1332話)私のこどものころ 塩

 塩

ほんとに久しぶりに『中国生活誌~黄土高原の衣食住』(大修館書店、1984年)を読みました。羅漾明さんと竹内実さんの対談で、羅漾明さんが大同の西隣り、現在の朔州市朔城区の出身なのです。子どものころの風俗習慣が克明に語られていて、大同での活動ではほんとに助けられました。

それをみていて、そうだ、自分でも自分の子どものころのことを書いてみたい、と思い立ったのです。いつまで、つづくことか。

私が生まれ育ったのは鳥取県の大山のふもとの農家です。敗戦後の1948年の生まれで、農家ですので、食べるのに困ることはなかったと思います。でも、お金はなくて、貧乏でした。食べ物のことから話したいと思います。

たいていのものは自分たちで作っていました。私が生まれる前ですけど、塩も自分の家で作っていたそうで、ここに窯をついて、大きな鉄鍋をかけて煮詰めていたんだよ、といって、その場所を示されたことがあります。日本海まで700m足らずですから、海岸で海水を濃縮したものを運んできたのです。

できた塩をざるに布をしいたものの上におき、下においた容器で受ければ、落ちてくる液体が苦汁(にがり)ですね。一升瓶につめたものが何本もあり、ながいあいだ、それで豆腐をつくっていました。
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タイトルとちがってごめんなさい (高見)
2021-05-17 13:00:41
ひょんなことから、自分の子どものころのことを思いだし、書いてみたいと思い立ちました。タイトルとちがってますけど、この題名のブログも維持したいので、ご容赦ください。
 
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