永禄三年(1560年)5月19日、わずか3千人ほどの手勢を率いた織田信長が
2万5千人余りの今川義元勢の本陣を急襲して、義元を倒したのが桶狭間の戦い。
場所は名古屋市緑区から豊明市の付近で、今も石碑などが残り史跡となっています。
ところで、この桶狭間の戦いの中心地とされる「桶狭間古戦場跡」は2箇所あります。
まずは名古屋市緑区桶狭間の「桶狭間古戦場跡」(名古屋市指定)。
こちらは住宅地の中の公園ですが「今川義元戦死之地」と記された石碑があり
義元がのどを潤したとされる「今川義元公水汲みの泉」もあります。
そしてすぐ近くには義元の首を検証したという長福寺があり、境内には
戦死者の供養塔などがあります。
もうひとつは豊明市にある「史跡桶狭間古戦場」。場所は名鉄中京競馬場前駅近くの
国道一号線脇、こちらの史跡は昭和12年に国の指定を受けています。
ここの古戦場跡地は整備されて休憩所もあり、今川義元の戦死の場所を示す石碑や
今川義元の墓もあります。そして向かいにある高徳院の境内には「今川義元公本陣跡」
の石碑があります。
何故、今川義元公の戦死の地が2箇所にあるのか、研究者の間でも意見が分かれているそうです。
まぁ大きな合戦でしたから、この付近一帯が戦場になっていたことは確かな事。
文献などからの推測でもどちらが本当かは決められないでしょう。
さて、その桶狭間の戦いの日はもうすぐです。そしてその日近くには「古戦場まつり」が
ありますが、名古屋市と豊明市、それぞれ別の日に開催されます。
名古屋市の桶狭間古戦場まつりは5月17日。桶狭間古戦場公園、長福寺、戦評の松などで
慰霊祭や武将パレード、史跡めぐりツアー、万燈会などがあります。
豊明市の桶狭間古戦場まつりは6月6日(土)・7日(日)桶狭間古戦場伝説地一帯で
供養祭、武者行列、火縄銃発砲などが行われます。
桶狭間古戦場伝説地の近くには旧東海道有松宿があります。そして6月6日・7日には
有松絞りまつりも開催されますので、史跡めぐりと絞りまつりを楽しむのも
良いかと思います。
2万5千人余りの今川義元勢の本陣を急襲して、義元を倒したのが桶狭間の戦い。
場所は名古屋市緑区から豊明市の付近で、今も石碑などが残り史跡となっています。
ところで、この桶狭間の戦いの中心地とされる「桶狭間古戦場跡」は2箇所あります。
まずは名古屋市緑区桶狭間の「桶狭間古戦場跡」(名古屋市指定)。
こちらは住宅地の中の公園ですが「今川義元戦死之地」と記された石碑があり
義元がのどを潤したとされる「今川義元公水汲みの泉」もあります。
そしてすぐ近くには義元の首を検証したという長福寺があり、境内には
戦死者の供養塔などがあります。
もうひとつは豊明市にある「史跡桶狭間古戦場」。場所は名鉄中京競馬場前駅近くの
国道一号線脇、こちらの史跡は昭和12年に国の指定を受けています。
ここの古戦場跡地は整備されて休憩所もあり、今川義元の戦死の場所を示す石碑や
今川義元の墓もあります。そして向かいにある高徳院の境内には「今川義元公本陣跡」
の石碑があります。
何故、今川義元公の戦死の地が2箇所にあるのか、研究者の間でも意見が分かれているそうです。
まぁ大きな合戦でしたから、この付近一帯が戦場になっていたことは確かな事。
文献などからの推測でもどちらが本当かは決められないでしょう。
さて、その桶狭間の戦いの日はもうすぐです。そしてその日近くには「古戦場まつり」が
ありますが、名古屋市と豊明市、それぞれ別の日に開催されます。
名古屋市の桶狭間古戦場まつりは5月17日。桶狭間古戦場公園、長福寺、戦評の松などで
慰霊祭や武将パレード、史跡めぐりツアー、万燈会などがあります。
豊明市の桶狭間古戦場まつりは6月6日(土)・7日(日)桶狭間古戦場伝説地一帯で
供養祭、武者行列、火縄銃発砲などが行われます。
桶狭間古戦場伝説地の近くには旧東海道有松宿があります。そして6月6日・7日には
有松絞りまつりも開催されますので、史跡めぐりと絞りまつりを楽しむのも
良いかと思います。
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