090)耕起和土

 黄土高原の農民は年中、畑を耕しています。春になって土の凍結が融けると、まず春耕。このころは風が強いので、もうもうと土が舞い上がります。収穫が終わったら今度は秋耕です。作物が育つあいだもしょっちゅう中耕します。  この地方の農村は機械化はほぼゼロ。ウマ、ラバ、ロバ、ウシなどの役畜を使うのは比較的豊かな平地の農村に限られ、山間や黄土丘陵の貧しい農村では人力に頼るしかありません。たいへんな作業です。 . . . 本文を読む
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089)牡牛の力

 大同市街のすぐ東に北から南へ流れる河があります。桑干河最大の支流で御河といいます。大同は昔から災害の多いところですが、この御河もしばしば氾濫して民人を苦しめたそう。  御河を鎮めるために、ずっと以前、河のすぐ西に牡牛の像をまつったそうです。中国では昔から河川の氾濫を止めるのは牡牛の力だったようですね。黄河の鉄牛が有名です。水の神さまの龍に牡牛が対抗する~龍と牡牛の対立は洋の東西を問わないようです . . . 本文を読む
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088)農村の結婚式(2)

玄関のすぐ前に高さ50センチの円錐形に石炭が積まれ、炎をあげています。玄関先に座る両親に向かって、新郎新婦が火をはさんで跪き、叩頭しました。後ろに立った数人が花嫁花婿の背を押し、頭を地面に押しつけます。1度、2度、3度。  つぎに2人のキス。衆人環視のなかで、しきりに照れるんですけど、司会は容赦をしない。  ふたたび花婿が花嫁を抱きかかえます。でも、すぐ諦めました。肩に担ぐか、肩車をするか、ど . . . 本文を読む
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087)農村の結婚式(1)

 花束で飾りたてた自動車から花婿と花嫁が降り立ちました。花婿は三つ揃えのスーツに派手な赤のネクタイ。花嫁は赤い上着に赤いズボン、靴下も靴も赤、そのうえに赤いレースのベール。  花婿が花嫁を抱きかかえます。家につくまでに地面に下ろしたら破談になって、花嫁は逃げ帰るのだそう。重量級の女性ならたいへんですけど、このたびの花嫁は小柄。でも、つぎつぎに難関が待ち構えます。  門をはいろうとしたら、たくさんの . . . 本文を読む
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086)グリーンベルト

大同での協力事業をスタートさせたころ、勧誘にいって門前払いされました。「コンクリートジャングル、アスファルト沙漠の大阪から、緑豊かな中国に緑化協力なんて」。たしかに大都市と幹線道路の緑化はみごとなものです。  そういう印象をもたせるのは、北方では主としてポプラ。ある程度の水条件があれば、よく育ちます。大同でも数年前から道路の両側に幅40メートルもの緑化帯をつくり、ポプラを植えています。さぞかし . . . 本文を読む
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085)農家の庭

ガッガッガッガッ、朝早くから聞こえる奇妙な鳴き声に起こされました。ガチョウ(鵞鳥)です。ガンを家禽化したもので本来は水鳥ですが、黄土高原の農村にもけっこういます。大型のものはより戦闘的で、人間にも立ち向かいますから、番犬代りになる。  ニワトリはたいていの家にいます。タマゴを孵して、ヒナを自分で育てることが多く、色とりどりの鳥が混じっています。改良種に比べ産卵率は低いでしょうけど、細かいことは言い . . . 本文を読む
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084)農村の女性教師

 広霊県苑西庄村の小学校に先生は1人。1年生から3年生までを1つの教室で教えます。児童数は10人前後。4年から上は1・5キロ離れた隣りの苑庄村の小学校に通います。  先生の名は楊維花、41歳の女性です。高校を卒業してすぐ、飲み水にすら困るこの村にやってきました。  「学生のころ上山下郷運動が盛んでした。貧しい山村にいって、そこの農民に学び、村の発展につくす、ということです。模範になった女性たちへの . . . 本文を読む
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083)村を回って話を聞く

 協力プロジェクトを成功させるためには、できるだけ深く現地の状況を理解する必要があります。そう考えて、たくさんの村を回ってきました。でも、これがけっこうたいへんな作業です。  村で生まれ育った人がその村のことを一番よく理解しているかというと、そうでもありません。私は、出稼ぎでもなんでもいいから少なくとも一度は村をでた経験をもつ人を探しました。よそでの経験を持つことで、自分の村を客観的にみることがで . . . 本文を読む
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082)猛暑

 7月13日に大同に入りました。私がここに通いはじめて14年ですが、奇数年でよかった年はないのです。たいていは旱魃です。とくに99年は建国いらい最悪の旱魃、01年は百年に1度の旱魃といわれました。ことしは5月に雨があったので、あの2年ほどではありませんが、それでもかなりひどい。ある程度まで育ったトウモロコシの葉がしおれたり、春に植えた木が弱り切っているのをみると、農民といっしょに雨を祈りたくなりま . . . 本文を読む
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081)マオウ(麻黄)

 94年の夏、大同県を訪れたときのことです。スギナを一回り大きくしたような見知らぬ草に赤い実がついています。透き通るような赤い色がイチゴのよう。地元の子が寄ってきて「食べられる」といって食べてみせます。それについて食べると、ほのかな甘味があってけっこうおいしい。ツアー参加者もいっしょに食べました。  じつはそれまで私はひどい腹痛と下痢に悩まされていたのです。ところがそれがピタッとおさまった。そのこ . . . 本文を読む
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080)塩害地

 黄土高原では山や丘陵の高いところほど土が痩せ、水が乏しく、沙漠化が深刻だとこれまで何回もレポートしてきました。しかし低い盆地にも深刻な問題があります。それは塩害です。  黄土はカルシウム、マグネシウム、ナトリウムなどの炭酸塩を多く含みます。いずれも強いアルカリ性です。雨水に溶けていちばん低い盆地の底に集り、水分が蒸発すると土の表面に塩分だけが残ります。雨の少ない春には乾いてまっ白。塩といっても塩 . . . 本文を読む
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079)オオカミがきた!

 03年冬のことです。私たちの実験林場「カササギの森」でオオカミの子がみつかりました。「子がいるからには親もいる。だいじょうぶか?」「いや、以前は人がオオカミを恐れたけど、いまはオオカミが人を恐れる」……にぎやかな議論になりました。  その話を私が耳にしたときは、残念なことにオオカミはすでに死んでいました。それでもすぐに鷹嘴敦村の現場に駆けつけました。ジャガイモなどを貯蔵するための穴が農家の庭先に . . . 本文を読む
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078)井戸による灌漑

雨の少ない大同の農村では、作物や植物にとっての最大の制約要因は水です。水さえ与えれば作物の出来はずっとよくなります。ですから条件のあるところでは井戸を掘って地下水を灌漑につかいます。灌漑が可能な畑はそうでない畑にくらべ3~5倍の生産性があるといわれます。  それは平年のこと。ひどい旱魃の年になると、収穫があるのは灌漑が可能な畑だけで、天水頼みの畑は収穫ゼロになります。私が調べた天鎮県の郷では、 . . . 本文を読む
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077)新旧同居

 大同のこの10年の変化は急激です。90年代初め、私が最初にきたころは、市内の目抜き通りを馬車が歩いていました。自動車は少なく、交通信号もなかった。タクシーは外国人の泊まれる2つのホテルの前に数台ずつ。ノーメーターで、市内のどこに行くにも20元。「高すぎる!」「じゃあ乗るな!」の殺風景な会話を思い出します。  ところがいま、朝夕は車の大渋滞。道路の拡幅も急ピッチです。それにあわせて中層のビルがずい . . . 本文を読む
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076)胡楊

 新年から始まったNHKの「新シルクロード」第1回。主役のひとつが乾燥地のポプラ=胡楊でした。「胡楊三千年」というんですね、生きて千年、枯れて千年、倒れて千年。寿命が長く、枯れてもなかなか腐らない。  おもしろい性質がほかにもあります。塩害に強く、むしろ好きなよう。葉のつけ根に塩を分泌し、「胡楊塩」といって食用・工業用にするというんですけど、どうやって集めるんでしょう?  日本の専門家が年輪を調べ . . . 本文を読む
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