中国の内陸部での緑化協力にかかわる報告です。
続々・黄土高原レポート
1007話)応県の木塔(4)
応県の木塔の前に一対の狛犬がいます。そしたら、同行してくれたガイドの王さんが「これは犬ではなく、狼です。なぜなら、これは遼代の作で、契丹族によるものだからです。契丹族のシンボルは狼でした」と紹介してくれました。
そうなのですね。なんども書いておりますが、外城と内城とにはさまれたこの一帯は、漢族の力が強いときは漢族の国に属しますが、北方の騎馬民族の力がそれを上回ったときは、南の内城が国境になったのです。
西暦916年から1125年までこの一帯は契丹族による遼に属し、大同はその副都だったのです。そのころのことを、最近では北方謙三が『楊家将』に始まる一連の小説で書いています。おもしろいですよ。
そんなことを書いていて気づきました。遼による支配は1125年に幕を閉じ、その後は女真族の金がここを支配しました。のちの満州族につらなる民族ですね。応県の木塔が現在に伝わる形で完成したのは1195年だということで、すでに金代に入っています。女真も仏教を信仰していたのでしょう。満州族は文殊菩薩を信仰していました。応県木塔が完成までに140年もかかったのは、国の交替もあったからなのでしょう。
そうなのですね。なんども書いておりますが、外城と内城とにはさまれたこの一帯は、漢族の力が強いときは漢族の国に属しますが、北方の騎馬民族の力がそれを上回ったときは、南の内城が国境になったのです。
西暦916年から1125年までこの一帯は契丹族による遼に属し、大同はその副都だったのです。そのころのことを、最近では北方謙三が『楊家将』に始まる一連の小説で書いています。おもしろいですよ。
そんなことを書いていて気づきました。遼による支配は1125年に幕を閉じ、その後は女真族の金がここを支配しました。のちの満州族につらなる民族ですね。応県の木塔が現在に伝わる形で完成したのは1195年だということで、すでに金代に入っています。女真も仏教を信仰していたのでしょう。満州族は文殊菩薩を信仰していました。応県木塔が完成までに140年もかかったのは、国の交替もあったからなのでしょう。
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