ツアーの参加者は8月29日の午前中、蔚州古城の名所を見学しました。そのひとつが南安寺塔です。以前は南安寺という寺があったそうですが、いまは遼代創建のレンガの塔が残っているだけ。
塔のある中庭を囲んで、骨董を売る小さな店があり、この春までは自由に入れたのに、今回は門票(入場料)をとりました。
そしてもう一つの変化がこの表示。蔚州博物館の重要な展示物のなかにこの南安寺塔の地下に秘蔵されていた仏具な . . . 本文を読む
蔚州古城を不定形の城壁で囲まれていました。その北辺に門はなく、城壁のうえに玉皇閣が建っています。ここ数年、修理がなされていましが、それが終わり、一般に公開されています。
もとは北をにらむ軍事目的の靖辺楼でしたが、のちに道教の廟にかわりました。
蔚州古城のなかと周辺にいくつかの仏教寺院がありますが、文革時期に無残に破壊され、多くの寺に仏像がありません。でも、玉皇閣の神像は、もとのものかどうかわか . . . 本文を読む
緑の地球ネットワークが緑化協力を実施している河北省張家口市蔚県が、国務院(中国政府)の批准を受けて、国家歴史文化名城に選ばれたそうです。宮崎いずみさんから知らせてもらいました。河北省では6番目、全国では135番目くらいのよう。
歴史文物、名勝、文化などがこんなにたくさんあるのは、県のレベルではほんとにめずらしいと思います。
県城のはずれに新しくできた蔚州博物館はその外形も展示内容もすばらしいの . . . 本文を読む
中国の古い城鎮はたいてい城壁に囲まれていて、真四角なのがふつうです。そしてその内部も碁盤の目のように区切られています。
ところが蔚州古城は、以前にも書きましたが、不定形をしています。そして通りがまっすぐ通っていません。
東西と南に門がありますが、北にはなく、そのかわりに城壁のうえに玉皇閣が建っています。もとは靖辺楼という軍事目的の建物だったものが、道教の神廟に変わりました。道教の最高神は時代と . . . 本文を読む
おおっ!札束の山。といってもこの世で通用するお札ではありません。天上界でくらすご先祖のところに煙にしてとどけるお札で、町のはずれでひっそりと売られています。
中国では二十四節気の清明節(4月5日前後)が、ご先祖のお墓参りをする日ですけど、農村ではそのさいにお墓の前でこのお札を燃やします。近くでそれをみたことはないんですが、残っている灰の量からすると、相当の金額を送るよう。
以前、大同でみたときは、 . . . 本文を読む
蔚州古城のほぼ中央部に鼓楼があります。明の初期に周房によって建てられ、その後、何度も修復されましたが、1940年代に焼け落ちました。いまのものは1997年に建てられたものです。
この写真は鼓楼のうえから南をむいてシャッターを切りました。遠方にある門が南門=景仙門で、そこにいたる道が古城の大通りです。そして右のほう、西側にある塔が南安寺塔です。寺は失われ、塔だけが残っています。
道はせまいですよ。そ . . . 本文を読む
蔚州古城の城壁は高さ11.5m、一周は3800m余りで、北の部分は復元されていますが、南のほうは失われたところも少なくありません。何気なくこれまで城壁と呼びましたが、中国ではなんというのでしょう? 城墙かな?
城内と城外をつなぐ門は、東西南北に4つあるのがふつうだと思います。でも、蔚州古城に北門はありません。敵が攻めてくるのは北からだから、北に門があるのは危険だと考えたのでしょうか。
いえ、それは . . . 本文を読む
中国の都市は古来、高くてがんじょうな城壁に囲まれていました。そのほとんどが正方形で、東西南北の方位にきちんとしたがい、城内の街区もEXCELのようにきちんと区切られています。
ところが蔚県県城の西北のはずれにある蔚州古城は、GoogleEarthの画像で一目瞭然のように、不定形で、城内の道路もまっすぐに通っていません。なぜでしょう?
なんども書いてきたように、蔚県は南の農耕民族と北の遊牧民族とが交 . . . 本文を読む
『中華遺産』という雑誌の2012年5月号が「鉄城蔚県-中国的堡塁」という特集を組んでおり、蔚州博物館で購入しました。上田信先生によると、とてもよくまとまっているそうですが、中国語をよく解さない私は写真をみるだけ。
そのなかの重泰寺の写真がとても印象的で、昨年9月、前中久行代表を誘って行ってきました。この寺は遼代の創建で、張家口市のなかでもっとも保存状態のいい、規模の大きなお寺だそうです。不信心な私 . . . 本文を読む
万里の長城は南の農耕地帯と北の遊牧地域との境界にあたります。地図でみると、北京市、河北省、山西省のあたりで、北側の外城と南側の内城とで二重になっています。
農耕民族、つまり漢族の力が強いときは外城までが勢力範囲になり、力が弱まると内城が境界になりました。内外長城に囲まれた範囲は支配民族が何度も入れ代わったわけですね。
代表的なのが遼・金の時代。遼代は契丹族、金代は女真族がここを支配し、南には漢族を . . . 本文を読む
蔚県の5つの花のうち3つは伝統の技で、これまで打樹花と彫花については書きました。今回紹介するのは窓花、剪紙(切り絵)についてです。春節などに切り絵を窓に張ったことからこう呼びます
蔚県の人口は52万人ですが、剪紙に従事する人は2.6万人、人口の5%にもなりますので、一大産業といっていいでしょう。
剪紙には鋏で切るものと、刀で切るものとがありますが、ここでは刀で切ります。薄い紙を何枚かと下絵を重ね、 . . . 本文を読む
蔚県の5つの花について書いて、旧家の門の彫刻の写真を載せたんですけど、やっぱり代表はこれでないといけないと思いなおしました。打樹花です。
1600度超の高熱で溶かした鉄を城門にぶつけて花火のように楽しむ伝統の技です。もともとは春節のあとの元宵節の名物だったようですが、いまはそれ以外でもおこなわれ、寒い時期にお客を集めるために専門の劇場ができています。1100人収容の大きなものを1つの鎮がもっている . . . 本文を読む
蔚県の人たちは、自分たちの県には5つの花があるといってジマンします。1つはアンズの花。主には杏扁という種のなかの杏仁を目的とするアンズで、もともと蔚県で作出されたものだそう。大同では仁用杏と呼んでいました。
2つめは山西省との境にある空中草原の花で、雪絨花といい、ウスユキソウ、エーデルワイスのなかまです。ほかの地方にあまりない蔚県特有の花だといい、県の大通りに雪絨花大道の名がついています。
3つめ . . . 本文を読む
蔚県の南部は奥深い山地で、太行山、恒山、燕山という3つの大きな山脈が交わっていますが、そこを南北にぬける峡谷が飛狐峪です。幅は広いところで100m、狭いところはわずかに十数メートルで、峡谷の長さは20kmほどあります。
南の農耕地帯と北の遊牧地帯とを結ぶ要路で、漢の武帝の将軍、衛青や霍去病もここを通って匈奴との戦に臨んだそうですし、宋と遼が対峙した時期には楊家将の活躍の舞台となり、いくつかの名 . . . 本文を読む
「ずっと以前、ここには代国がありました。そのつぎは蔚州です。そしていまは蔚県。国→州→県とだんだん小さくなったのです」と、県の青年団の前書記が冗談めかして話したことがあります。
長い歴史のなかで呼称は幾度も変わっていますが、蔚州と呼ばれた期間は長く、その時期に繁栄したので、ここの人びとの蔚州に寄せる思いは強いのです。
蔚州は「燕雲十六州」の一つで、遼、金、元と長く北方の遊牧民族の支配下にあ . . . 本文を読む