1353話)私のこどものころ 麦

 麦

田んぼの裏作に麦を栽培していました。小麦、大麦、裸麦、そしてビール麦がありました。燕麦は家畜の飼料用だったと思います。小麦は粉にして、うどんを打つのにつかっていたと思います。それから焼き餅のようなものにして食べていたのかな。麦茶もありましたが、うちではあまり飲みませんでした。

大麦、裸麦は名称は覚えていますが、それがどんな麦で、どのように使ったか、記憶にありません。ビール麦はそのすべてを農協を通して売っていたと思います。芋飴をつくるとき、麦を発芽させたもので糖化させていたんですけど、なに麦だったかも覚えていません。そんな技術はとっくに廃れたでしょうね。

化学肥料や農業資材はすべて農協から買っていました。すべてかけです。現金収入はほとんどないので、そのとき支払いはせず、農協に記録が残り、米や麦を出荷するときの代金で支払いをするわけです。

ついでに書いておくと、一般の商店や行商からものを買うときも、かけの場合がおおかったと思います。盆と暮れにまとめて支払うわけですが、そのときお金がなくて両親が苦労していたのを覚えています。

麦踏みという作業があるのを本で読んだりしましたが、鳥取ではそんなことはしませんでした。冬にはたっぷり雪が積もり、麦はその下で守られていたからです。麦の収穫は田植えが終わるまでにすませました。

麦わらはいまでいうマルチングの材料として役立っていました。稲わらは縄をなったり、牛馬の冬の飼料、敷きわらとしてつかわれてました。
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