさんどう)はその一つです。
上野(こうずけ)、武蔵、下野(しもつけ)をめぐる古代道路は、今はこの歩道の下に保存されています。
歩道の端に黄色く色づけされている部分があり、これが側溝の位置を表しています。
古代道路の幅は15メートルということですから、かなりの広さです。

土曜の午後、古代道路の上で、子供達が遊びに興じていました。

武蔵国分寺跡

2007-11-29 | 東大和市 国分寺市 武蔵野市
奈良時代中期、天平13年(741年)、仏教の力で国を安定させようと考えた聖武(しょうむ)天皇は、全国60余国に国分寺(僧寺)と国分尼寺を建立する詔(みことのり)を発しました。
広大な武蔵国分寺の跡地については、今も学術調査が続いています。
伽藍は数百年の盛衰を経た後、元弘3年(1333年)、新田義貞の軍勢が鎌倉幕府の討伐を目指した分倍河原(ぶばいがわら)の合戦で焼失したといわれています。

今は金堂址と書かれた小さな石碑と、いくつかの礎石があるばかりの原っぱですから、気付かずに通り過ぎてしまうかもしれません。
陽だまりに野良猫が数匹いるばかり、あとは何にもありません。
ここに立った人が、自由に空想をふくらませることができる、この大きな空間に感謝します。
国分尼寺(こくぶにじ)は、国分寺からは少し離れた、現在の府中街道の西側にありました。
以前行った時は発掘の途中でしたが、今は市立歴史公園として整備されています。
ここも建物遺構が表示されているだけで、誰でも自由に入れます。
国分寺から国分尼寺へ向かう途中、市立第四中学校の中に 国分寺市文化財資料展示室 があります。
部屋は建物の北側にあり、入り口が道路に面していて入りやすいし、無料なので覗いてみてください。
付近から見つかった 銅造観世音菩薩隆立像 や 緑釉花文皿(りょくゆうかもんざら) などが、展示されています。

                              国分寺市西元町3-10-7
武蔵国分寺の規模を示す 写真 があるのですが、大きな写真なので別表示にしました。

国分寺仁王門と薬師堂

2007-11-26 | 東大和市 国分寺市 武蔵野市
現国分寺の門を出たら右折して、隣にある 仁王門 にも立ち寄りましょう。
宝暦年間(1751~1763)に造られたそうです。
阿・あ(口を開いている)、吽・うん(口を閉じている)二体の仁王像は、享保3年(1718年)に造立されたものですが、作者は不明のようです。
阿(あ)は口を開いて出す声、吽(うん)は口を閉じて出す声であり、全てのものの始めと終りを表しています。
仁王門をくぐって石段を上った奥に 薬師堂 があります。
安置されている 木造薬師如来坐像 は、平安時代末期から鎌倉時代初期の制作と考えられ、国の重要文化財に指定されています。
毎年10月10日に一般公開されているそうです。
薬師堂の前の道を西へ進むと、八幡神社に出ます。
ここの石段から下の道路に下り、南へ進むと 武蔵国分寺跡地 です。
次回は武蔵国分寺跡地を掲載します。
国分寺市教育委員会が作ったパンフレットの中に、わかりやすい地図があったので、取り入れました。
見たい方は ここ をクリックしてくださいね。

最勝院国分寺

2007-11-25 | 東大和市 国分寺市 武蔵野市
江戸時代創建の新しい 国分寺 です。
江戸時代なのに、なぜ新しいというのか?・・・・・それはこのお寺の南に、天平の時代に建立された 武蔵国分寺 の跡が広がっているからです。
天平と比べれば、江戸時代なんて、つい最近じゃありませんか。 

                       東京都国分寺市西元町1-13-16
楼門がありますが、これは明治28年に別のお寺から移築されたそうです。
門前に立っているのは友人ですが、本人は写されていることにまったく気がついていません。
これを見たら、「出演料よこせ!」 のメールが来ると思います。
境内に万葉植物園があります。
住職が万葉集に出てくる植物をコツコツと集めたもので、和歌と共に植物の名が記された札が立てられています。
境内の右手奥に 国分寺市文化財保存館 があります。
小さな建物ですが、無料なので覗いてみてください。
天平の武蔵国分寺がどんなに広大だったか想像できる復元模型や、発掘でみつかった瓦などが展示されています。

お鷹の道 ②

2007-11-24 | 東大和市 国分寺市 武蔵野市
前回最後の写真でご紹介した湧水源の向かい側に 真姿の池 があります。

                              東京都国分寺市西元町1-13
病のため醜い姿になってしまった玉造小町(たまつくりのこまち)という女性が、お告げを受けてこの水で身を清めたところ、元の美しい姿に戻ったという伝説がある池です。
左の写真の男性は、空(カラ)の大きなポリタンクを引いています。
これから水を汲みに行くところのようです。
お鷹の道の終りにテーブルとベンチがあります。
暖かな日には、お弁当を持っていって、ここで休憩するといいと思います。
左の白壁は  最勝院国分寺 というお寺です。
次回はこのお寺をご紹介します。
小道近くには大きな農家が数軒あり、新鮮な野菜を売っています。
お鷹の道に入る前に、招福表札 と書いてある案内板に従って左折すると、
表札の山崎商店 があります。
お店の佇まいは独特で、ここだけ風さえ止まってしまいそうな雰囲気です。

お鷹の道 ①

2007-11-22 | 東大和市 国分寺市 武蔵野市
春に友人と桜を見に行った時、「秋になったら、お鷹の道をご案内するわね」 と、約束しました。
「暑い、暑い!」 とボヤキながら猛暑を乗り切り、ふと気がつけば11月も半ば過ぎ・・・・・「やばい!」 とあわてて友人に電話し、先週の土曜日、共にお鷹の道へ出かけました。

JR中央線 『国分寺』 駅の南口に下車します。
駅から南に歩くと、不動橋 という小さな橋があります。
下を流れるのは 野川 です。
先日紹介した 日立中央研究所 から流れ出したあの川です。

国分寺の駅前にある お鷹の道 の案内板を見てから歩き出すのがいいと思います。 
案内板の写真は ここ をクリックすると見ることができます。
この橋の近くに 不動明王 と刻まれた石があるのですが、植木に埋もれていて、捜すのに手間取りました。
橋を渡って右折し、住宅街をしばらく歩くと、小川沿いの小道に出ます。
これが お鷹の道 です。
江戸時代、国分寺市内の村々は、尾張徳川家のお鷹場に指定されていたそうで、そこからこの道を お鷹の道 と呼び、今では整備された遊歩道になっています。
全長3キロほど、気持ちの良い小道が続きます。
途中を右折し、小川が湧き出る場所に向かいます。 石垣の下から湧き出る水は、昭和60年に環境省から名水百選に選ばれたそうで、水を汲む人が次々と訪れています。
次回は 真姿の池 から、ご紹介します。・・・・・また長くなりそうな予感。

日立中央研究所 庭園開放

2007-11-18 | 東大和市 国分寺市 武蔵野市
  
国分寺市にある日立中央研究所の敷地の中に、武蔵野の面影を今に残す庭園があります。
日立中央研究所では、この庭園を春と秋の年2回、無料で開放しています。
庭園開放の詳しい情報は、日立中央研究所庭園 を見てくださいね。

            住所   国分寺市東恋ヶ窪 1-280
            JR中央線『国分寺』駅下車  徒歩7分
            駐車場  無し
正門を入るとすぐに橋を渡ります。
この橋の名前は へんじん橋・・・・・『変人橋』 と思うでしょ?
これが結構 「中(あたら)ずと言えども遠からず」 なんです。
詳しいことは こちらのページ を見てくださいね。
橋の下は、鬱蒼とした森です。
突然、街から山に迷い込んだような感じです。
敷地の中に、大昔の多摩川の浸食によってできた国分寺崖線(ハケ)があり、清らかな水が湧き出ています。
園内のあちこちから湧き出る水は1日に3万トンにもなり、野川の源流の一つになっています。
湿地帯を改造して作られた大池に、湧出した水が集まってきます。
こぶ白鳥が住んでいます。
深い森に迷い込んだ気がするわりには、人がいっぱい歩いています。
日立のお庭ですから、さりげなく最新の大型テレビなど置いて、宣伝しています。
1日の入場者数は、3,000~4,000人だそうです。
春は桜も咲くので、6,000人ですって。
赤ちゃんからお年寄りまで集まって、それはそれは賑やかでした。
たくさん鳴いている小鳥の声も、人の話し声に負けていました。
でも、「来年の春も行こう!」 と思っている私です。