1320話)もうひとつの25年~イオンの労働組合

もうひとつの25年~イオンの労働組合 阪神大震災の救援活動がひと区切りを迎えつつあったときのことです。事務所に電話があって、これから訪ねます、とのこと。全ジャスコ労働組合の藤井順一書記長です。 たしか日経新聞に、大同へのワーキングツアー派遣のベタ記事が載ったんですけど、それをみて話を聞きたいということでした。すごく熱心だったんですね。あいだをおかないでまた電話があり、つぎの書記長に決まっている . . . 本文を読む
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1319話)阪神大震災とボランティア(10)

こうやって25年前のことを振り返ってみて、あらためて感じるのは、私の行動の行き当たりばったりぶりです。パチンコの玉みたいに弾き返っているばかりで、計画性や思慮というものが皆無です。このときばかりじゃなくて、私の人生がそのようです。まもなく72歳になりますけど、いまさら変えることができるとは思えません。 半壊と評価されたわが家のことにふれておきましょう。私たち夫婦はすでに書いたように、きわどいとこ . . . 本文を読む
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1318話)阪神大震災とボランティア(9)

大同ではじめた私たちの緑化協力活動も、産経新聞や朝日新聞の大阪版がとりあげてくれたおかげで、すこしは知られるようになっていました。大阪のコンサルタント会社が私の講演会の計画を立てました。決まったのは前年の暮れ。 そしたら大震災があって、私たちは救援活動に取り組みました。そのことも交えて話してほしいという注文がついたのです。1995年の2月のはじめです。 数十人の参加者がありました。そのころ大同 . . . 本文を読む
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1317話)阪神大震災とボランティア(8)

被災直後の緊急活動が終り、長期戦へと移行しようというとき、私は被災届をだすために市役所を訪れました。そこで「現場で半壊を確認しています」と告げられたことを最初に書きました。 目にして驚いたのは、救援物資の山です。市役所の廊下から中庭まであふれていました。全国から送られてきたものです。海外からのものもあったかもしれません。被災者にとっては必要とするものが多かったと思います。でも、必要とする人にすぐ . . . 本文を読む
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1316話)阪神大震災とボランティア(7)

阪神大震災はのちにボランティア元年と呼ばれるほどボランティアによる各種の救援活動がさかんだったようです。 渦中では私も知りませんでしたが、緑の地球ネットワークの世話人や会員がいろんな場面で活躍していたんですよ。ボランティアの機運が全体として盛り上がったことも大きかったし、そうやって身近な人が同じ課題に具体的にとりくんだことが、私たちの結束を固めるうえでとても大きな意味をもったと思います。 じつ . . . 本文を読む
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1315話)阪神大震災とボランティア(6)

だいたいは芦屋までだったんですけど、ときには足を伸ばして神戸までいきました。大きなビルが倒壊したり、高速道路が崩れ落ちたり、ひどいものでした。 現場では気にならないのですが、自宅に帰り着くと、頭が痛くなります。まるで船酔い、車酔いになったようです。まっすぐ建っているべきビルがそうでなかったり、道路が傾いたりしているところで活動していると乗り物酔いになります。 そして、えらく涙もろくなっていまし . . . 本文を読む
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1314話)阪神大震災とボランティア(5)

救援物資を調達して届ける一方で、この救援活動のようすを書いて、資金や物資の提供をファックスで呼びかけました。とりあえず自分で立て替えて届けておくので、ぜひ協力してほしいといって。 それがだんだんと広がりをもったのです。いくつか書いてみましょう。薬師寺の安田順惠さんは伽藍の建設にあたっていた池田建設に頼んで、大量のブルーシートなどを提供してくださいました。 中宮寺門跡の日野西光尊さんは信徒さんを . . . 本文を読む
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1313話)阪神大震災とボランティア(4)

電車は止まっていましたが、2駅ほど歩けば大阪にいけるとわかったので、事務所にでて、緑の地球ネットワークの会員や友人の安否確認をはじめました。あの日から何日後だったかまでは記憶にありません。 芦屋の清田祐一郎さんに電話をしたら、「高校生や中学生に集まってもらって、救援活動をはじめている。手伝ってほしい」と言われました。交通事情をきいたら「自分で調べてくれ。たどりつけないようなら、どうせ役には立たな . . . 本文を読む
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1312話)阪神大震災とボランティア(3)

自宅への道をたどると、さる企業の女子寮のまえに人だかりがしています。2階建て木造家屋の1階部分がひしゃげて、なかに人が閉じ込められているとのこと。居合わせた人たちと救出活動をはじめました。 もとは2階だったところの窓からはいり、廊下の床を破って下の階に降りようとするんですけど、2階の床と1階の天井とのあいだに、ガスや水道のパイプが通っていて、なかなかすすめません。 そのあいだも余震がつづきます . . . 本文を読む
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1311話)阪神大震災とボランティア(2)

そとのようすをみようとしたら、玄関のドアがあきません。ゆがんじゃったんですね。私が蹴りつける音をききつけて、隣家のご主人がそとから引っ張ってくれ、両方の力でやっとあきました。 歩いて10分ほどのところに住んでいる友人のことが気になって、訪ねようとしたら、途中、電柱やブロック塀が倒れていて、大回りしないといけなかったのです。 ところが阪急電車の北にでると、わずか数百メートル離れただけで、なんとも . . . 本文を読む
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1310話)阪神大震災とボランティア(1)

新聞などに阪神大震災の特集記事がめだつようになりました。25年といえば四半世紀、大きな節目ですものね。 緑の地球ネットワークにとっても、私にとっても、震災はとても大きな影響をもたらしました。そのときはほんとにたいへんでしたけど、その時期がすぎると、あれがあったから私たちのネットワークも、私個人も生き残ることができたのだと思っています。 発生時間は1995年1月17日午前5時46分52秒ですけど . . . 本文を読む
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1309話)黄土丘陵の村

黄土高原といっても、そのなかにはいろんな地形・地貌が含まれています。私たちが緑化協力の場にえらんだ張家口市蔚県も、中央部は東西に長い壺流河が形成する盆地。南部は山地。北部は黄土丘陵と低山です。 2020年から新しく協力事業を開始することになった陽眷鎮は、北部の黄土丘陵にあり、そのようすは大同市北部の大同県、陽高県、渾源県あたりとよく似ています。大同市の農村は緑化がすすんで、以前の光景を思いだすの . . . 本文を読む
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1308話)コーリャン

低地の恵まれた畑でトウモロコシのつぎに栽培されたのがコーリャン(高粱)。背丈が高く、東北の農村などでは、このなかに遊撃部隊が潜んでいてもわからず、日本軍が苦労したそう。「紅いコーリャン」という映画もありましたねえ。 コーリャン原料の黒っぽい乾麺が大同のスーパーに並んでいました。私が手を伸ばすと、大同事務所の李海静さんが止めました。「まずくてとても食べられないから買っちゃあダメ」。 じゃあ、なに . . . 本文を読む
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1307話)「太陽照在玉米地上」

写真をみて、なんだ、またトウモロコシか、と思われたことでしょう。そのとおりです。その先に橋があり、車が走っているのがみえると思います。それがミソ。 ここは大同からちょっと西南にいったところの応県です。世界最大級の木造建造物・応県の木塔が有名なところです。でも、正面に橋がみえるってことは? そうです。本来は桑干河の川底で、水が流れているべきところに水がなく、で、近くの農民がトウモロコシの栽培をはじ . . . 本文を読む
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1306話)トウモロコシ

渾源県で緑化協力を開始した1992年の秋に、単身で3か月弱、現地の農村を回りました。なにかしないといけないことがあったわけでなく、中国語はニィハオ、シェシェ、ツァイチェン、ツゥスオザイナーリ?の4つしか話せませんでしたから、なにかができたわけでもありません。でも、このときの経験は大きかったと思います。 協力事業をはじめた西留郷で、トウモロコシ(玉米)の収穫を手伝ったりしながら、いろんなことを学び . . . 本文を読む
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