1008話)大同でやってきたこと

(独)科学技術振興機構(JST)中国総合研究交流センター(CRCC)というところが中国の科学技術を中心とする情報を提供しているウエブサイト「Science Portal China」に、これまでの緑化協力のことを書いてみないかというお誘いがあり、私たちが大同でやってきたことを書きました。 なにぶんにもスタートから満23年にもなろうとしているため、書いているうちにだんだん長くなって、6000字近く . . . 本文を読む
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1007話)応県の木塔(4)

応県の木塔の前に一対の狛犬がいます。そしたら、同行してくれたガイドの王さんが「これは犬ではなく、狼です。なぜなら、これは遼代の作で、契丹族によるものだからです。契丹族のシンボルは狼でした」と紹介してくれました。 そうなのですね。なんども書いておりますが、外城と内城とにはさまれたこの一帯は、漢族の力が強いときは漢族の国に属しますが、北方の騎馬民族の力がそれを上回ったときは、南の内城が国境になったの . . . 本文を読む
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1006話)応県の木塔(3)

日本のお寺の建物なんかにくらべると、ああ、大雑把だなあ、と感じます。よくいえば、骨太。それにしてもですよ、よくこんな技術が発達したものです。 このような技術が単独で発達するわけがないんですね。この塔が創建されたころまでは、たくさんの木造建築物があり、そのなかで発達した技術の粋を集めて、この塔が建てられたのでしょう。 宋・金代以前の木造建築物が、山西省にはこの木塔を含めて106か所残っていて、そ . . . 本文を読む
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1005話)応県の木塔(2)

法隆寺の宮大工だった西岡常一さんが応県の木塔について語っています。その本を自宅の本棚で探したのですが、ザンネンなことに見つかりません。以前、私がその大意をうろ覚えで引いた文章でまにあわせるのをお許しください。 法隆寺の五重の塔につかわれている技術はすべてこの塔にある。だから法隆寺の技術は中国から伝わってきたことがわかる。しかし、応県の木塔はずんぐりむっくりだけど、法隆寺の五重の塔はずっと優美だ。 . . . 本文を読む
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1004話)応県の木塔

話題を変えます。応県の木塔です。正式な名称は仏宮寺釈迦塔といいます。大同市の南南西、直線距離で60km弱の応県の県城にあります。以前は雁北地区に属していましたが、1993年の行政区画改革で、大同市の隣の朔州市に属することになりました。でも、各種の観光案内等では、大同地区に含めています。 着工したのは遼代の1056年ですが、現在の形に完成したのは1195年だと言われますので、およそ140年もかかっ . . . 本文を読む
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1003話)私たちの活動紹介コーナー

記念館の一角にこのような展示があるわけですよ。大泉山村に世界が注目している、という題がつけられています。そして私たちの緑化協力活動のようすが、写真で紹介されています。 最初に私たちが協力したのは1995年だったと思います。最初はアンズを植えましたが、うまく行きませんでした。このころまでは、失敗することが多かったのです。 そのあと、マツを植えるのに協力しました。その年の降水量などによって活着のぐ . . . 本文を読む
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1002話)大泉山故事

陽高県大泉山村の写真を唐突にだしたのですが、やはりいくらかの解説が必要でしょう。ここは緑化の先進として知られた村です。日中戦争がはじまってしばらくたったころ、この村に張鳳林という男が流れ着いて、お寺に住み着きます。小さな畑を自分で開墾し、それで生計を立てていました。 その数年後、高進才という男がやってきて、2人で助け合って暮らすんですね。雨のたびに畑が流されるのをなんとかしたいと、植林を始めます . . . 本文を読む
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1001話)われただたるをしる

こういうのをなんというのでしょう? 4つの文字が組み合わされています。陽高県の大泉山村記念館に展示されていたもので、この記念館の中心人物、高進才という人が書いたものです。日本流に読めば、時計回りで、「吾(われ)唯(ただ)足るを知る」ですね。中国語の読みなら「吾唯知足」でしょうか? それとも「吾知唯足」? 私がこの文字(?)に最初に出合ったのは、自宅からそう遠くない宝塚市の清荒神にある鉄斎美術館で . . . 本文を読む
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1000話)ついに4桁になりました!

このブログ、ついに4桁になりました! スタートは紙媒体でした。(社)日中友好協会の機関紙「日本と中国」の2003年1月25日号から2008年6月25日号まで、旬刊で169回も連載されたのです。写真は第1回のものです。5年半近くですからね、よく続いたものです。表題は「黄土高原リポート」で、毎回600字+写真1枚でした。 編集部の許しをえて、このブログに転載しはじめたのが1996年だったと思います。 . . . 本文を読む
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999話)農家での昼食

渾源県呉城村の農家での昼食です。炕(カン=オンドル)の上に低いちゃぶ台がおかれ、その上に料理の皿が並びます。つぎからつぎにでてきて、ついに皿と皿とをまたがって、皿が積み上げられます。 日本人は食べ残してはいけないと教え込まれていますので、なんとか食べ尽くそうと努力します。逆に中国では、なくなってしまうようだと、主人がメンツ(面子)を失う。なにかの料理が減ってくると、どこからか追加がでてきます。 . . . 本文を読む
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998話)キビのおもち(黄米糕)

数回前にキビ(黍子、黄米)を紹介しました。粉にして、お湯で練り、蒸すか、揚げるかして食べる。それを黄米糕、または単に糕と呼ぶと書きました。蒸したものの写真を撮っていましたので、ご覧いただきます。 2本の箸ではさんで切り取ります。こしがあるので、けっこうたいへんです。そして、漬け物か、煮物など、お好みの料理の汁をつけて食べるのです。日本人は素材の味を大切にしますので、なにもつけないで食べてもいいで . . . 本文を読む
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997話)トウモロコシ(玉米)

1992年9月、最初に一人で渾源県の農村にたどりついたときがちょうどトウモロコシの収穫期で、農家の作業を手伝ったりしました。 そのとき、「トウモロコシやコーリャンのように背の高い作物は、水と土の条件のいい、いちばんいい畑に作る」と聞きました。その意味がよくわからなかったんですね。 しばらくしてわかりました。私は以前、黄土高原のお皿の構造、などと呼んでいたのですが、高いところから農村のようすをみ . . . 本文を読む
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996話)コーリャン(高粱)

この写真はコーリャン(高粱)です。タカキビとも呼ぶようですね。雨の降る年は名前のとおり、1.5mほどにも育ちますが、今年も旱魃で大きいものでも1mほどでした。「これじゃあディリャン(低粱)じゃないか」などと私は呼んでいました。 デンプン質の食糧として、かつては食べたこともあったようですね。戦前、戦中、中国の東北地方で生産されたものが日本に運ばれていた。でも、おいしくはなかったようです。 何年か . . . 本文を読む
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995話)キビ(黍)

こちらはキビ(黍子、黄米)です。前中久行代表が、「いま日本の大学では栽培学の先生でもキビを見たことのない人が多い」と話していました。 食べ方としては粉にしたものをお湯で練り、蒸したり、油で揚げたりして食べます。それを黄米糕(ホワンミーガオ)とか、単に糕と呼びます。一種のおもちですね。油であげたものには、豆のあんこのはいったものと、野菜のあんこのはいったものがあり、見分けられるよう形が変えてありま . . . 本文を読む
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994話)アワ(粟)

大同の農村で栽培されている代表的な穀物を紹介しましょう。まずはアワ(粟子、小米)です。農村の食べ物としても代表的なものです。いちばんポピュラーな食べ方はおかゆで、朝はとくにそうですね。アワ単独でおかゆにすることもあれば、ゆでたジャガイモとあわせることもあります。 よくこんな話を聞きました。「農村も豊かになったんだよ。以前はトウモロコシばかり食べていたのに、いまはアワになった」。そのころ大同の都市 . . . 本文を読む
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