大同の農村に「高山高」という民謡があります。
靠着山呀,没柴焼.十個年頭,九年旱,一年澇……
山は近くにあるけれど煮炊きにつかう柴はなし、十の年を重ねれば九年は旱(ひでり)で一年は大水……。
ほんとにそうなのです。1990年代から2000年すぎにかけて、西暦の奇数年は例外なく旱魃でした。とくに1999年がひどく、「建国以来最悪の旱魃」だと言われていました。そしてその2年後の2001年がさらにひど . . . 本文を読む
自宅への道をたどると、さる企業の女子寮のまえに人だかりがしています。2階建て木造家屋の1階部分がひしゃげて、なかに人が閉じ込められているとのこと。居合わせた人たちと救出活動をはじめました。
もとは2階だったところの窓からはいり、廊下の床を破って下の階に降りようとするんですけど、2階の床と1階の天井とのあいだに、ガスや水道のパイプが通っていて、なかなかすすめません。
そのあいだも余震がつづきます . . . 本文を読む
黄土高原といっても、そのなかにはいろんな地形・地貌が含まれています。私たちが緑化協力の場にえらんだ張家口市蔚県も、中央部は東西に長い壺流河が形成する盆地。南部は山地。北部は黄土丘陵と低山です。
2020年から新しく協力事業を開始することになった陽眷鎮は、北部の黄土丘陵にあり、そのようすは大同市北部の大同県、陽高県、渾源県あたりとよく似ています。大同市の農村は緑化がすすんで、以前の光景を思いだすの . . . 本文を読む
低地の恵まれた畑でトウモロコシのつぎに栽培されたのがコーリャン(高粱)。背丈が高く、東北の農村などでは、このなかに遊撃部隊が潜んでいてもわからず、日本軍が苦労したそう。「紅いコーリャン」という映画もありましたねえ。
コーリャン原料の黒っぽい乾麺が大同のスーパーに並んでいました。私が手を伸ばすと、大同事務所の李海静さんが止めました。「まずくてとても食べられないから買っちゃあダメ」。
じゃあ、なに . . . 本文を読む
写真をみて、なんだ、またトウモロコシか、と思われたことでしょう。そのとおりです。その先に橋があり、車が走っているのがみえると思います。それがミソ。
ここは大同からちょっと西南にいったところの応県です。世界最大級の木造建造物・応県の木塔が有名なところです。でも、正面に橋がみえるってことは? そうです。本来は桑干河の川底で、水が流れているべきところに水がなく、で、近くの農民がトウモロコシの栽培をはじ . . . 本文を読む
渾源県で緑化協力を開始した1992年の秋に、単身で3か月弱、現地の農村を回りました。なにかしないといけないことがあったわけでなく、中国語はニィハオ、シェシェ、ツァイチェン、ツゥスオザイナーリ?の4つしか話せませんでしたから、なにかができたわけでもありません。でも、このときの経験は大きかったと思います。
協力事業をはじめた西留郷で、トウモロコシ(玉米)の収穫を手伝ったりしながら、いろんなことを学び . . . 本文を読む
村の元会計さんに引っ張られていったのは、母屋の前の中庭の小さな隠居住まい。老夫婦で暮らしているそう。
ちょっと昔話をしていると、「ここに高見がきているときいた」といって、入れ代わり立ち代わり人が訪ねてきてくれるのです。たいてい高齢者で、なかには杖を頼りに不自由な体を運んでくれた人もいます。「この家にだって1年ぶりだ」といって。
主が私に「いまでも酒を飲むのか?」ときくので、「毎日だ」と応えると . . . 本文を読む
そうだ、あのビデオをみてみようと思って、テレビ朝日が1998年に放映した素敵な宇宙船地球号シリーズの「黄色い大地に生きる」をみました。そのときの通訳を王黎傑がしてくれているんですね。それで思いだしました。
彝(イ)族のお嫁さんへインタビューというか、詰問を彼女がしたんですよ。「あなた、どういう事情でこんな村にきたの?だまされたの?」
答え「あの人が、西服(スーツ)をきちんと着て、たくさんお土産 . . . 本文を読む
井戸のすぐ近くの家には何度も泊めてもらいました。お嫁さんが貴州省からきた彝(イ)族の人で、丸顔でクリクリ眼。どうしてこんな結婚が成り立ったかきくと、大同は石炭の街で、南方からもたくさんの人が働きにきていて、人のルートができていたようです。
そのお嫁さん、自分一人では寂しかったのでしょう。つぎつぎに自分の村の娘を紹介して、この村の人と結婚させたのです。おかげでなんと、この村には電気炊飯器のある家が . . . 本文を読む
テレビの取材場所としてこの村を選んだのは、ふつうの農民とのつきあいが濃厚だったことがあります。私もずいぶんな回数、農家にホームステイさせてもらいました。まだ若かったからできた、ともいえるでしょうね。
多くの村はたいてい村の党支部の幹部をつうじてのつきあいで、長い年月のあいだに交替している可能性が高いんです。村を離れてしまっている人も少なくありません。こういうところに行っても、知り合いに会えるとは . . . 本文を読む
これまで長々と苑西庄村のことを書いてきたんですけど、じつは2018年9月に、突然、この村を訪れることになったからです。
日本のさるテレビ局が私たちの協力事業を取材して番組をつくることになりました。張家口市蔚県での事業は2016年度にはじめたところですので、その実績だけでは標準未満で、とうてい番組にはなりません。
大同では霊丘県の南天門自然植物園、渾源県呉城村のアンズ畑、大同県の実験林場カササギ . . . 本文を読む
せっかくいい関係のできていた苑西庄村ですが、2003年ごろを最後に足が遠のいていました。井戸を掘り、果樹園をつくって、私たちにできることがとりあえず終わったこともあります。
その一方で、私たちのしごとの規模が大きくなり、内容も複雑になりました。
1999年に南天門自然植物園にとりかかり、2000年に環境林センター(南郊区)を20haまで拡張し、2001年には実験林場カササギの森に着手しました。 . . . 本文を読む
井戸を掘ったのは1998年ですが、掘る前にもなんどかツアーの人たちがこの村でホームステイしたことがあります。黄土高原の農村の厳しさを知ってもらうには最適の村だったのです。
風呂はおろかシャワーさえ考えられもしません。朝起きて、顔を洗う水にも事欠くのです。でも、ツアー参加者にはものすごく好評でした。
それにはこの村の人たちの善良さが大きく影響したと思います。なにもない貧しい村でしたけど、心からよくし . . . 本文を読む
掘りに掘って176mにもなり、この県でいちばん深い井戸になりましたが、幸い水がでました!
実際に水がでてしばらくたってからですが、苑西庄村で通水式がもたれました。村の人は全員が集まり、出稼ぎにでている人や、結婚して村をでた女性たちもこの日は村に帰って出席したそうです。
「もらい水の歴史に終止符が打たれた!」「長生きはするものだ、こんないい日にめぐり合えるとは!」といって、一人の老人は涙をぬぐお . . . 本文を読む
テレビ朝日でその番組が放映されると、緑の地球ネットワークの事務所の電話が鳴りつづけました。この番組を契機に入会してくださる人が相次ぎましたし、寄付も集まりました。正直なところ、私はこのような結果を予測して、取材に協力することにしたんですね。
農業協同組合(JA)の全国組織も寄付に取り組んでくれました。おかげでまず苑西庄村で井戸を掘りました。
責任を負うことになった祁学峰は、気が気でないのです。 . . . 本文を読む