良い本を手にする確率はオータニさんの打率より低いように思う。
と云うからにはゼロではなく、時々出会うと云う事でもある。
もちろん良し悪しの基準は自分の主観であり、本を書いたことのないド素人の感想だから、私の基準から漏れた作者の方は気にする必要はないし、気にしてはいないと思う。
サスペンスからラブラブもの、オカルト、純文学や時代小説までと、私のジャンルは幅広い。
総じて、気に入った本はページを繰るのが早い。
どんどん読み進んで映像化するとしたら主役は誰にしようかなんて、プロデューサーのような気持ちになることもある。
首が悪いので長時間下を向いて活字と格闘するのが困難な私は、ベッドで寝転んで読む。
枕元にはメモ用紙とボールペンがある。
作中に出てきた場所や建物を記入するためだ。
今の世は便利で、描かれた建物や田舎の様子を空想するのも楽しいがグーグルマップと云う便利なものがあるのだからと気が付いてからメモし活用することが増えた。
今読んでいる本の舞台は諏訪、松本だ。
諏訪には2回行った。諏訪湖も見たし御柱で知られた4つある諏訪大社の内、2つは参拝し御朱印も頂いたように思う。
漱石に傾倒し過ぎ、口語的な口調の変人と呼ばれる消化器内科医が主人公だ。
そこに建つ中程度の病院の屋上には「24時間365日対応」と書かれた看板が掲げられている。
それを掲げたのは、もし此処にそんな病院があったらとの思いを込めて、いつしか集うことになった複数の医療仲間。
「良心に恥じぬ医療を展開する」と云うのが目標だ。
病に勝つための努力は惜しまないが負け戦になると知った瞬間、如何に負けるかを考える。
交代制で勤務する看護師と違い沢山の患者を受持つ医師達の方が睡眠不足で病人のような顔色をし、患者の方から「先生、大丈夫?」と心配される。
70年連れ添った奥様が重い病に倒れ、ベッドに付添うお爺さんに「婆さんがいない家に帰ってもすることが無いから、もう少し横に居たい」と云われ「面会時間が過ぎているから」なんて云わない優しさがある。
そのお婆さんが逝った時、彼女が好きだったと云う木曽節が深夜の病室に響き渡る。
お爺さんが唄う心からの鎮魂歌であり惜別の歌でもある。
誰もが聞き入り、騒々しくて眠られないなんて苦情を言う人はいない。
倒れた先輩の医師が奥様と出会ったのが常念岳の山小屋で、もう一度二人で山頂から夜空の星を眺めたかったと願う先生の気持ちを知り、実現させようと企むスタッフ達。
深夜、車椅子に乗せた先生と奥様を屋上に誘い、必要最低限の電力を残し「24時間365日対応」と書かれた看板も含めて1分間だけの停電。
読者の目にも暗闇に浮かぶ山頂から見たのと同じ、美しい天空の星々が降りそそぐように見えた瞬間だ。
翌日は会議で停電の説明を強いられる。
「装置の配線を間違ってショートさせてしまった」と始末書を提出する検査技師長。
「私の病棟では停電は無かった」と言い張る病棟看護師長。
皆が「良心に恥じぬ」行動をしているのだ。
本の帯には「医師の話ではない、人間の話をしているのだ」と書かれている。
5巻も借りたので、まだまだ「負け戦」を読むことになると思う。
ベッドから居間へ降りる度に、私の濡れて充血した眼を見て不思議そうな顔をするルンバの視線が痛い。