昨日、上水路としては小平監視所で玉川上水は終わりと書きました。
そのいきさつですが、昭和40年に新宿にあった淀橋浄水場が閉鎖されました。
その時から小平から先の玉川上水は水無し川となったのです。
法面(のりめん、土手)が崩壊するなどの危機の後、付近の人達の要望もあり、
昭和61年、再び水を流すことになりました。
しかし、もう上水(飲み水)としての必要性がなくなったので、
昭島市にある 『汚水処理場 (多摩川上流水再生センター)』 の処理後の水を流すことになったのです。
『清流の復活』 の石碑がありますが、たまびとには清流とは思えません。
小平監視所までは多摩川から魚も流れ込んでくるし、それを食べに鳥もきます。
汚水処理場から暗渠で運ばれてきた処理水は、この石組から流れ出すように作られています。
処理水が流れる 『玉川上水』 の下流です。
江戸時代の玉川上水はこんな姿だったのだろうと思われる景色です。
川幅はせまく、削られたままの関東ローム層の土が見えます。
羽村から小平監視所までの玉川上水は、飲み水としての役目があるために、
常に東京都水道局に管理され、土手もコンクリートで固められ、川幅はとても広くなり、
無数の蛍が乱舞した昔の玉川上水の姿とはずいぶん変わってしまいました。
このあと、上流に向かって歩いたので、
明日は管理されている玉川上水の姿をお伝えします。