タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

雪の裏山

2021年01月10日 | 携帯から投稿

雪の裏山に来ました。

積雪は少ないけど寒いです。

すぐに下ります。

いま変えるべきものは

2021年01月08日 | 日々雑感
このブログが政治的な発言をすることは目的としていませんが、、、、

このところのコロナ関係の報道を見るにつけ、暗然たる気分になったり、腹立たしい気持ちになったりしています。

    

緊急事態宣言が出ました。

その賛否は別にしてあの言い方。

あの言い方では、飲食関係は悪の巣窟、諸悪の根源と言っているように聞こえました。これまで医療関係者への感謝の言葉は聞こえてきたようですが、、、、、

    

飲食関係や夜の町関係の人だって身を削るような努力をされているはずです。

そのような努力に対して、敬意と感謝の気持ちを表明するようなことがこれまで行われたことがあるのでしょうか?

あれでは夜の町の関係者は救われないように思いました。

    

あれだけのことを言いながら、自分たちは高級すし店で会食し、、、

朝早くからホテルで打ち合わせの朝食(首相動静7日)、、、、、

テレワークだ、デジタル化だと言いながら、自分たちはアナログで、、、、、、

自分ごととしてコロナに対応するように言いながら、エライ、センセイたちは別世界。

いま変えるべきものは、国民の意識ではなくて、センセイ方の頭の中ではないのか!

このようなやり方では一国はおろか、タカ長たちのような小さなグループさえ束ねてゆくことは出来ないように思います。

    

言いたいことは多々ありますが、言い始めるとこのところ高めの血圧が上がるので、この程度にしますが、、、、、

でも、冗談でもなんでもなく、いま本当に変えるべきは議員さんの頭だと思うのはタカ長だけでしょうか?


登山道はけもの道

2021年01月04日 | 山歩きから
昨日も裏山を歩いてきました。

白樫尾根を登って桜尾根を下りる小さな山歩きです。しかし、、、、

当たり前のことですが、山の上とふもとは別世界でした。

    

この写真では分かりにくいのですが、黒く見えているところはイノシシ君が掘りかえしたところです。

そして手前の白いところ、ここは落ち葉の上に雪が薄く積もり、地面ともども凍っているところです。

さすがのイノシシ君も歯がたたなかった、、、、ではなくて、鼻がたたなかったようです。

    

写真で見ると何のことか分かりませんが、この登りは見た目より厄介でした。

雪の尾根になっているのなら、登山靴を蹴りこんで、、、、つまりキックステップで登ることも可能でしょうが、ここにはそのような雪はありません。

このようなところが3ヶ所あり、細心の注意を払って登りました。

高齢登山者はチョッとしたところで転倒・骨折、、、となったら大変ですから、、、、、。

このような登山を冬山登山とは言わないでしょうが、いつもの裏山歩きとはまったく違う緊張感を味わうことができました。

イノシシ君が嫌うけもの道は厄介な登山道になっていました。

今は気温が下がっているので、わが裏山の登山も油断できません。

タカ長の山ときどきタカ見では、仲間がタカ長ブログに寄せてくれた文章を紹介しています。

こちらにもお立ち寄り下さるよお願いいたします。


下手な広島弁

2021年01月02日 | 日々雑感
タカ長の山ときどきタカ見のつづきみたいなものです。

少し古い話になりますが、タカ長は天下のNHKから電話取材を受けたことがあるのです。

一富士二鷹三茄子と言うことでタカの話をするような依頼でした。

首都圏と関西圏で放送している電波で、番組の名前は「パルナスの丘」だったように記憶しています。

    

事前の打ち合わせの時は、、、

「もしもし」「はい、はい」と言うような感じで調子よく話が進んでいたのですが、、、、、

本番になるとその相槌が無くなりました。

突然放り出されような感じでしどろもどろ話す感じになりました。

そのような感じで進んでいたら、突然ピンポンパーン。よりによってこんな時に宅急便。

録音を止めてもらって用事を済ませ録音を再開。緊張感が変なかたちで途切れ、思いもよらぬ電話取材になりました。

タカ長的には散々の出来でした。

    

後日、その番組をCDに落としたものが送られてきました。

それを聞いて唖然。話したことはうまく編集されていたようですが、問題は内容ではありません。

タカ長としては標準語で話したつもりですが、、、、、、

CDから聞こえてくるのはモロ広島弁。耳をおおいたくなりました。

きれいな広島弁(?)なら味があって良いのでしょうが、タカ長の広島弁はボロボロでした。

とても人さまにお聞かせできるものではありません。そのため友だちはもちろん女房殿にも聞かせていません。

一富士二鷹三茄子ですが、ズッコケタカ長にはタカのほうでも正月ネタは無いようです。

どんなかたちにしろ、天下のNHKから取材を受けることは一生一回のこと、、、、、

そのように考えると、チョッとだけ残念なタカに関する記憶です。



明けましておめでとうございます

2021年01月01日 | 日々雑感
    

ご訪問頂きありがとうございます。このブログは令和3年1月1日から

タカ長の山ときどきタカ見に引っ越しします。

これからは新居で皆さまのご訪問を待っています。

この「タカ長のタカの渡り観察」も若干の容量が残っているので、時々は更新します。

その時は新宅でも案内しますから、相変わらずよろしくお願いいたします。

寝袋を使って

2020年12月31日 | 日々雑感
年末寒波がやってきました。

タカ長の団地だけで見たら前宣伝が過ぎた感じ、窓から雪景色は見えません。

今朝は友だちの孫と雪だるまを作るのを密かに楽しみにしていたのですが、見事な空振りです。

    

その寒波とは関係ないのですが、タカ長は寝袋にくるまって、このような感じで寝ています。

今朝の室温は4℃まで下がりましたが、寝袋の中ではうっすら汗ばむような感じで寝ています。

自分でも笑うくらいおかしな格好で寝ているのですが、今のタカ長にはこれが最高の睡眠法です。

昨日の記事にした青春のころの大山では、テントは夏用で寝袋は進駐軍の放出品、重い寝袋でしたが暖かさは抜群、テントの中につららが下がるような朝でも熟睡できました。

    

この寝袋は車中泊用に買ったもので、青春のころのような体力がない今のタカ長には山用
には出来ません。

しかし、車中泊用には最高です。それを、ボロ家とは言え屋根の下で利用するのですから、暖かさには問題ありません。

室温がゼロ度くらいに下がっても、毎日山でテント泊していると思えば楽しいものです。

これで今年の更新は終わり、、、、、そしてこのブログの最終日。

同じパソコンを使って新居へ移転するだけですが、それでも今日で終わりだと思うとそれなりの感慨があります。

このブログへの訪問有難うございました。

来年もよろしくお願いいたします。

     

と言うような感慨にふけってはおれないのです。

団地の広報部長としては、いま10ページの紙面づくりを抱えていて、、、、

依頼した原稿の出が悪くて、広報担当者としては年末も年始もないのです。

と言うようなボヤキもこれだけにして、紙面づくりに励むことにします。





初めての冬山

2020年12月30日 | 山歩きから
タカ長にとって初めての冬山も伯耆大山です。

冬に県内の山や久住などに登ったこともありますが、タカ長にとっては伯耆大山が冬山のすべてです。

    
                 画像はネットより借用

初めての冬の大山、リーダーは広島高等師範学校山岳部OBのKさんでした。もちろん、筋金入りの登山者です。

大山北壁の下で、雪崩に埋まった遭難者を捜索しているのを眼下に見ながら宝珠尾根を登り、いわゆる「逆縦走」しました。

冬の大山縦走は、一歩間違えればあの登山家高見和成でも遭難騒ぎを起こすような難所です。

その尾根を4名で縦走しました。

その縦走を終えて下山にかかるころ天気が急変しました。

大山の頂上、弥山は凹凸の少ない広い山です。ここで吹雪かれるととても危険な山になります。

    
               画像はネットより借用

ホワイトアウトと言う言葉があります。

濃霧や吹雪のために視界がきかなくなる状態。地面と空の境界が分からなくなるので、空間を漂っているような気分になる。

と説明されています。

屁理屈を言うようですが、地面や空間が白い(ホワイト)のは太陽の光が届いているからです。ひどい吹雪になると太陽の光が届かなくて、まわりは夕方から夜に近い感じになります。ホワイトアウトではなく、グレイアウト。

その時もグレイアウトの状態になりました。それもブラックに近いグレイです。まさにピンチです。

しかし、リーダーのKさんは冷静沈着でした。さすが筋金入りの登山者です。

その時Kさんがどのようなことを考えていたのか、それを聞いていないのは、今となっては残念でならないのですが、、、、、

とにかく、少し歩いては地図と磁石で進行方向を確認していました。数メートル歩いては立ち止まって方向確認、と言うのは少しオーバーなのでしょうが、とにかく頻繁に確認していたことを記憶しています。

一度に長い距離を歩くとリングワンデルング(環状彷徨)する危険があるからでしょうが、それにしてもあの状況下であれだけ冷静な行動がとれるのはタダものではありません。

お蔭さまで無事にピンチを脱出し、無事に下山出来ました。

    

これは夏の写真ですが、冬の大山の山頂部はいつも雲にかくれ、その中は厳しい状況になっています。

下山して、頂上部分が雲に隠れている山を見た時、涙が出てくるようでした。それまでの緊張が一気にほぐれ、生きて帰ったことを実感できました。

誇るものなど何もないタカ長の山歴ですが、健康登山の世話をするようになってからは、何度か死にそうになった経験を持っていいることだけは誇れるもの(?)だと、自虐的に考えるようになりました。

冷静沈着なKさんも人の子です。何かの間違いを犯してもおかしくありません。

もしあの時にKさんが判断ミスしたら、、、、、
もしあの時タカ長が仲間とはぐれたり、、、、、体調をくずしていたら、、、、、

何が起こったかわかりません。まさに紙一重の生還でした。

初めての冬山は死に損なった(?)最初の山でもあるのです。


歯ブラシと剃刀

2020年12月30日 | 日々雑感
これは緊急投稿(?)です。わが家の失敗に学んで頂ければ、と思っての投稿です。

    

昨夕のことです。洗面所の排水が出来なくなりました。

タカカノが排水管を掃除する薬品を使ったようです。タカ長はまったく知りませんでした。

このような時はいつも同級生の水道屋に電話します。

彼の話だと、、、、薬品と、たとえば人の脂肪分が化合して固まったのかも???

70℃~80℃くらいの湯を入れて様子を見るように、熱湯はいけないと言うことでした。

彼の言うとおりにしましたが、まったく改善しません。

そのことを電話したら、明日、様子を見に行ってやる、と言うことになりました。

その間タカカノが何かしていたら排水出来るようになりました。

タカカノがドジをして、排水管を物理的にふさいでいたようです。

ケアレスミスですが、そのようなことを日常的にするのが高齢者なのです。

    

これだけのことです。

ひと昔前なら、変なことをするなとか言って夫婦喧嘩になっていたかも分かりませんが、、、、、

ドジな年寄りになってからは笑うことはあっても怒ることはありません。

そして思いました。

平素やらないことを年末年始にやってはいけない、と言うことです。

年末年始にトラブルを起こしても業者は休み、、、、

無理に探していたら変な業者に捕まるかも分かりません。

警察情報でも、悪徳業者による被害が報告されています。

    

そこでマジ考えました。

平素ドジばかりしている高齢者はこの時期に、平素やりつけないことをしてはいけない、と。

埃まみれの部屋でも、汚れた排水管の家にも正月はやってきます。

それくらいの気持ちで年末年始を過ごした方が良いと本気で考えました。

タカ長には、こと水回りに関しては正月でも呼びつける(?)ことが出来る同級生がいるので、普通の人より安心ですが、、、、、

だからと言って年末年始にトラブルは起こしたくありません。

と言うことで、タカ長は、、、

電動歯ブラシのブラシ部分の交換とカミソリの刃を交換するだけで新年を迎えることにしました。

これならケガは無いはずですから、、、、、、、。

以下は、様子を見に来てくれた水道屋から教えられたことです。

洗面所でも風呂場でも、日々私たちの体から出る脂肪分が永い時間の間には排水管の中でかたまり、詰まりの原因になるそうです。

それを防ぐには一日の終わりに、手で熱く感じる程度の湯を少量流す習慣をつけると良い、と言うことでした。

熱湯を流すと排水管を傷つけるので、これは絶対ダメです。

風呂場は浴槽はしなくて良いので、洗い場の排水口だけです。

そのような指導をした家からはその後トラブルの連絡が無いようです。


最後の山

2020年12月29日 | 山歩きから
    

仲間たちとの裏山歩き、今日は12名が集まりました。

その12名は、家では邪魔者の男性ばかり邪魔者はタカ長だけだと言う声が聞こえるような、、、、

この時期には女性の参加者はいませんでした。

その12名の目的地は山上の古刹、極楽寺。今年1年のお礼参り、と言うことでしょうか。

    

展望台からの風景です。

ぼんやりともやっていて、遠くの山は見ることが出来ません。

ここから四国の石鎚山が見えるのですが、今日はダメ、石鎚山なんて夢のまた夢の感じでした。

    

    

風を感じながら登ったのですが、牛池はご覧のような鏡状態でした。

モデルが悪いので勝負できませんが、水面の状態だけなら北アルプス鏡池に負けていない感じです。

鏡状態のときが多い牛池ですが、それにしてもこれほどきれいなのは珍しいように思いました。

     

今日の記録です。

気候が良い時はどこかで弁当を食べて帰るプランですが、今は寒いのでほとんどノンストップで歩きました。

アルカディアヴィレッジが閉鎖されたことが、このような時にこたえます。

最後にウラジロを採るために横道にそれましたが、それを除けは丁度4時間の山歩きになります。

皆さん急いでいる(?)ので足もとに目が届かないのでしょうが、、、、、

    

登山道のど真ん中にこのようなものがありました。

帰りに採るつもりでスルーしたのですが、、、、、

ウラジロを採るために横道に入ったら、このナメコを採るのを忘れてしまいました。

こんなことでは人のことは言えませんね。

これが仲間たちとの、そしてタカ長にとっても今年最後の山歩きです。

今日のタカ長の山ときどきタカ見は正反対のタイトルです。

こちらにもお立ち寄りください。





おらが村の氏神様

2020年12月28日 | 日々雑感
団地の編集長はいま、団地新聞の新年号づくり、突然降ってわいたような企画をかたちにするために奮闘しています。

正月に各戸配布することは不可能なのですが、新年号なので氏神様を紹介するページがあります。

    

この神社、タカ長が子どものころの野球場でした。その頃は今のように整備された広場ではありませんでしたが、一応野球らしきものは出来ました。三角ベースの野球ではありません。

子どもの遊び場だった神社なので、正直言って有難い神社だと思ったことはありません。

しかし、高齢になって「歴史散歩」などに参加するようになり、神職も常駐していないこの神社が古い歴史を秘めていることが分かってきました。

    

タカ長が興味を引いたことのひとつがこの「右三つ巴」のご神紋です。

この神社は八幡(やはた)神社と言いますが、、、、、、

平たく言えば明治の一村一神社の勅命によって合併された神社です。

    

その前身のひとつ「中須賀村の八幡神社には、神功皇后が瀬戸内海を航行されたとき立ち寄られ、八幡の神を祀られたと言う言い伝えが残されています。

このことがタカ長が育った八幡(やはた)村の起源になっています。

左三つ巴の神紋は八幡神社の祭神・誉田別命(ほんだわけのみこと)=応神天皇を祀った神社で使われています。後に源氏の守り神になりました。

右三つ巴の神紋は息長帯比売神(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后に縁のある神社でわずかに使われているだけだそうです。

    

その証拠写真みたいなものです。

神紋は右三つ巴の神社ですが、軒先瓦は左三つ巴になっています。
軒先瓦を右三つ巴にするためには特注する必要があり、そのためには多額な費用がかかります。

そのため軒先瓦は全国どこでも使われている左三つ巴にしている、と言う説明を受けました。

以上のようなことを団地新聞で紹介することは紙数の関係で出来ませんが、私たちの氏神様は、かの有名な神功皇后に縁があり、全国的には数少ない右三つ巴の神紋が使われていることだけは知ってほしいと考えているのです。

神社に初詣される人は多いと思いますが、そのとき神紋に注目されてはいかがですか?

そこから面白いものが見えてくるかも分かりませんよ。

今日のタカ長の山ときどきタカ見は別記事です。

是非、お立ち寄りください。