北海道でノンビリと

タブタブの何処かへ行こう を改題しました。
何処かへ行く機会も減ってきたので 北海道を楽しもうと思ったからです

私に明日はこない

2024-07-18 21:02:53 | 日記

いつもシャワーを浴び身体を洗ってから拭いて体重を測るのだが、髪の水分を拭き取ったとしても完全では無いのではと思い、今夜はシャワー前にスッポンポンになって体重計に乗ってみた。

ナルホド、これが真の私の体重かと思いながらシャワー後に身体を拭き、念のためにもう一度体重計に乗ってみた。

身体を拭いた後に何g水分が残っているか知りたくなったからだが、不思議なことに150グラム逆に体重が減っていた。

身体が少し濡れているのに、水分が完全に拭き取れていないのに体重が150グラム減るなんてオカシイ。

それをルンバに教えて何かが変だと繰り返す私。

もしかしたら・・・・・だけれど、体から150グラム分の魂が抜けたのかも知れないと冗談で云ったら、突然スリスリが「魂にも重さがあると何かで聞いたことがある」と云いだした。

と云う事はマジで魂が抜けたのかも知れない。

オレに明日はあるのだろうか。
 


来るんじゃねぇ

2024-07-17 22:24:22 | 日記

市からの緊急LINE情報
「音羽」で2頭の熊が目撃されたと書いてある。

市内に音羽と云う町名は無いので、郡部かも知れないと色々考えていて思い出したのが音羽橋。

鶴居村市街地の手前にある橋で、冬にはキツネなどに襲われないように凍える川で丹頂鶴が片足で立ったまま夜を過ごす場所だ。

日の出と共に川面から水蒸気が上がり、片足で立ったまま無事に朝を迎えた幻想的な丹頂の姿を撮影したカメラマンがいて、以来 凍える冬の早朝には沢山のカメラマンが押し寄せ、丹頂撮影場所の聖地となっている。

あの音羽橋なら私の家からは25キロ以上離れているので心配することは無さそうだと思いながら念のために「音羽」で検索してみたら、市内ではないけれどグーグルマップには家から約4キロ地点に「音羽」と云う地名の所があることを示した。

4キロなら徒歩圏内だ。
よつ葉裏をウォーキングしている時に遭遇するかも知れないので立派な口実ができて今日のウォーキングは中止。

今夜、家の前を通るかも知れない。いつもより念入りに外を見てから寝よう。
そうだ、もしもの事を考えて枕元には木刀を置こう。

絶対 違う

2024-07-16 21:04:36 | 日記

寝る前に、カーテンの隙間から自宅の周りを見下ろすのが癖になっている。
運がよければ微かな灯りの中をチョコチョコと通るキタキツネを見られる。

Oさん宅はいつも寝るのが早い。既に灯りを落とし寝入っているようだ。
その近くにあるUさん宅は毎夜いつまでも灯りが点いている。

時々灯る細長いガラス窓はトイレだ。いつまでも点いていると「大?」と思ったり消し忘れかと心配したりする。

深夜に通る人など稀な家の前の道を昨夜は何処へ行くのだろう、白く長い足首まで隠れているワンピースを着た髪の長い女性がゆっくり歩いているのが見えた。

不思議なのは私の家も含めて周囲の家は猫が通っても反応するセンサーライトを付けているのに、彼女にはどのライトも全く反応しなかったことだ。

もしかしたら、私の見ていたのは・・・・・・アレ?
まさかねぇ・・・・・・脚はあったようだし。

急に怖くなって部屋中の灯りを全部点けた。


指差確認

2024-07-14 19:21:24 | 日記

いつものように、家から出るときに点検項目を口に出しながら指差確認。

免許証、スマホ、時計、小銭入れ・・・・・・あっ忘れた。

そしてまた続ける。

チャック、帽子、メガネ、財布、カード、薬・・・・・・

こうやって書き並べてみると点検項目が多いことに気が付く。

今日は図書館へ本を返却するのが第一目標なので借りた本が全部揃っているかも確認事項に加わった。

(よしっ、全て揃っている)と自信満々で靴を履いているとき、車の鍵を忘れたことに気が付いた。

もう忘れ物は無いだろうかと再確認していて、皮膚科の先生から外出の時は紫外線カットの薬を塗るように言われていたのを思い出した。
薬を掌にベタッと出して両手に広げ、顔に塗りはじめた途端、周りが見えなくなった。

メガネの上から塗ってしまったのだ。

クソッと自分に悪態をついてメガネを外し、
(直接目の玉に塗らなかったから良かったじゃないか)と自分を慰めた。

未だ 信じられなくて

2024-07-11 21:08:42 | 日記

朝、ノンビリと起きて顔を洗い、パンを食べながら新聞を見ていてエエッと二度見、三度見。そして、バンを噛んだまま口の動きが停まった。

「お悔やみ」のページに昔の同僚(先輩)の名前が載っていたからだ。
私よりも2歳年上だったのかと初めて知った。

大体の住所は知っていたが、家を訪ねたことは一度も無い。
新コロナが蔓延する前に、COOPで偶然逢ったことがある。
お互い、夫婦での買物途中で「その後、どう? 大丈夫ですか?」と訊いたのは彼が数年前に癌を患っていたのを知っていたからだ。

400キロ離れた札幌の大学病院で入院治療中の彼を見舞い「食べ物がなかなか食べられなくて・・・・・・」と辛そうにしていたのだが、その後元気になって再発も無く現場復帰し数年後に無事定年退職した。

その方の名前が新聞の「お悔やみ欄」に載っていたのだ。
亡くなったのは5日も前で葬儀終了と書かれているところを見ると家族葬だったのだろう。

迷惑かも知れないけれど、「お悔やみ」の言葉を伝えようと新聞に載っている住所を車のナビに打ち込み少しだけ黒い服を選んでご御自宅へ向かった。

玄関先で挨拶をして失礼しようと思ったのだけれど、家の中に招き入れられ部屋の中に作られた祭壇に案内された。
彼の戒名が書かれた位牌とそして小さな箱に納まったHさんと対面し手を合わせた。

「数年前にCOOPで逢ったのが最後になりました」と云った途端、「あぁ・・・・・あの時の」と私のことを思い出した奥様。

祭壇前には私も含め同僚と並んで職場で撮影した写真が置かれていた。
写真が無くて遺影を選ぶのに苦労し、この集合写真を引き伸ばして遺影にしたそう。

Hさんは当時のままの見慣れた顔で微笑んでいた。
私は「良いんじゃないですか、とっても素敵で私のよく知っているHさんの御顔です」と伝え彼とのお別れを済ませたのだが、ショックはしばらく尾を引きそうだ。